6六五歳以降で書いたもの

寅さん大好き

寅さん大好き

 

 ―亡くなってしもうて  ―1996812

     

どうせおいらはやくざな兄貴

わかっちゃいるんだ妹よ

いつかお前の喜ぶような

強い兄貴になりたくて

今日も涙の、今日も涙の日が落ちる

日が落ちる

僕「ねえ寅さん、死んでしまったんですか。せめて、”達者でな、あばよ”ってくれえのことは言ってもらいたかった。あまりにも突然で何とも…」

寅「すまん、すまん。断らないで死んじゃってね。少々疲れちゃってね。これも風の向きってことよ。勘弁してくれよ」

僕「ここ二十年来、寅さん映画を見ては“ほっ”だ。おかしくって。面白くて、暖かくて」

寅「無知で、愚か者で、馬鹿な僕をながくひいきしてくれてありがとうよ」

僕「とんでもない。ありがとういうのはこちらです。愚かな僕らに 相手を思う気持ちの大切さを教えてくれたのは寅さんですよ。おいちゃん、おばちゃん、ひろし、さくら、みつお、たこ社長、いつも喧嘩していたね。相手を思うあまりのけんかにいつも涙してました。ほんとにありがとう。」

寅「へへ・・・(もじもじ)」

僕(寅さんは常に相手の幸せを自分の幸福と考える立派な人なんですね。心が何時も開かれていて、そして無欲…)

寅「実は僕はキタナーイ人間なんだ。助平なんだ。ダメな男なんだ。」

僕「とんでもない。助べえなんだが、人の心を汚せない、キレイナ心を持っている、そこが何とも言えないね。だからみんなが人間として共感を持てるんですよ」

寅「それはエラーイ監督の山田洋次さんのおかげです。さいわい元気だからこれからももっと笑いを作ってくれると思いますよ。」

僕「寅さんはいつも旅してたくさんの人や川や海や山など自然と出会いましたね。であって、かかわって、見捨てておけなくて・・・。おかげで見えないものまで見えるようにしてくれました。そのことで、生きているっていいな、人間っていいなと思えるように勇気を与えてくれました。」

寅「兄さんうまいこと言いますね

僕「葛飾柴又や旅先の名もなく目立たない口下手な人たちに心を寄せ、そんな人たちの内側に潜む素晴らしいものを見せてくれました。」

寅「おいちゃんの作った団子うまかったろう。げんちゃん、あいつはばかでね、・・・」

僕「どこでもだれとでも仲間になることができる。そんな心を持っているっていいなあ。体が自然にそうなっていくんですね。そんな思いにいつも引き込んでくれる寅さん、本当にありがとうございました。しばらく休んでください。」

 さて、あなたは渥美清の突然の逝去に何を思ったでしょうか。

 確かに”男はつらいよ”の画面は現実を超えた架空のものでした。しかし、あれほど私たちに共感を与えた世界はいったいなんだったのでしょう。監督の山田洋次が言うようにこういう寅さんのような人物は今日の競争社会では落ちこぼれの何物でもなかったでしょう。利益優先、物質優先の社会の中では見知らぬ人とのコミュニケーションはおろか、家族や近い人たちとの触れ合いの機会も少なくなり、よそよそしい社会がますます広がっています。この中から、子供のいじめや、自殺、不登校など、これまでの歴史になかったことが表面化しています。自然破壊や犯罪の増加など社会病理が広がりました。人間そのものが破壊されているわけです。

 しかし、そうした世の中だからこそ、助け合ったり、協力し合うことを望む人たちも一層増えてきています。寅さんへの共感はそんな社会背景があるといえましょう。

 コープはその目的を「ともに生きるくらし創り」にしています。努力方向として「ともに」をすべての価値にしようというわけです。

 寅さんも山田洋次も助け合いや笑いのコミュニケーションが多い社会を願って「男はつらいよ」を作ってきました。その動機は根っこのところでは私たちと同じではないでしょうか。山田洋次の「映画のつくり方」コープの「つくりかた」、つまり、仕事のつくり方はどっかで似ているのではないか。そんな思いで山田洋次の書かれたものを探してみました。      以下略

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブログを始めるにあたって   5年前の文章

ブログを始めるにあたって   5年前の文章

この春 古希到来。これを機に恥ずかしながらプログを始めることにしました

まだよせばよいのにという気持ちがあります。何せ仕事を辞めて65歳から初めて触ったパソコン、(火傷のせいで)右手のひと指しゆび一本で打つ難儀、続けられるか本当に心もとない。

でもやる気になったのは教えてくれる人がいたからです。このところ聴いたり、語りあいたかった人が相次いでなくなったことにもよります。もったいなかった。 そんな方のおかげで70年間生きられたのだし「いま」をいただきました。

実際70年間いろいろ食べさせもらい 人に出合ったコトで今の私が在るわけです

 まさに「お陰」さまでした そんな「お陰さま」とは「貴方」の事だと今更ながらきずきました色々教えてくれたし、きずかせてもくれた「貴方」です。わたしの「在る」を支えてくれた全てのひとです。鈍感なわたしに気づかせてくれたもの全てです。

 そこでテーマはあなた(みんな)がいて私がいるニュースとします 

  貴方とは  

文字

(

もんじ

)

