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福島第1原発事故  36年前の訴状には、地震、津波に起因する原子炉破壊の危険性を、はっきりを指摘していた

  司法も 安全神話

36年前 訴状に向き合って耳を貸してさえいれば 福島第1原発過酷事故を防ぐことが・・・

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紹介

原発裁判と原発事故に対する感想

           弁護士  安田 純治

 今から三十年前(1975年)の一月、いわき市から相馬市に至る浜通りの住民四百四名が原告となって、福島第二原発設置認可取り消し訴訟が提起された。

 この訴訟は、福島地裁、仙台高裁、最高裁とも原告側の敗訴に終わった。

 敗因は何か。ひと言でいえば、安全神話に敗れたのだ。原告の主張と立証に誤りがあったわけではない。そのことは今回の事故で証明されている。

 三十六年前の訴状には、地震、津波に起因する原子炉破壊の危険性を、はっきりを指摘していた。しかも、これらの災害によって、外部、内部の全電源喪失、緊急冷却機能停止、炉内温度上昇、核燃料棒のジルコニュウム溶解、水と反応して水素発生、水素爆発という、事故発生の経過も記述してある。今回の事故は、その通りの経過を辿っている。したがって原告の主張は誤っていなかった。

 立証についても、原子炉工学や放射線防御学の専門家の証言や論文で、原告の主張の科学的根拠を立証した(原告に協力した科学者たちは、いわゆる原子力村から村八分にされている人たちで、”お上の権威”とは無縁の人たちであった)

 一方、被告の方(訴訟の被告は政府であったが、その背後には、いわゆる原子力村が存在した)は、原告の主張を、「仮想事故」という冷笑的、侮蔑的名称で呼び、そういう事故は起こりえない、と主張し、政府の安全審査基準が科学的・合理的であると、おかみの権威によって、”仮想”された学者の証言や資料で立証したが、これらが、科学的・合理的でなかったことが、今回の事故で証明された。

 十七年間にわたるこの訴訟の原告側弁護団長として、私が今、痛感していることを未整理のまま並べると次のとおりになる。以下略

私はこのような真摯な差し止め訴訟が行われていること  私は耳を傾けなかった。騙されていた私も責任がある

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「上写真」全住民2万1千人が未だに避難し帰れない浪江町の請戸 高濃度放射線のため長く放置されたご遺体の慰霊碑の前で合掌。遠くに第1原発が見える。「下写真」放射線のため7000人の住民の帰宅を許さない、人一人いない無人の双葉町の駅前どおりをまたぐ大看板。ここには犬も猫もカラスも小鳥もいない。音もない、動くものものもいない異様な世界の中に「原子力明るい未来のエネルギー」が視界にはいいってくる入ってくる。未だに16万人の避難者、2000人近い原発関連孤独死。

Photo

  

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花は夜もある、見えないけれどもあるんだねー 花は夜開く

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いうことなし

その日の昼には085

心が見えてくる書 場が浮かんでくる書

その場所に立っているかのように

書道

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小春日和の千葉の花  オンパレート  ご覧あれ

川村美術館の庭にて

小春日和の千葉の花

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きいろえびね       しゃくなげ

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言葉の力   被災地に花を 花の力   花物語 南房総  

言葉の力   花の力

井上ひさしにちなんで

    手記は聖書  ~~若いおかあさんの遺体の下に赤ちゃんがいたという話がたくさん残っている。憎悪の塊のさく裂点の下に、人間のすばらしさが小さな宝石箱のようにキラキラしている。だから聖書なのです

被災地での花

「地震で家屋が全壊になったショックから立ち直れるかと思っていましたが、月日がたつうちにがんばらねばと思うようになって来ました。菜の花とキンセンカがとてもきれいで、春が来たことを知らせてくれました。」

「暗い毎日を送っておりましたが、春の花で心を取り戻しました。今日からは元気、元気。、すてきな花ありがとうございました。真心、嬉しかったです。」

「どん底に突き落とされたときほど人の関心と温かいお心づかいをいただけるほど嬉しいことはございません。特に遠方の方々からお寄せくださいました慰めとやさしい言葉と品々、そして無言のうちに心温まる花々。ありがとうございました。」

再掲

花ものがたり

         ―― 南房総は面白い ――                           

真冬というのに路地に自然に花が咲き乱れているところがある。房総半島の最南端の地域である。こんな所は日本国中めったにない。もちろん千葉県民なら誰でも知ってはいるが、実際行くとなるとよほどの理由がなければ足を運ばない。花より団子の口はなおさらである。

