自分のこと

台風一過の朝ならぬ台風直前の朝・・ ラジオ体操、団地、里地の散歩

台風一過の朝  はいい。しかし今朝は「大島の惨事」などの報道に心が痛む。

ここ1ヶ月で3度足を運んだ福島や宮城のあの被災者たちは一体どうしているか。気になってくる。

まだ早いので後で電話してみよう。

それにしても大型たいふー、大雨、大風 は我が家も揺さぶった。気になって昨朝電話してみた。2人の孫たち

ケロリとしてあのさなか爆睡中とか、親の返事。

子供っていいなー。

そういえば小生も子供に近づいてきていると連れはよく馬鹿にする。

まっいいか。孫にあやかってノーテンキ、いや自然体で行くとしよう。

台風直前の素晴らしい朝の光景 をご覧に入れたい

我が団地の10月13日の朝6時20分

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6時半団地内公園での朝日をあびてラジオ体操、のち近くの里地に

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巨大地震の発生 私の場合  2011年3月記  そのまま

巨大地震発生に際して    わたしの場合 

 

巨大地震発生に びっくりされ、その後 ラジオに釘づけ状態のことでしょう。今回の地震は広範囲で規模が大きく被害の多様性もあり深刻です。本当に心配です。私は奇しくも公民館でみんなと阪神の地震について語り合っていた真最中でした

私の郷里は宮城県の仙台市です。

 仙台市  石巻市  大崎市  栗原、などラジオやテレビにたびたび登場する被災地には 実の兄姉と家族、多くの親族がすんでおり気がかりです。が一切連絡は取れていません。特に石巻市にはガン術後の実兄が海から600m位のところに住んでいます。早く現地にと、いてもたってもいられません。すぐにも行きたいのですが、行く交通手段もなく、石巻市全体が報道からも、救援についてもヘリから吊り上げの映像以外、今のところ一切報道もなく、孤立状態で安否が気がかりです。

仙台の兄はつい100m先まで津波が押し寄せたと甥から今朝やっと電話がありました。しかし石巻市など他地区のことは不知でした。電気がつかないためか現地は情報難民でした。また大津波警報(陸地に10キロさかのぼる可能性あるとされる)の千葉九十九里浜の海岸から5キロの地点にいる孫たちがいるのですが、連絡不通状態が続きましたが、大丈夫でした。

日本国中誰もが、今回の地震に私のように多様につながっています。

南北400キロ、幅150キロの断層が20m動き マグニチュード9、津波20mの広域巨大地震でした。巨大、広域、多様性が今回の地震の特徴でした。原発の事故が重なります。これからの復旧は並ではなく阪神大震災の100倍のエネルギーの地震ですから何十年もかかるでしょう。追っかけてもともと発生の確率が高い別のプレートが悪さをする東海沖、房総沖、東京直下型の地震発生(京都大学防災研報告で指摘)の可能性があります

今大事なのは 救出、救援これにつきます。被災地には食べ物、水、医療の集中です。

昨夜は手回し発電のラジオを聴き、今朝からテレビを見ています。何もできない歯がゆさの中で阪神淡路島地震の様子がよぎります。

かって私も阪神淡路大地震を仕事もあって直後から何度も現地にいきました。つたない体験から言うと、その時箱物中心の「近代文明」のもろさを痛いほど見せつけられました。阪神淡路大地震から何も学ばないでいいのか。私ものどもと過ぎればわすれてしまっていた口です。震災から15年、バブルがはじけたのち、20年になっています

次に今大事なことは

今、3月11日を機に突きつけられた現実に学ぶスタートにすべきです。1つはあり方です。

この間日本はあげて経済成長の夢を追い国債は1000兆円近くを発行するGDP第一の主義の「建設」国家でした。平たく言えば道路、空港、ダム、リゾート開発など建設の政治でした。ヅケはこれから生まれる子供に一人当たり2000万円を課すものです。それは「強い経済」の名によって菅政権にひきつがれています。復旧資金が利権に利用された歴史もあります。復旧の増税、国債の発行がつづくでしょう。(先日の市議会傍聴で地方こそ、その体質が色濃くとどめていると痛感しました。誰もが賛成する活性化や災害対策といったファジーなことばで建設賛成に引き込むやり方は「税金を建築や道路に使い」「借金をかさねて」いく構造そのものでした。)

今回の地震を契機に国債は国際的に短期にも長期にも減価していくことになるでしょう。紙ピラになる可能性だって否定できません。バブル崩壊後、経済の「空白の十年」が「二十年」に伸び、回復への展望など見いだすことが困難な状況になっています。その低迷状態も今回の地震という衝撃波によってさらなる困難(共振しながら社会基盤の崩壊)が待ち受けていると思います。