とおりあなたですが、時にほんの著者になったり  近隣の人になったり、孫子になったり 今や昔の友人や先生になったり します 

四街道の景観も故郷仙台も世界のあの街も

   貴方的な親しみがありさえすればもちろん貴方になります。ですからこのプログ私ではなく貴方のことや事実が主役です。果たしてどうなるか

大まかな分類

1 お茶しませんか ― 気軽なおしゃべり エッセイーー  (   茶)

2 なんといっても平和がいいーー戦争と平和の事― ― (   平和

3 地域を楽しみながら  ――地域社会の意義と意味―   ( 地域)

4 この国のこと   ――政治や経済 社会のことー  (   政経社)

5 この地球のこと   ――地球環境 自然環境―   (  環境)

6 にないあって、    ――協同こそ未来、希望-    ( 協同)

7 忘れえぬ人、   ――人類の恩人 わたしの恩人― ( 識者、友人 )

8 印刷されたものから ――本として印刷されたものからーー(  屈文)

よく続いたものです。いやよく見てくれたものです

この5年間で書いて載せた記事(文章写真)は374件

月4~5回のペ-スで書いてきた。アクセスはこれまでに25571

自分でもひどいなーと思うもの記事もあるのににこんなにアクセツ

いただき恥じ入る次第、感謝です。

後期高齢期にはいって  ふりかえると

1お茶しませんか ― 気軽なおしゃべり エッセイ

7 忘れえぬ人、   ――社会的先輩 わたしの恩人― ( 識者、友人

が不足している。反省したい 。齢のせいか 忘れえぬ人、時勢のせいか

次の世代につながる社会的な先達を探っていきたい気がしている。   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本の青空 Ⅲ一人でせい、二人でせい みんなでせい という 3せい運動

日本の青空Ⅲ「命の作法」にお寺の住職さん登場します。太田村長です。面白い人で  境内にマタギの伝統的な生活用具を保存する一方  サンセイ運動を村政の基本においてきた人です。

“サンセイ”運動とは産制(産児制限)運動ではないよ、とかいって本堂で講話を受けていた私たちのほうを向いてニヤリとした後「3せい」運動を説明し始めた。

私たちが知っている沢内村のこし方は貧困 豪雪 その結果としての乳幼児死亡率日本一のまちでした。しかし 「3せい」(注1)を合言葉に死亡率ゼロ 医療費の全面的公的負担をやり遂げていったのでした。

一人でせい、二人でせい  みんなでせい という  という風に。 いま流行の言葉で言えば自助 共助 公助ということですが3せいのほうがはるかに言葉が生きてはたらいています。

この町の歴史の一端を少ししっていたので、いまもその助け合う文化がまちの中に遺伝子のように生きているのがうれしく頼もしく思いました。

ところでこの間日本の為政者は 「一人でせい」の自律の意味を“自己責任”にすり替え、「二人でせい」の助け合い協同を競争で分断し、「みんなでせい」の公助を 公費削減(小さな政府 社会保障削減)で事実上否定してきました

一方日本は世界に類例を見ない米軍への思いやり予算を増やしつづけ 自衛隊は軍事費としては世界3位といわれる5兆円をこえ、企業の法人税の累進課税率を大幅に引き下げ数兆円を貢ぎました。結果、貧困化率(ジニ係数、格差率)はいわゆる先進国中最低でアメリカと並びました自殺は10年続けて3万人(未遂はその10倍)をこえ、虐待は子供と高齢者層に拡大し、20歳代の6割が非正規労働者になり 労働3権から隔離され人権はないがしろにされています。少子化の歯止めも利きません。またこのような社会のために費やしてきた財政は 1000兆円の国債でまかない、国民一人あたり800万円のツケを次世代に回しました。我が家の孫家族4×2=8 都合8×800万円=6400万円もの付を国家からいただいて2010年を終えようとしていることになる。

このような誰も否定しょうがない事実が進行しています。ジワジワの衰退していくのか、それとも「ドボン」という陥没的な事態になるのか。日本の場合、国際社会を恐怖に陥れた債務国家ギリシャの例どころではない規模の大きさ深さになるでしょう。

さてそんな時にどうしたらよいか。「救う技法は“文化”」(人間の質の営み TH)ではないかと作家大江権三郎が言っています。

感想を寄せた方は「人生の苦しみの格闘の中で、つかみとった祝福こそが、“ごめんなさい”と“ありがとう”という言葉」と記していました。 今を生きる希望を含んでいると思いました

Hato

201112

| | コメント (0) | トラックバック (0)