以下、私が改めて感嘆した花景観のいくつかを披瀝し、未だ行っていない方に千葉県民の特権行使をお勧めすることにしたいと思う。

― 景観いくつか ―

 房総半島最南端、東京湾の入り口に当たる外海に面した州崎燈台から白浜方面に車を走らせるところからはじめたい。この地域の特徴は、山が丸まっちいことだ。なだらかな丘陵を包む照葉樹林の森が、照り返す海のキラキラ光とあいまって車窓に飛び込んでくる。ついで、フラワーラインと称する海岸通りを帯状に連なる、まっ黄色な花を左右の道端に見ながら走ることになる。千葉県花、菜の花はここが一番と鮮やかである。どうしてこんなにおだやかな金色をかもし出すのか。しばらくして、お目当ての野島崎燈台に着いた。

― 野島崎 ―

女性的な景観は、ここで一転して男性的に海に突き出した岩礁の景観に変わった。奇岩の上に飛び散る波のしぶきの向こうに見る水平線上の舟影、足元には宮崎の日南海岸と同じような“洗濯板”の岩層があり何千年、何万年の記憶を景観の中にとどめている。そういえば、ここの年間の平均気温は15℃とか。宮崎の日南地方と同じ。亜熱帯に近い。車に引き返す道すがら「アロエ」の群生が目に止まった。我が家では一晩外に出しっぱなしにして「アロエ」の鉢植えごと枯らしてしまった直後だっただけに、無造作に群生していることに驚く。そういえば、この近くの館山の沖の島でサンゴを見たことがある。北からはアザラシの玉ちゃんが迷い込んだ。南と北の海流がまじわった面白い植生が景観の特徴なのだろう。野島崎の海に飛び出た突端は周囲は1kmという。その中にある厳島神社に立ち寄った。広島の厳島神社と姉妹という。面白いのはここにある七福神だ。これを彫った石工は奇人だったらしく、「100年経てば理解してもらえる」と、周囲の無理解者たちに豪語していたという。もうとっくに百年以上たっている。七福神(写真)との出会いは、各地の五百羅漢が好きな私にとって、もっけの幸いであった。後世の人まで人間好きに誘うなんて石工冥利に尽きることだろう。又この辺は、古来海女さんの仕事場でもあった。往時は1000人を越える海女さんがあわび取りをしていたという。今は碑がたっているのみだ。まだどこかでやっているとしたら是非白い丸首にパンツの海女さんにお目にかかりたいものである。興味が尽きない地域であった。西岡としこの孔版画の「早春の海」は菜の花畑から野島崎を臨んだものだと後できずいた。

― 花ものがたり ―

道の駅で腹ごしらえをした後、目的地である白浜に向かった。何度か来た事があったところだが、改めて息をのむ。白浜の海辺からの傾斜地の畑(田)に8月に撒かれた、ポピー、ストック、キンギョソウ、キンセンカなどの種は1~3月に開花し、まるでモザイク模様のじゅうたんのように、太陽の陽に照りかえされて視界いっぱいでも補えきれない。冬の潮風にも耐えて成長した花たちであった。無霜地域を巧みに利用し、貧困にあえいだ農漁村の先人たちが苦労に苦労を重ねて作り上げてきたものだという。

かって阪神大震災時、神戸に支援に行った仲間から「今,震災地の人々に必要なのは花かもしれない」という知らせが届いた。これを当地の漁業協同組合の知人に言ってみた。震災一ヶ月がたち、被災者の疲労は極に達していた。梱包された花をトラックいっぱいに積んで現地の生協に届いた。花は建物崩壊の中でも開いていた店にもまわされた。店で受け取った被災者からお礼状が沢山きはじめた。必死に寒空の中で耐えてきた人たちは、「あっ、もう春なんだ。生きてきたんだ。と我に返った」。花にほほを寄せて涙ぐんだ様子など、未だ私の手元にある文面(コピー)から読み取ることが出来る。そんなことに思いを馳せる私を尻目に同行者たちはうでに抱えきれないほどの花を切り取っていた。試しに分けてくれた農家のおばさんに当時取り合った知人の消息を聞いてみた。病気で加療入院中ということであった。

田宮虎彦 の小説にここを舞台にした「花」という作品がある、戦争中、政府から花栽培禁止令が出され、県は時々抜き打ち検査して花栽培を禁じていた時代のことである。この中でどうしても捨て切れなかった花の種をひっそりと隠し持っていた農家があった。見つかれば国賊にされるところであった。戦争が終わってしばらくしてこの種の花栽培が始まった。たまたま、房総を中心とするNPO千葉自然学校の役員をしている関係で、話は前もって伺っていた。だから同行者が切り取った花たちに良くぞお出まし願ったと声をかけたいきもちになっていた。