先進国といわれる日本を始め「成長・近代化」を狙った国々がことごとく格差・排除が顕著です。開発独裁の国々は貧富の差が著しくエジプトチェニジィヤに始まって崩壊の連鎖に入っています。

助け合うことを社会の仕組みにすることで人間が活かされ、経済を発展させている国があります。よりよく生きるための福祉経済政策に国際的関心が寄せられ、その理論と実践の双方にノーベル賞がでました。(アマテルヤ、セン。フラミン民銀行)。これを機に勉強したいと思っています。

私はあと2週間で73歳まで来てしまいました。今話題の331,第二工区の完成期日するはるか前には確実に死んでいます。(私は331の全線四車線に反対です

仮にあと10年生きたとしても それまで災害で死なないためには 家族と仲間、わけてもまちの仲間が大切だとおもいます。また自分自身での生活する力をどう高めていくか。老老夫婦でできることが問われます

その上で

以下助け合いの工夫をしていく

仲間との社会的なつながりの中で それぞれの考えたことを持ち寄っていく。 私の意見はこうです。

   食や生活用品のための身近な商店の大切さ(買い物に遠くにいけない、持ってきてくれない)買い物難民にならないようにする工夫。

生協の共同購入 ,お店の配達制度。買い物ツアー。バス。朝市。暮らし情報交換

   緊急時の水の確保―団地内井戸マップづくりなどして備えるなど、

火の用心 ろうそくは危険。電池電灯、携帯電池、などなど

    医薬品と寒さをしのぐ毛布など寝具と最低必要用品の備蓄と安全な避難訓練(自治会などで)

    弱い人、子供たち、高齢者、障害者、一人暮らしの住民への最大の配慮を自分の問題としてふだんから勉強していく。 みんなの家ぱお(旭丘)永光苑 あさひ園 社協などでのボランチア。おしゃべり居場所の大切さ(小池元市長はこれを掲げていた)

助け合いの手(高齢者や弱い人と仲良しになることを通して自らも学んでいく)。

   その日のために。安全な避難場所の周知徹底。安否確認情報システム。心のケア。ガス釜での食事作り。お世話係の確保(阪神淡路地震のときおばさん、おじさんが威力を発揮していた)店は安否確認、張り紙情報交換の唯一の場でした。

   懇意なまちのお医者さんと医療機関の確保。福祉と医療の連携

    地元の消防団組織(消防署はあとから  車が入らない、広域で手が回らない)

   避難場所の確保と周知徹底

    災難は長期につづく。(仮設住宅での孤独死)心のケア

仲間がいれば元気がもらえる(被災地の中の笑みはすべてこれだった、人は一人だけでは生きていけない)

●制度としての社会保障と 福祉と医療、介護の社会制度こそ

阪神淡路大地震の教訓

その日のためには普段からの挨拶、見回りできる間柄 、おしゃべりができる居場所 、SOSで飛んできてくれるつながりがまえもってあること。まちの関係が豊かになっていくこと。実はこんなまちが最大の防災でした。

要するに日々、昼間の住民の関係でした。阪神淡路大地震の教訓です。大半の救助はこれでした。おおくは発生から3日間の間に死傷しています。すぐ公的なところに頼るのは無理です。危険です。車が通るようになるのはずっと後です。しばらくの期間、自転車やバイクを使った小さな医療グループやものを届け、救いに出るボランチアが瓦礫の中をめぐっていました。(目に浮かびます)

震源地の淡路島では死亡比率は低かった。隣も知らないような冷たい町ではなかった。活躍したのは全国からのボランティアでした。公的機関が救済に入ったのは後からでした。

三の宮の六車線の道路も壊れました。高速道路もつぶれました。

四街道唯一の四車線投入資金37億円(107億円)のうち1億円でも地域住民の生活の場でのつながりづくりのために使われたらどんなにすばらしいことか。市議や行政に地域の知恵とインフラを創意的に活用する発想はないのだろうか。もったいないことです。

宮城県の死者は1万人を超えると伝えるテレビを聞きながらまたすぐ上の兄の安否が気がかりになっています

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向日葵  ひまわり  ヒマワリと私

向日葵  ひまわり  ヒマワリと私

今朝の散歩はさわやかだった。向日葵にであった。

近場の田園、里地を4人で散歩。まずご覧あれ

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コスモスの手入れしている方に出会った。これからが楽しみ。その近くに

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013721_046野菜と一緒のひまわり

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成田や館山の向日葵群は確かに見事だった。ハンガリーやチェコ、オーストリー・スペインで見た見渡す限りの栽培向日葵は圧巻だった。これが向日葵だと思ってきた。しかし身近な田園風景の中で森を借景に凛と立つ向日葵は風情がある。しみじみじっくりの味わいがある。向日葵の花言葉を調べてみた。