栗山川 房総九十九里にそそぐ小さな川

栗山川 房総九十九里にそそぐ小さな川

二〇〇五年 秋 川口堰に魚道が出来 長らく途絶えていた遡上が始まった

太平洋を回遊してやっとたどり着いた鮭たち

川口堰で捕獲され 人工的に孵化し放流された鮭たち

4年たち 回遊の後 たくましく遡上始めた鮭たちが

ここは栗山川 

鮭の祖先が有史以前からたどった川 

水源地多古や 山田町の谷津田湧水につながる川

今 原郷にたどり着く前に 堰で阻まれ 

やむなくコンクリートのうえに産卵させる川

一生で許されるたった1回だけの産卵だというのに

おびただしい卵がコンクリートの上を漂い 

橙色にうずまき底に固まり 生のリレーを断ち切らせる川

なんたる無惨  なんたる散乱

連綿とつづいた死の新たな生への転換はこのようにして断ち切られた

いったい人の歴史はいつから循環の機会を奪ったのだろうか

回帰のリズム 自然のルールを見失ってから久しい国 この日本

ツケの大きさにきずかずに なすべき事をしないままに 

小欲のため未来への大欲を見失ったGDP信仰の国

この先にあるのはただ殺漠 茫漠  茫洋と広がる世界だろうか  

だが ここに

心を痛めて立ち上がり始めた人たちがいる 横芝 光町からはじまり多古 

山田町につながる流域の人たち がいる

山倉めがけてひたむきにのぼりゆく鮭に心うたれた多くの人たちがいる 

鮭よ戻れと孵化させ放流し続けてきた栗山川漁協の人たちがいる

鮭が安心して遡上出来るように現地に

手をさしのべ始めた人々 水辺に心を配ってきた里山メンバーがいる

はたして 適うだろうか 

間に合うだろうか 再生できるだろうか

未来永劫  この地に  鮭が安心して産卵できるように

遡上の姿をいつまでも子どもたちが見る事が出来るように

誇りうる故郷のために

多くの人の心の重ねあいが始まった。

彼はいま確かに再生への蠢動を感じ始めた

蘇生の方法は?その解は?彼はいう

川と海 谷津田に森林  田んぼに畑 が手をつなぎ

古来より奉納の鮭がとりもつ つながりの文化のなかで

感動を取り戻し 

感性を呼び戻すこと

未来に思いを馳せ鮭の身になって怒り

鮭 =自然を追いつめた 私欲効率社会

からの脱却にギヤチェンジすること

それは

田古米を育て  鮭をはぐくむ水げんちに

襲いかかろうとする 近代の負の遺産 産廃

水源地の染井に産廃敷設を許さないことから始めること

ここは栗山川 

 二〇〇5年  冬

河口には源郷をめざし必死に遡上する鮭たちがいる

森や里地からの清冽な水と産卵の砂利地があることを疑うことなく

のぼり始めた鮭たちがいる

なんというすばらしい  命の営み  無欲な姿  エネルギーだろう

しかし待っているのはにごった水 コンクリートの産床  満身創痍の仲間たち

古来生死の転換は自然のリズムの中で行われるはずのものだった

再び心を合わせたい  満身創痍の鮭の身になって 手をつなぎたい

いきとし生きるもの皆自然の恩恵のなかあるという当たり前のことを識る為に

千葉が恥葉にならないために

水源地に産廃敷設を許さないために

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自然なお果子

自然なお果子
                         お果子とは おかしな間違った書き方と思われるでしょう。でも、お菓子は昔「果実 果物」をさしていたらしいのです。果物の「」が「」にかわったのはいつ頃からか。いずれ同好会の佐々木満さんに教えていただくことにして,早速お果子のことにうつりたい。


ときは秋、栗。柿。いちじく。くるみ。

栗はいつも「曼珠沙華(彼岸花)」と共にやってきます。
 子供の頃、甘いものに飢えて育った「ボク」は今でも「クリ」と聞いただけでヤッターと声をあげたくなります。

Sdsc00712

Sdsc00701_1 孫が来るので拾ってるのと87歳の0さん。山梨にて
 

去る97日、Aさんの栗林で栗ひろいがあり、35名集まったそうだが行けなかった。残念でならない。このAさんは「地元農産物を大切にする農家と市民の会」のメンバーである。もう1人のメンバーのである会の会長のAさんは私の散歩道(成山)で畑を耕している。昨秋、落ち葉で焼いた焼き芋をしゃがんでご馳走になった。食事外に仕事で疲れた合間に食べるものを、その昔は「クァシ」といったそうだから、こういうところでおしゃべりしながら食べる「焼き芋」こそ本物のお菓子の名にふさわしい。ここは無残に開発された成山の一角の森の中。みそらの対面の成山に残り少なくなったホッとするところ。

だからこの地でサトイモやショウガ、落花生などを作ってくれているAさんのような農家の方は、美味しい野菜だけでなく自然の景観を私たちに提供してくれる大事な人たちなのだ。この会では来る10月5日  19日、8時から10時 みそら集会場前庭で12日は、第四幼児公園(集会所Sdsc00478のとなり)で「朝市」を予定している。ぜひ、のぞき、手伝いたいと思っている。

 話を「お果子」に戻そう。栗にかかわるお菓子はいっぱいある。マロンケーキは四季に関係なく、洋菓子店にあるが、私の場合季節感があふれる和菓子に軍配をあげたい


 秋はくるみ。おふくろが蒸かしてくれた「ユベシ」の上にちょこっとのっている「くるみ」。クルミの実を荒縄にくるんで鉄づちでたたきわり、ほじくって実を取り出し、ユベシの中に入れる。そばにはとってきた小さい栗(今はないなあ)が湯気を立てていた。
 こんな風景は、誰にでもある思い出であろう。でも私の息子の世代はどうだろうか。
季節の折り目、節目を味わったことは学校の試験か、スキーシーズンぐらいだろうか。この半世紀日本人が失ったものの一つに季節感がある。お菓子の世界でも、ケーキ、チョコレートが大手を振っている。しかし、和菓子には季節感がにじんでいる。