花は弱い。特に戦争に弱い。平和にこそふさわしい。戦争を経験しなくなって久しい日本に住む私たちは幸せだ。しかし花を守った人たちのこと、花を奪った戦時体制、そして広島や戦争を忘れるとき何が待っているか。ちょっぴりでも想像をめぐらすことがあっていいと自戒しながら離れた。そして加齢もあってかやはり日常の暮らしの中に理屈ぬきに花があるのが一番いい。さらに適うことなら 年に1度ぐらいは文化や歴史の宝庫でもある南房総の景観を楽しみたい。同行の姉はむかしのまんまの笑顔であった。やはり花は強い参考 房総のふるさと 多田屋)

  

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♪♪ひょっこり ひょうたんじーま

井上ひさし  ♪♪ ひょっこりひょうたん島♪♪

♪苦しいこともあるだろさ かなしいこともあるだろさ

だけど僕らはくじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃお♪♪
すすめー ひょっこりひょうたん島 ひょっこりひょうたん島 

ひょっこりひょうたん島♪♪

  1964~1970にかけてNHKラジオテレビで大ヒットした人形劇です。「ひょっこりひょうたん島のモデルになったのは岩手県大槌町の沖合にうかぶ

  蓬莱島です。

私はⅠ昨年9月、町全体が津波に襲われ、プロパンガスに引火しまち全体が大火災になり、廃墟となったこの町を訪れました。町民10人に約1人、 1300人近い人命が失われたまちです。そのとき沖合にかすんでいる蓬莱島が見えました。例のひょっこりひょうたん島のモデルの希望をのせた島

す。井上さんが存命ならどんなにか悲しみ、大槌町の住民に心を寄せ、支援し、励ましメッセージを送ったことでしょう。

♪♪・・・波を ちゃぷちゃぷ ちゃぷちゃぷ かきわけて ちゃぷちゃぷちゃぷ
         雲を すいすい すいすい 追い抜いて すいすいすい
       ひょうたん島はどこへゆく 僕らを乗せてどこへゆく うううう うううう
       丸い地球の 水平線に 何かがきーっと待っている う ♪♪・・・


    井上ひさし作詞のテーマソングが現在大槌町の復興ソングの一つとなって被災地の今を励ましているということが、昨日我が家を訪ねた友人[]

        が教 えてくれました。

   私は、井上ひさしが うちに怒りや、悲しみや涙をためながら、どんなに辛酸があろうとも いやそうであるがゆえにそれを突きぬけて現に生き

   人々から掬い取って 7転8倒して明るく前向きに描く作家だったことを思おこしはっとしました。憲法をめぐる新たな局面や自分の経年劣化も

  あり気分 がややめいっていたが、救われる思いがしました。

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ここどこ?

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チューリップ 佐倉   快晴   あでやか

佐倉の病院の帰り、チュウリップ祭りに久しぶりに行ってみた。その規模・はなやぎ・あでやかさ・人々のはづんだおつあべいり・いい顔・我が家のチュウリップもいま盛りだが、趣は別

まずはご覧を。映りが悪いのは写真機のせい。としておこう

S4_018 おっとこれは我が家。ちゅにっぷの語源はチュウリバ(ターバン)だそうだ、。マホメット教徒が頭にまく気品のあるターバンに似ているからという。と本に出てい

た。

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写真を撮っていただけませんか、というっ流暢な日本語の鑑賞者にであった。聞くと千葉大などに留学している学生達、

ベトタムのハノイ・フエ・ホーチミン市など・かって私が仕事で行ったところだ・しばし話に花が咲いた。佐倉の祭りは国際化?。

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なばな  うめ  やっと  香り漂う 。 サクラはまだか

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菅原文太   我らがスターに菅原文太に敬意   大石又七との対談

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対談を掲載した 「本の窓」という小学館の

小冊子の中の一文です。「第5福竜丸と原発はつながっている」という題です。
事実体験大スターの取り合わせ、わかりやすい。うってつけです。
菅原文太氏は実に個性のある面白い俳優ですね。やくざ映画の俳優という印象でばかり見ていた
同じ仙台生まれの同窓先輩ですが、「在野の直感、外野の直言」うってつけの方だということがわかりました。
大スターが切り込む原発対談です。ぶんたフアンでなくても多くの老若男女をうならせることうけあい。

仙台出身77歳、菅原文太さんの名言「脱原発の日独伊三国同盟を結ぶべきだ」

、 

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古代菊  つづき   いうことなし

続き

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