「あこがれ」 「あなただけを見つめる」「あがめる」「愛慕」と出た。なるほど

おおくの幼い命を飲み込んだ石巻の大川小学校を訪ねた折  学校近く川べりに向日葵畑があった。ご遺族の方たちの手植えであった。ずっとズット「あなたを見つめてるよー・いつまでも一緒だよー」と。

震災にあい、また放射線に見舞われた福島南相馬の原町小学校を訪ねたときにも「向日葵」が校舎のまわりにあった。放射線を吸収するからと。いずれも子供たち愛している心が痛いほどわかる。私は原発推進の人たちに 向日葵を進呈したい。あなたの子供と一緒に家族で原発のそばに住んでみたらいかがとメッセージをいれて。

「ひまわり」の映画化がすすめられているという。舞台は沖縄。

19596月、沖縄・宮森小学校に米軍ジェット機が炎上墜落し、学童11名、近隣住民6名が犠牲となった大惨事を題材とする壮大な人間ドラマを映画化!基地あるかぎり、沖縄の悲しみは終わらない。

吉永 小百合 さん (女優)

沖縄の方達が本当の笑顔を取り戻すまで、
私たちはしっかりとサポートしなければなりません。
「ひまわり」の製作に期待しています。

鳥越 俊太郎 氏 (ジャーナリスト)

沖縄から米軍基地を全面退去しない限りこうした悲劇はこれからもなくならない。"基地被害"の原点のひとつとして映画化されるのを機会に、今一度沖縄のことを考えてみよう。みんなで!

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うつくすい、 美しいもの見しわれは、知性に触れて、その3、この1週間で

024 まずは花でご挨拶

知性にに触れた1週間だった。上智大学。96条の会。樋口陽一の基調報告。

きいてているうちに参加者がみるみるふえ9会場まで臨時会場ができた。関心高くなっている。私は入り口で立ちんぼう。でも来てよかった。日本の知性、ここにあり。

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0136_005 9条の会四街道。井上ひさしと憲法。小森陽一。井上ひさしを追ってきただけに  興味深深。

105 渡辺直子水墨画個展。

102 静寂

Ss_914_2 大石又七と大江健三郎

最後に絢爛・純白・無垢の柏の葉アジサイをご覧あれ

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うづぐしいなー、やるなー、残るなーその2 この1週間にであったものs

小学生も立派な市民

きれいにする会。小学生。先生。市民。市職員・高速道路職員地いっしょのゴミ拾い    休みの日小学生いっぱい参加

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040 この周りはかってゴミ屋敷だった。この近くの中学生とごみをかたずづけものだった

053 部活の先生と部活の生徒、清掃ではいっしょ。いい場面だ。

062 市民も一緒。汚い作業の中で心があらわれていくから不思議だ。この地域は印旛沼につながる上手繰り川の源流付近、たっぷりごみにまみれた水が印旛沼に流れている。この水が千葉県民の3分の1の水道水である。これを知らせることもひつよう。小学生たちがうなずいていた。つづく

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美しいなー・いいなー、あったまるなー、その1・この1週間で出会ったもの1

003 004 かしはばアジサイ 見事、

見とれていると持ち主のかたが 10本切ってくれた。朝のラジオ体操なかまにくばった。

006 筑波の双葉連絡所で、被災者同士

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手作りの贈り物  かって憧れの・・・

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原発から6キロの双葉の氏の屋敷はアジサイが咲き乱れていたざれていたという・

もう帰れない、戻れない。   続く

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75才  

75才の春

この春 ついにというべきか、やっとといいうべきか、“人生古希まれなり”を超えて、75歳になりました。 父よりひと回り以上長く生きたことになります。しかし今の時代、平均寿命79才()ですから、事あらためて75歳が稀ということではないでしょう。ただ経年劣化というか身体が言うことを聞かなくなるのにはよわちゃいます。

さらに親しい (○○さんとか貴方とか、やーと呼び合える2人称の間柄)人たちが亡くなるのは本当につらいものです。父母と二人の兄の時もそうでした。ご近所の近しい友達とか遠くの親戚もそうです。かくて私も,童謡にちなんでいえば ♪♪ もういくつ寝るとお正月~♪♪ の正月をXday(息を吸うのをやめる日)に変えてみると実感が迫ります。

 生き物ならすべて 生育老死から免れません。私も生き物ですから 順繰りに生死が交代する習わしの中にあります。 仮に、人間だれも死なない、とするならば、この世界は どうなるのだろうか。考えただけでもぞっとします。私179歳、あなた267歳という風な世界を想像できますでしょうか。だから、私らが雲隠れすることはよいことですし、別に暗いことではないといえます。ただ悲しい。つらい怖さも否めません。