 春、ヨモギが萌える頃は草もち、花見の頃には桜餅、その前に梅の匂うころに、のし梅があり、五月には柏の葉にくるんだ柏餅、牡丹の季節には「ぼたもち」秋に転じては「お萩」。ハレの日の家で作った牡丹餅は、一緒に食べた家族の顔が浮かんでくる。もちろん、千葉神社前の豆大福、東千葉駅前の特大おはぎ、大多喜駅近くの餡のいっぱい入った最中も最高。米屋の塩大福、佐原の和菓子たち、いずれも庶民派のとびっきりの味だが、これとてハレの日に田舎で食べた手づくり牡丹餅にはおよぶまい。


 は枝豆ふかして皮をはぎ、すり鉢で摺りつぶして餡にして、もち米を包む世に言うずんだもち(豆打もち)。団欒のお菓子の筆頭だ。漬物とも合性がよい。 夏はまた水菓子、お祭りの綿菓子、ところてん、秋は上記に加えて柿やサツマイモ、葛、ごぼうにちなんだ菓子は、ごまんとある。新年は、花びらもちからはじまる。


 和菓子屋をのぞくと四季折々の香りやかたち、いろんな模様に色デザインが目に飛び込んでくる。まさに総合芸術品。もったいないのでチビリ、チビリ食べることになる。その道の通に聞くとチマキ一つ作るのも、湿度、気温、水、原料、餡の練り方に細心の注意を払うという。京都の友人(和菓子の京都、岩波新書、著者 川端道喜に詳しい)に粽を頂いた時、和菓子のデリケイトさと奥床しさに恐れ入ったものだ。

 これを機にそれまで「酒も飲めない」という視線をあびてきた私は、甘党を隠すことをやめたのである。

 あと何年生きられるかわからないが死ぬまで庶民派甘党として四季を食したいものである。そしてお果子に限らずに色々な季節の移ろいを味わい、此の世も、この日本も、四街道もこの時代も生きるに値するところだったと言えるようになっておわりたいものだ。

 最後に一言。酒飲みの元気な皆さんに。

季節をおって仲間と飲む酒は、格別のことでしょう。でもね、お菓子もたまにめしあがってはいかがでしょうか。いま甘いものがお嫌いでも幼い頃のおもいではきっとあるはず。金子みすずの詩にかたらせましょうか。よくこの詩をよめば貴方の中の自然(じねん)が目覚め、甘党に寛容になることうけあい。甘酒も酒のうち、甘の季節が待ちどおしい。

  いたずらに一つかくした         おいてみて    

  弟のお菓子。              とってみてまたおいてみて

  食べるものかと思ってて、        それでも弟が来ないから

たべてしまった             たべてしまった  

一つのお菓子              二つ目のお菓子

母さんが二つっていったら        にがいお菓子

どうしよう                 かなしいお菓子

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いのちはみな尊い。ある牧師から刺激を受けて

 いのちはみな尊い。ある牧師から刺激を受けて

キリストが言う「右の頬をぶたれたら左の頬をさし出す」と

一方キリスト教信者「正義の戦争  報復戦争  戦争準備」を叫んでいる  

「右のほほをぶたれたら左の頬をさし出せ」「汝の敵を愛せよ」と キリストは言ったとい

う。「剣をとるものは剣によって滅びる」ともいった。「滅びる」とは命が滅ぶだけでな

くアメリカの『イラク帰還兵が』明らかにしているように人間性も滅ぶのである。以下の

プログはそれを余すことなく示している。

戦争とはむごいものだとつくずく思う。

証言1> http://www.youtube.com/watch?v=vv7zg7Q06hc&feature=related

証言2> http://www.youtube.com/watch?v=q9mrdnX6r3M&feature=related 

証言3> http://www.youtube.com/watch?v=r_OFNXEYFvM&feature=related

昨12月米詩人アーサー-ビナードは私のまちでの講演で「右の頬をぶたれたら左の頬をさし出す」、というキリストの教えを誰も実践し検証していないと看破した。なるほど歴史の事実は左の頬をさしだすのではなく宗教の名で(権力者が宗教を利用して)の戦争の歴史であった。そして今も続いている。

