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じーさんのフクシマ認識  その2

浜通りを仲間と一緒に見てきました。

日本どこにもない異様な世界にかわりはてていました。全国3位の面積をもつ福島の浜通り

・猫・カラス・小鳥・犬がいない。動くものがない。・音もない世界って本当に不気味ですね。日本どこにもない異様な世界にかわりはてていました。(いわきからの浜通り

 

見渡す限りの雑草、まったく見えないあぜ道。かって黄金色に輝いたはずの田んぼの今をみんなでみました。

・遠くに、フクシマ第1原発の排気塔が見えながら、漁とり40年のSさんは、海にカモメがいなくなり、港に魚のにおいがなくなった。人がいない瓦礫の海を前に語ってくれました。それぞれに失われたものの大きさ、奪ったものの、巨大さをおもいました

◎人々を寄せ付けないままの古里。ここは原発立地町

・冨岡駅線路の上に生い茂る雑草、真っ赤にさび付いたレール、傾いたホーム・朽ちた駅舎。ここは原発立地町。駅前商店街の壊れた多くの看板。人息の気配が全くない、繁華街と民家の惨状、 津波が根こそぎ奪った人家の跡・あと、跡・嗚呼ー・その上に蓄積した放射線、2年間人々を寄せ付けないままの古里。・持参した計測器がけたたましい音を立てた。関東で2年間図ってきたなかで最高の線量でした。匂いを音もない。海が目との鼻の先に迫っていました。

 

◎請戸の悲劇

・助かるのにむざむざ置き去りにされた犠牲の多い請戸の悲劇

・まるでお城のような痕跡を残す浪江町請戸小学校校舎、交付金の行き着いた姿・被災後のむざんな姿。300人の児童たちはいま全国27箇所に?・

上下2m断差が生じた

人が住まない楢葉町が一望できた。森の向こうにある第1原発。楢葉町の600年続いた宝鏡寺の墓地高台。高台からおりて小川に沿っていくと大断層2mの高段差ができているという。東電は原発建設にあたって断層があることを知っていたが3万年以上動いていないということで問題にしなかった。しかし今回の上下2m断差ができた事実で覆されることになった。福島原発周辺には3つのよく知られた巨大断層が走っているという。

・浜通りの病院で働いているKさんがここに連れてきたわけが痛いほど伝わりました。真実を知ってほしい、事態は厳しくなっている事実を、忘れないでほしいと。

安倍首相は国を代表して  福島の状況は「The situation is under control」(状況はコントロール下にある)と発言しています・「健康に対する問題はない。今までも、現在も、これからもない」。「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」。「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされてる」。「福島近海でのモニタリング数値は、最大でもWHO(世界保健機関)の飲料水の水質ガイドラインの500分の1だ」。と

     福島の人たちは怒っていた。当日報道は汚染水は「打つ手がない」と報じていた。見え透いた嘘の破綻。

私は突き上げてくるような怒りがこみ上げてきます。同時に福島から学ぶ事の自覚不足です。

私たち東北・福島県外のものは、3・11から支援という言葉を使ってきました。尋常でない災害地に対して支援というのは人間として自然なことでした。しかし2年半を経過し、マスコミの取り上げも減少するにつれて支援の熱は冷めたかにみえます。しかしフクシマの事態が正しく伝わらないことで福島は風化被害に遭っています

「福島にいってきました」と街で知人にあって挨拶すると「もう福島は収まったの」の返事。 一瞬びっくりし福島認識の温度差に愕然としました。次にであった人もそうでした。福島双葉町から避難されて2年半のTさんも「まだいるの」の視線があるという。かくいう私も 避難されたかたの苦しみや・月1度の割でふくしま・宮城にいっているとしても福島の人の現実を知り理解していないのです。

しかしながら私らは福島の被災者のおかげで、というより尊い犠牲で原発事故の恐ろしさを実感してきました。その中でわたしは支援という言葉に違和感を感じ始めました。こうです。支援というと「当事者や当該地の外側にいる人からの支援です」が、一方的な支援は時が経つにつれ、継続的でなければ忘れられていきがちです。みんな忙しく、生活で精一杯だということもあるでしょう。 こういう中で 「 ただちに影響はない」から始まってフクシマは「収束した」とか「いまもこれまでも、これからも安全だ」、「世界1の技術持つ日本は輸出もできる」とときの首相のお墨付きがあり、マスコミは政府発表の情報中心のテレビや新聞に内容になってきました。国会議員の多数は原発推進を取すすめるようになった。フクシマの被災地と被災者から学び真相を知って一層運動を広げることが活路となっている。

政府の事実隠しは広島長崎の原爆投下直後から始まって68年後の今に続いている。死ぬべき人はみんな死んだとして放射線による内部被曝は長期間みとめてこなかった。9年後、第5福竜丸の船員の久保山さんが放射線を浴びてなくなったのを機に原水爆禁止運動(原水協)が始まった。被爆者運動(被団協)も始まった。世界はやっと放射線の恐ろしさを知るスタートにたった。政治は内部被曝を認めざるを得なくなったが、放射線の影響を「小さく」「狭く」「軽く」みせようと努めた。その中で原発への安全神話が作られフクシマ第1原発過酷事故につながった

原発ゼロは国民の圧倒的世論になった。が原発推進・原発輸出を掲げながら経済復興(アベノミックス)への支持で政権を取り原発再稼動・推進へ危険な道にこの国を導いている。原発反対の世論は安倍内閣の高い支持率よりはるかに高い(80%)。原発反対の声が一つになれば時代は変わりうると見ることだできる。困難ななか私たちは希望が見いだせる、そんな時代に生きている。 

ノーモア被爆者  「被爆者支援」でなく「被爆者から学ぶ」  自分のことだから被爆者に学ぶ

被爆者が必死に青年に語りかけて場面に出会ったことがある。ききいる青年たちは、もはや治る見込みのない被爆者がどうしてあんなに心を込めて私に語りかけたのか感想に書いている。「貴方にこんな苦しみを味わって欲しくない。私だけでもうたくさん」、被爆者にとっては孫のような青年を通して人間(命)の継承の希望を語っておられた様子がわかる。大切な{価値}を伝わった。以後この取り組みは30年続いて断えることはない。自分と仲間と人類のための活動だからだろう

フクシマの風化は未来を奪う。

現地に見る浪江・双葉、富岡などの町は警備などで厳重で外にブロックされていた。原発の作業に従事している人たちも同じだという。うっかり飲み屋で口をすべらせないように管理されっているという。「放射線はブロックされてない」 代わりに「人や真実がブロックされている」。行くたびに監視が強化さていることがわかる。真実がブロックされる嫌な時代の先取りだと感じた。

2年半をへても埼玉に6000人、千葉に3000人というふうに16万人が避難している。見知らぬ土地で支援が必要な方々が大半です。であえば風化の中フクシマの現実の一端を知ることができる。福島に現にお住まいの方の厳しさ、生・育・老・死に関わる生活環境は、あすの我が身とつながっている。行けば「いくらなんでもひどすぎる現実に出会えます、 支えあって生きる素晴らしさに出会えます」「集会に参加すれば元気がもらえます」それぞれのできることでの力を寄せ合って行きたい。福島に学び伝える活動・集会に私も参加しています。

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