しかし生と死がつなぐ地球の生命はセンスオブワンダーに満ちていますよね

…なーんちゃってかっこいいこと言っちゃいました…75歳に免じて許してください。でもあなたも私もこれ本心ではないでしょうか。愛犬も 草花も 連れ合いも自分も仲間も世の子供達も 森も川も畑もみんないきものですから。

私がそれを感じたのは 東北大震災後の「生き物や人の気配が全くない、放射線が覆う福島浪江・双葉・南相馬の被災地」さらに「津波が兄とすべてをさらった音もなく動くものも伏せた石巻・さらに閖上・山元・の仙南・宮古・陸前高田・の岩手の各地であった」・・・福島を忘れることは生き物の世界を忘れることにつながるのではないか。真の文明は山を荒らさず。川を荒らさず。村を壊さず。人を殺さざるべし…(

100年まえ  足尾鉱毒公害 田中正造の日記)

そこで残る私らの願いは“生きている間はイキイキしたい(ゲーテ箴言) ということでしょうか。もちろん、寝たきりもある、事故など外圧的な強制的人生切断もある。そんな時は社会的にも、個人的にもお互い様で支えあうにことが肝心ですが。

どんな境遇でもイキイキできるらしい。そんな先人が私らの周りにいっぱいおられたし今もいると思います。亡くなった人からも学べるといいます。人生修行の足りない私はこれから学ぶことになるのですが、そもそもイキイキとはなんだろう。人それぞれのイキイキもあるとして、そこでイキイキを昔と今の中に探ってみるのも悪くない。いくつかの例で物語ってみてみたい。イキイキはいつも苦労や汗や辛酸と供にあるらしい。振り返ってみるとわかり始めます。一緒に考えてみませんか。あなたの今のイキイキとはなんですか?あなたの来し方で一番イキイキしたことはなんですか? 一人ぼっちではなかったはずです。

私は被爆者の人にお聞きしたいと思っています。辛酸をなめつくしたのに、あれほど穏やかで温厚なのはなぜですか?強い意志の源はなんですか。 何に希望を託して日々を生きてこられたのですか? 私、にでることはなんですかって。

いま春です。今日の陽気を見るとなるほど春が来ない冬はなかった。雨がはれない日々もなかった。どうあれ生きるって素晴らしい。みんなで1日1日を自然に大切にして素晴らしかったといえるような最期を迎えたいものです。それにはお互いにあなたが必要です。亡くなった人もみんな一緒に。お邪魔虫になりつつもかなうだろうか。   

3月26日

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春の晴れ  春の花   春の田植   春の庭  いいねー、だから

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体の中は花だらけ 頭の中も花だらけ  手繰り川沿いも花だらけ

   頭の中は花だらけ   75の春

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体の中も花だらけ

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手を挙げて   さくらそうに挨拶

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よくぞおでましねがった。

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手繰り川を囲む菜の花  きれいにする会108回目

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もう春だ。春なんだ。

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う春だ。春なんだ。

休眠から覚めた熊の様に

周りを見てみた

茶の間からガラス越しに、水仙と梅の蕾

電線から飛び立つて小鳥が横切って消えた。

誘われて  オモテに出てみた

お日さまは

そこいらじゅう明りの温みをふりまいている

いつも見る対面の丘の木々  隣の庭木の葉っぱの輝き

舞い戻り

セイターの重ね着 厚手のジャンバー 

首巻 手袋 マスクに帽子

2枚靴下で靴を履き

鍵をかけ 日差しの中の丘に向かった

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やっとカゼや感冒や肺炎もどきから解放されて昨日ぶらり

散歩ができた。春日和にはまだ早いが忘れがたい日に

なってしまった。千葉の春は好きだ。2011年3・11まえには

こんなところに行っていた20120826_808

保田であった 。おすすめポイントだ。

焼津の3・11ビキニデーにも行った事がある。

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久保山愛吉さんの墓。

写真に収めたこの日は晴れ渡っていた。

「私を最後の犠牲者にしてほしい」という遺言を私達人類にのこした。

明日から 3・11を命日にする人の3回忌で東北に出かける。お墓の周りは春だろうか。地震、津波、原発過酷事故の災害 人災、次の世代の春はどうなっていくのか。孫たちや福島の子供たちの顔がよぎる。友人を煩わすことになるが被災地をよーく見てきたい。

枯木みたいな私でも 次の世代に「大丈夫だ安心しろ」と言えるような生き方ができると信じて。

やまない雨はない 春が来ない冬はない。(最近1月末に亡くなった近隣の友人の色紙)

行きつ戻りつくり返しながら社会の春はやってくると思いたい。

まずは散歩などして体調を回復させたい。

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