キリスト教原理主義者を国家中枢にすえたブッシュのアメリカはイラクに侵攻し、おびた

だしい無辜の人々を殺した。十字軍になぞらえて正義の戦争とまで宣言しアメリカに味方

しないものは敵とも言ってのけた。私はテレビでブッシュがそのように語っていたのを暗

たんたる思いで聴いたものだった。

イラクは大量殺戮兵器を持っていて9.11テロのアルカイダを支援しているというふれ

こみだった。程なくそれがうそだと言うことが全世界に明らかになった。イラク侵攻後6

年目にアメリカではブッシュを批判したオバマが大統領に就任することになった。でもま

だアフガンにこだわり一層深おいしていると報道されている。アメリカがベトナム、イラ

クのような泥沼に陥り始めていると。

軍事によって何も展望は示せない時代に入ったのである。日本はどうするのか。

核の時代のいわゆる『正義の戦争』は世界を破滅に。

「キリストは決して国のためなら人の命を奪ってもよいとはいわなかった」と記したキリ

スト教信者の作家三浦綾子の言葉が浮かんでくる。軍国教師だった反省の上で人々に『徴

兵は命かけても阻むべし祖母母おみな牢にみつるとも」の短歌を紹介している。「命はみな

尊い」と言うもっとも人間的でプリムティヴな言い方でかたりつづけることによって「国

のためなら人を殺してもよい」「人を殺せば栄誉になる」と言う軍国主義の台頭に警告して

いるとみた。

私はキリスト信者ではないが 生死の深みにおいて内省し社会を見ようとしている宗

教家に敬意を持つ。最近知り合いになったばかりだが若い牧師の教示に期待したい。機会

が許されるなら又話したいと思う。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

故郷 があって私が在る 3年前に書いたものから

故郷 があって私が在る  (3年前に書いたもの)

   

育ったところに行ってきた。病院で病に臥す人としぜんに幼いときの話になった。(注)。生家の隣の人の消息やまわりの町名や街並みの話がでてきた。町名では城下町仙台に特有な定禅寺 花京院通り 鉄砲町 二十人町 車通り 遣水町 空掘町 新寺小路に寺小路 霊橋と評定河原 などなど次々に出てきた。久しく忘れていた様々なシーンが浮かび上がってきた。全てがなつかしい名前であった。色々な仲間と遊び行きかいしたところだった。

しかしそれらの地名は数十年後の今では殆どなくなり、「番号町名」になってしまった。町並みもすでに変わり果てた。何か大事なものをうしなったような気分に襲われた。

このような感慨は誰にもあることであろう。年寄の単なる感傷でないことを意識させたのは「題名 ニ人称の死 浅見洋著」の書物だった。 人は誰だって親しい人、愛する人の死に遭遇するほどつらいものはない。それは、生前にその人と〝私〟いいかえれば〝あなた〟と〝わたし〟の親しい関係、対話があってのことだ。でも見知らぬひとのそれはどうだろうか、なんとなく他人事となってしまう。著者は人間の尊厳への思索を「二人称の死」へのむきあいから始まったとして鈴木大拙を解説する。

そこで私は「人」を「ふるさと」におきかえてみた。

私の故郷など他人にとっては何の変哲もないただの地域であろう。が私にとってはかけがえないものでとにかく懐かしい。私は故郷を出てから45年。青、壮年期はたまにしか省みる事はなかった。私と同世代の多くの人たち(つまり経済の高度成長時を経験した世代)も故郷をたまにしか省みなかったのではないか。「故郷」に含意される意味を疎んじまった。結果として人間が手段化し生活が目的にはならない面白味のない日本社会作りに加担してしまったともいえる。今社会から様々な社会的病理現象 格差 排除社会の事実をつきつけられている。 私はその背景に「ふるさと」と「景観」を喪失させた列島[開発]があると思えてならない。よるべき心のふるさとを奪い浮遊させてしまっている。生活から心を取ったら荒廃がまっている。そんな中先行き不安から強い政治権力を望む風潮すらみられる。

故郷・自然 街並み 景観  そして近隣 の人々  何よりも子供たち との「親しい関係」を作ることを阻む長時間労働 雇用形態を根本的に変えること抜きに活路はみいだせないであろう。 まず私自身のこれまでの立居振る舞いも問われることになる。周りとの親しい関係 「 貴方がいて私がいる」に加えて「故郷」も 「地元の自然」も  「近所」のひとも 「医者」も 「福祉」もみんな「二人称の関係―あなた的関係」になるようにすることであろう。そうかんがえると 先達が沢山おられることにきずく。自分の持ち場で、脚下ではじめているひとたちである。

さて5年前ひょんなことで自転車事故に遭ってしまったるくる、めまいから数ヶ月ぶりにやっと解放された。命拾いをした。鈴木大拙の言葉に「息を吸うのも快楽なり」がある。ベッドにいたときも感じた。息を吸う時の気持ち良さにはたまらないものがある。 前掲の本(

ニ人称の死 浅見洋著)で呼吸は大変な意味を持つ言葉だと知った。人生の「肯定も肯定」,大肯定を意味している。なるほど「息を吸い、息を吐くことは私を取り巻く環境と共生していることを端的に示しているという。その意味で私も生物的生命なのである。環境倫理としても重要視されるテーマであろう。同時に呼吸は「再生」そのものであり、社会(歴史的社会)を場として生きる創造的な「つくりつくられていく」個である、ともいう。こう理解すると歴史的社会の中で、生のリレーランナーとして、喜びを持っての「使命」に生きることができるということになる。「昔があって今がある」「未来があって今がある」〝いま〟〝ここ〟に生きる意味もうかびあがってくるというもの。歴史的社会的生命観においてはじめて成立する考え方なのだ。私の読みが浅いとしても素直に理解できたのは事故に遭ったおかげかもしれない。でも自転車事故にはきをつけよう。

(後記注 この文を記した1年後その人は3・11の大震災で津波にのまれ10日後遺体で発見された。兄であった。陸奥のなじんだところはしんぎんしていた・亡兄とは改めて対話したくてはならないだろう)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

