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2013年12月

子供たちに語る、八月六日・ヒロシマから 被団協代表 岩佐幹三

資料 岩佐幹三 「子供たちに語る、八月六日・ヒロシマから」

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子供たちに語る 8月6日・ヒロシマ

 

 ・・・前略・・・・・中略・・・・・・・・

・・・妹を毎日のように探し歩いた僕も、丁度一か月たって急性症状で倒れました。身体じゅうに赤い斑

点が出て、歯ぐきや鼻からは出血し、喉が焼け付くように痛み、昼も夜もわからぬ日が続きました。十六

歳という若さからか、何とか回復することができましたが、あの死を前にした不安は忘れられません。その後も悪夢にうなされることがしばしばでした。

 多くの被爆者が、死の淵を何とか乗り越えてきましたが、原爆の魔の手はその後も引き続いて被爆者の

「からだ」「くらし」「こころ」のすべての面で襲いかかっています。被曝後四十数年のあいだ、被爆者

は、様々な不安と死の恐怖にみちた「つらい生」を背負わされてきました。特に昭和三十年代後半から

は、ガンにかかる率、死亡率が一般国民よりもはるかに効率となっています。また、先の日本被団協の調

査では、およそ四人に一人が「こんなにつらいのならあの時死んだほうがよかった」と生きる意欲の喪失

する感じだったことがあるという体験を持っています。今なお被爆者をそこまで追い詰めているのです。

 あの日、原爆はこの世の地獄を作り出したといわれますが、生き残った被爆者にとっては「生きるも地

獄」なのです。このような原爆、核兵器の被害を許してよいものでしょうか。原爆の被害は、国の戦争政

策の結果もたらされたものです。国にはあの戦争に対して責任があることを明確にしなければなりませ

ん。だから被爆者は四十数年たった今も、核兵器の廃絶と被爆者救援法の制定が求めて運動を進めている

のです。援護法とは、日本国政府が「再び被爆者をつくらない」ことを世界の核国政府の先頭に立って訴

える、その決意の証となるものなのです。

 こういうことは体験者でなければ語れません。語り継ぐことは大変な仕事ですが、それは人類の未来に

かかわる問題です。被爆者は、そのような歴史的使命を担っているのです。そして、それを受け止めてく

れる世代、それはみなさんをおいてほかにありません。被爆者にはもう時間がないのです。被爆者が死に

絶えたら、だれがこのことを伝えられるでしょう。みなさんが、被爆者が抱える問題と要求を自分の問題

として受け止め、自分の周りに伝え、次の世代に残せる人々の結集に努めてくださることを期待したいと

思います。

                     (金沢大学名誉教授 岩佐 幹三)

資料 岩佐幹三 「子供たちに語る、八月六日・ヒロシマから」

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寅さん大好き

寅さん大好き

 

 ―亡くなってしもうて  ―1996812

     

どうせおいらはやくざな兄貴

わかっちゃいるんだ妹よ

いつかお前の喜ぶような

強い兄貴になりたくて

今日も涙の、今日も涙の日が落ちる

日が落ちる

僕「ねえ寅さん、死んでしまったんですか。せめて、”達者でな、あばよ”ってくれえのことは言ってもらいたかった。あまりにも突然で何とも…」

寅「すまん、すまん。断らないで死んじゃってね。少々疲れちゃってね。これも風の向きってことよ。勘弁してくれよ」

僕「ここ二十年来、寅さん映画を見ては“ほっ”だ。おかしくって。面白くて、暖かくて」

寅「無知で、愚か者で、馬鹿な僕をながくひいきしてくれてありがとうよ」

僕「とんでもない。ありがとういうのはこちらです。愚かな僕らに 相手を思う気持ちの大切さを教えてくれたのは寅さんですよ。おいちゃん、おばちゃん、ひろし、さくら、みつお、たこ社長、いつも喧嘩していたね。相手を思うあまりのけんかにいつも涙してました。ほんとにありがとう。」

寅「へへ・・・(もじもじ)」

僕(寅さんは常に相手の幸せを自分の幸福と考える立派な人なんですね。心が何時も開かれていて、そして無欲…)

寅「実は僕はキタナーイ人間なんだ。助平なんだ。ダメな男なんだ。」

僕「とんでもない。助べえなんだが、人の心を汚せない、キレイナ心を持っている、そこが何とも言えないね。だからみんなが人間として共感を持てるんですよ」

寅「それはエラーイ監督の山田洋次さんのおかげです。さいわい元気だからこれからももっと笑いを作ってくれると思いますよ。」

僕「寅さんはいつも旅してたくさんの人や川や海や山など自然と出会いましたね。であって、かかわって、見捨てておけなくて・・・。おかげで見えないものまで見えるようにしてくれました。そのことで、生きているっていいな、人間っていいなと思えるように勇気を与えてくれました。」

寅「兄さんうまいこと言いますね

僕「葛飾柴又や旅先の名もなく目立たない口下手な人たちに心を寄せ、そんな人たちの内側に潜む素晴らしいものを見せてくれました。」

寅「おいちゃんの作った団子うまかったろう。げんちゃん、あいつはばかでね、・・・」

僕「どこでもだれとでも仲間になることができる。そんな心を持っているっていいなあ。体が自然にそうなっていくんですね。そんな思いにいつも引き込んでくれる寅さん、本当にありがとうございました。しばらく休んでください。」

 さて、あなたは渥美清の突然の逝去に何を思ったでしょうか。

 確かに”男はつらいよ”の画面は現実を超えた架空のものでした。しかし、あれほど私たちに共感を与えた世界はいったいなんだったのでしょう。監督の山田洋次が言うようにこういう寅さんのような人物は今日の競争社会では落ちこぼれの何物でもなかったでしょう。利益優先、物質優先の社会の中では見知らぬ人とのコミュニケーションはおろか、家族や近い人たちとの触れ合いの機会も少なくなり、よそよそしい社会がますます広がっています。この中から、子供のいじめや、自殺、不登校など、これまでの歴史になかったことが表面化しています。自然破壊や犯罪の増加など社会病理が広がりました。人間そのものが破壊されているわけです。

 しかし、そうした世の中だからこそ、助け合ったり、協力し合うことを望む人たちも一層増えてきています。寅さんへの共感はそんな社会背景があるといえましょう。

 コープはその目的を「ともに生きるくらし創り」にしています。努力方向として「ともに」をすべての価値にしようというわけです。

 寅さんも山田洋次も助け合いや笑いのコミュニケーションが多い社会を願って「男はつらいよ」を作ってきました。その動機は根っこのところでは私たちと同じではないでしょうか。山田洋次の「映画のつくり方」コープの「つくりかた」、つまり、仕事のつくり方はどっかで似ているのではないか。そんな思いで山田洋次の書かれたものを探してみました。      以下略

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