福島原発事故の真相隠蔽は何故行われてきたか。2011-9-1 TH

本音  命よりも利権を大事にする為政者の本音。記者会見で

○原発の再稼働しないとことは「もったいない」、次期東電社長

○稼働は株主に対する「社会的責務」・・・・・中電社長

恫喝

○稼働しなければ日本の集団自殺・・・・・仙石

       命よりも利権を大事にする為政者の言葉に ぞーと。

昨年9月1日に書いたもの再掲載。

福島原発事故の真相隠蔽は何故行われてきたか。2011-9-1 TH

Ⅰ初めに

原発をなくす道を選択し始めた世界

痛ましい災害や事故にはそれにいたる経過があり原因があります。福島原発事故は単なる偶発的発生ではないことは今やだれの目にも明らかです。

この「人災」の解明抜きに日本の未来は暗澹たるものになるでしょう。地震は、止めることはできません。しかし人災なら普通の私たち人間がただせるはずです。福島原発事故を契機にドイツに続いてイタリヤが国民の圧倒的賛成で原発をなくす道を選択しました。世界の流れは、追い風です。

2 しかし日本はさらに原発事故に直面する危機下にあります

沖縄を除いて 日本人のほとんどは原発から半径100キロ以内にあります。欧米の2千倍の地震発生国に住んでいます。福島原発は収束していません。今も余震下にあります。福島原発は「安定してきている」と最近情報しきりですが、実際は「安定して」高濃度汚染水が蓄積しつづけています。5か月過ぎても収束のみとうしは次々に先送りです。あのチェルノブイリ原発も1か月で石棺で覆われました。ただただ収束を願うばかりですが手をこまねいて傍観するわけにいきません。

私たちが住む千葉も地震発生率87%地帯の東海地域に連動し、また発生率70%の首都圏県直下型地震の関東地区にあります。また郷里に思いを馳せてみるとぞっとします。私の場合は100万人口都市仙台が近い女川原発が気がかりです。女川原発は震源地から120キロにあって福島原発よりも東日本大震災の震源地に近く3・11の地震では1時電源が止まったと言われています。調べたいと思っています。(写真)

(注 沖縄の核。日米密約がそれを進めた元外務省幹部によって公になっています、米軍の核持ち込みは公然の秘密です。)

3 原発容認の強引なすすめ方に注目したい。

脱原発はエネルギー危機に陥り国家の存亡に直結する」

政財界の権力者たちは、まるで偶発的発生であったかのように「1000年に1度の、想定外のことだった」としたうえで原発施設の津波対策をやれば再び原発を推進できるとしていることです(浜岡原発再開を巡ってのときの中部電力会社社長の主張ほか)

政財界の権力者たちは、目先の単純な「脱原発は」――「日本の国際競争力に響く」――「脱原発はエネルギー危機に陥り国家の存亡に直結する」としています。・・これは脅しの論法です・・。

つまり、目先の原発是非論は「日本経済や国民生活を根底から壊しかねない」…という大上段な論陣を張り、国力を落とさない「解」、つまるところ国民に原発容認を求めていることです。これはあなたの今の生活は壊れますよという脅し以外何物でもありません・・・

4 核燃料の最終処分のめどもない

世界には放射性廃棄物の処理技術がなく、その見通しも全くありません。・・・しかしアメリカがしているように本当は日本でも原発使用燃料プルトニューム生成で原爆製造、転用を狙っていたという指摘をする人もいます・・・放射性廃棄物を宇宙空間に飛ばすこと、地下深く埋めることを本気で志向しているから驚きです。・・・・・・こうした中で日本政府、役人、財界、学者、報道が1体となって原発を推進してきました。原発公聴会はやらせでした。佐賀県知事が九州電力とともに自ら手を染めていました。つぎ次のぜんこく各地のやらせが判明していきました。その根深さは想定を超えます。

5高いコスト

日本は原発廃棄物を抱えトータルではすでに何兆円の高いコストがかさんでいます。

原発による発電コストは安いとされていますが、廃棄物処理にかかる青森六カ村、原発地行政への多額な交付金、補助、賠償なその何兆円の高いコストは事実上国が負担してきました。国民の税金です。又電力会社は料金の値上げでコストを賄う仕組みになっています。日本の原子村の企業にとっては高コストは基本的に痛くもかゆくもない仕組みになっていたというわけです。専攻する経済学者はそのからくりのべています。昨日登場した新内閣は「国民経済や国民生活を根底から壊しかねない」消費税増税を政治目標にしています。

結局「脱原発は国家の存亡に直結する」国際競争力に響く」「日本経済や国民生活を根底から壊しかねない」は、「原子村」の利得を守るため手の込んだすり替えの論理でした。これを克服するためにはどうしたらよいのでしょうか。みんなで知恵を集めるときです。

Ⅱ これまでの原発推進経過を知ること―

歴史は安全な未来運転のバックミラー(早乙女勝元)

原発推進の為政者ないし論者は、「石油・石炭の化石燃料が枯渇する」「地球温暖化対策のため」原子力の平和利用が必要であり、無資源の日本だからという名目で「エネルギーの50%を原子力で確保」を目標に膨大な国家予算を使い、法律を作り進めてきました。

それに沿って学校での原発必要の教育も進めました。テレビなどマスコミの宣伝も大々的に行われました。さらにヨルダン、ベトナム、などへ原発の輸出に乗り出そうとしています。一方ウランは有限資源であること、50年で枯渇すること。核燃料廃棄物の処理が全くできないことを事実上隠したままでした。まさに東京電力など政財界の目先の利得のために「お金と権力の真綿」で中央・地方を問わず日本社会をしっかりしばりつけてきました。その中で「安全神話」を振りまいてきました。写真

2  311日、ついに起こるべくして福島原発事故が起きました

        後手に回る対応、不安の増大 事実隠蔽

隠蔽はすぐに始まりました。何故でしょうか。ことの経過を追っていくと原発を廃炉にしたくない。原発開発を進めるためだということが見えてきました。(注2経団連会長会見、地震直後の3月15日)

3月11日、事実隠蔽がすぐに始まりました。政府などは、水素爆発3回の世界最悪レヴェルの事態なのに、「単なる事象のレベル3」「直ちに体に影響はない」と強弁したのです。

事態を掌握した世界各国、とりわけ米軍は80マイル以遠にすぐに避難し、各国は自国民に帰国を促しました。3月20日会う予定だった私の知人も帰国しました。

5か月の間にご承知のように隠されてきた事実が次々に小出しに出てきました。

今では外国がとった措置が正しかったことが判明したといえます。犠牲は福島県中心に顕在化し始めましています。

「日本の原発は安全」

「日本の原発は安全」であるという自己呪縛も重なり、対策は後手後手に回り、原発周辺の人はヨウ素も服用させないまま、故郷を追い出されました。又にわかに食品の暫定の基準を設け 基準値以下であるとの発表を始めました。1ミリシーベルトまでとする日本の法律に違反する20ミリシーベルトに上限を広げました。こともあろうにそれを子供に適用しました。これに対し原発推進派と目されていた東大教授が内閣府の委員を涙の抗議で辞任会見し、又外国の研究者などから内外から山のような抗議に晒されました。原発で働く人には250ミリシーベルトに広げました。セシュウム対策が不備で牛肉、牛乳、に広がっています。土壌除染が必要な地域は福島だけでではなくなっています。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

「春よ こい  ホータル こい」

          待つ時の気持ち  

「良い子の皆さん、まもなく5時になります。気をつけて家に帰りましょう。

夕方5時、どこからともなく、聞こえてくるのが子供たちに帰宅を促す有線放送の声である。私の小さい頃はどうだったろうか。夕闇迫る頃 遊びほうけている私を探しに空き地まで母や姉がやって来て「ごはんだよーーはるおーごはんだぺさ」と。もっと遊びたい僕には恨めしく聞こえたものだった。しかし親父の一喝が怖いせいもあってか、お腹も空いたこともかさなって、6歳から11歳までの小学生7,8人の仲間も僕もパッと飛び散るようにかえったものだ。「からすと一緒にかえりましょう(夕焼け小焼け)」なんて悠長に歌ってかえる場面ではなかった。最も「空にはきらきら金の星」が輝いていたはずだが。

あれから半世紀以上隔てビルに囲まれた生家の空にはキラキラ星も夕焼け情景もすでにない。

みそらの夕方

「みそら」の今はどうだろうか?チャイムが鳴る寸前に散歩にでてみた。いない、こどもがいない、どこにもいない。小学校が近くにあるから子供がいたっていい筈だ。やっと新築入居が10数軒ならぶ宅地の路上でボールけりをやっているのに出会った。チャイムなんぞ聞く耳持たない健全な「良い子の皆さん」にホットしながら成山の森に足を伸ばした。私はこの森に惹かれたこともあって19年前引っ越してきた。しかし十数年このかたこの森で子供に出会ったことがない。森から子供達がいなくなってどのくらいたつのか。「みそら」の対面に展開する成山の丘陵で畑作を営むAさんやSさん(ご両人ともTさんとともに毎週日曜日みそら朝市に新鮮な野菜を出しみそら住民に喜ばれている方たちなのだが)に散歩中に畑でよくであった。焼き芋をご馳走になりながら聞いたことがある。「わしらの子供時分この辺はうなぎ なまずがいっぱいいてよ。青年時分ではなにかあるとよくとって皆で食ってたなー」と。もちろんホタルもわんさかいたという。ホタルだけは連綿と続き1昨年は約400尾昨年は200尾カウントされている。今年はどのくらいいるか。みそらの同好会の方々と調べることにしているが年々減少しているだけにとても不安だ。照明光や水の汚れや耕作放棄地などがホタルに忌みきらわれているらしい。

旭丘とみそらのホタル

 四街道に引っ越してきた頃ホタルを求めて散歩の範囲を旭丘にのばした時のこと。草むらに隠れて子供の通るのを待っていたIさんに出会った。なんとたまたま通った子供の前にふいに飛び出しホタルのところに導き見せたのであった。Iさんのこの行為 この気持ちが後々ホタルの生息地をまもる取り組みにつながっているとみる。みそらはどうか。旭中学校下は四街道一位のホタル数を誇るところだ。ゴミに心を痛めていたTさんの提起で『四街道きれいにする会』がホタル生息地のゴミかたづけをした。続いてみそら住民のMさんらが「生息地の整備」に人を誘っている。私は腰痛がひどく見ているだけで申し訳ないのだが、通る子供にホタルをみせることはできる。何年か前Iさんに習ってやったことがある。通りかかった二人の中学生にこぶしの中にホタルを隠しておいてふいに目の前に突き出した。ウワーと声を立て感動とも感嘆ともつかない様子にこっちがびっくり。「どこに住んでいるの?」ときくと上を指してここ「みそら」という。そばに住んでいてホタルが身近に見ることが出来たのに。もったいない。

一列縦隊で家路を急ぐ子供たち と むくろじの悪がきたち

さて先の散歩に話をもどす。成山を降りて住宅地に入ってきたところで「プール学校」名の送迎バスが子供をおろして走り去っていった。また有線放送の『良いこの皆さん~』が頭をよぎった。良い子の皆さんはこの時間、「外」にはいないのである。少なくてもこの地域に関する限りいない。にもかかわらず「良い子の皆さん、家に帰りましょう」と呼びかけるのは『暗くなると危険ですよ、お勉強の時間ですよ』 もしかして外にいるかもしれない子供たちをそういって追いかけまわしているようにきこえてくる。

そういえば下校時大人を先頭に一列縦隊で家路を急ぐ子供たちに出会ったのもこの地域であった。事件が続発しているのでやむをえない措置だとしても、学校と家の間にある道草も自然もおしゃべりも消去した光景であった。のびのびと遊ぶために生きている子供の人権を奪った光景でもあった。その翌週久しぶりに鳥の下自然公園に立ち寄ってみた。誰もいない静寂さがもつすがすがしさにホッとする。しばらくして6人の子供が自転車でやってきた。網の中にザリガニをいれている。他所でとってきたザリガニをここで放し、ここでとったザリガニをそこに持っていくのだという。意味はわからないが彼らなりに想像をたくましくしているのだろう。こう見ると夕闇迫る頃も毎日多くの子供たちがきていることがうかがえる。いまどき数多のゲーム機器をしりめに子供たちをひきつけるものは身近な自然であり ザリガニ(生き物)であり 静かな空間であり昆虫などではあるまいか。子供はいい場所いい機会がありさえすれば本性は昔とちっともかわらない。せっせと鳥の下のムクロジづくりをしてきた人たちはいまホタルと共にこんな子供たちを待っている。

 

ホタルこい。早くこい  待つということ

幼児のころ霜柱を裂くように水仙の芽がではじめたのを庭先で見つけたときのワクワクした気持ちが60年過ぎた今も確かにのこっている。冬は「もーいくつ寝るとお正月」をうたい春は「菜の花畑に入日薄れ」秋は『里の秋』を口ずさみ晩秋は『ふけ行くー秋の夜』次々に季節の移ろいを感じさせる歌がたくさんある。いまどきの子供に叙情中心の歌ははやらないと思うが、わが世代は子供から季節感を奪ってきて、「もっと早く」「もっと多く」「誰よりもできる」ようにとせきたててきた罪は大きい。「待つ」ことで心豊かになることを忘れてきたようだ。

(レーチエルカーソン ・センス・オブ・ワンダーより)

・・・・・・子供たちの世界は、いつも生き生きして新鮮で美しく、驚きと感激に満ち溢れています。残念なことに私たちの多くは大人になる前に澄み切った洞察力や美しいもの、畏敬すべきものへの直観力を鈍らせ、あるときはまったく失ってしまいます。・・生まれつき備わっているセンスオブワンダーをいつも新鮮に保ち続けるためには、私たちが住んでる世界のよろこび、感激、神秘などを子供たちと一緒に再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、少なくとも一人、そばにいる必要があります。・・子供たちが出会う事実の一つ一つが、やがて知識や知恵を生み出す種だとしたらさまざまな情緒や豊かな感受性はこの種をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子供時代は、この土壌を耕すときです。・・・・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ガキのころは馬鹿だったなーほんとに

ガキのころは馬鹿だったなーほんとに

その一 小学校時、私の家は始業のベルがなってから走っていっても充分間に合う距離にあった。何時も家の周りで仲間と遊びほろけてから教室に駆け込んでいた。授業が始まった。あれっ教科書が入っているランドセルがない。遊びに出たまま教室にきてしまっていたのだ。忘れグセは今も続いているが源流はこれかも。

その二 どこの家も昔は縁側があり子どもにとってはいい遊び場だった。例えば男の子たちがいっせいに並んで庭にむかってどこまで飛ばせるかの競争をしたものだ。下でアリさんの滝のぼりがあったかどうかは思い出せない。

その三 銃器を装備したジープで米軍(当時は進駐軍)が仙台のまちまちに威嚇のためかまわっていたが飢えた子どもたちはチュウインガムをばら撒く米兵にハローハローチュウインガムといって群がった

。私の名はハルオ。いらい私のあだ名は長い間チュウインガムになった。父からは卑屈な真似はするなとえらい剣幕で怒られ(蔵にいれられたり)友達からはチュウインガムといって囃し立てられ自分の名をうらんだ。

でもねエ、ハルオのハルは本当は晴れやかの晴、隣に住む詩人がつけてくれたものだった。自分の名前をうらんだガキのころはやっぱりバカだったのかなー、ほろ苦い想いがいまもうずく。やっぱり戦争はだめだよ。

003 近くの川村美術館の庭園にて。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)