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巨大地震の発生 私の場合  2011年3月記  そのまま

巨大地震発生に際して    わたしの場合 

 

巨大地震発生に びっくりされ、その後 ラジオに釘づけ状態のことでしょう。今回の地震は広範囲で規模が大きく被害の多様性もあり深刻です。本当に心配です。私は奇しくも公民館でみんなと阪神の地震について語り合っていた真最中でした

私の郷里は宮城県の仙台市です。

 仙台市  石巻市  大崎市  栗原、などラジオやテレビにたびたび登場する被災地には 実の兄姉と家族、多くの親族がすんでおり気がかりです。が一切連絡は取れていません。特に石巻市にはガン術後の実兄が海から600m位のところに住んでいます。早く現地にと、いてもたってもいられません。すぐにも行きたいのですが、行く交通手段もなく、石巻市全体が報道からも、救援についてもヘリから吊り上げの映像以外、今のところ一切報道もなく、孤立状態で安否が気がかりです。

仙台の兄はつい100m先まで津波が押し寄せたと甥から今朝やっと電話がありました。しかし石巻市など他地区のことは不知でした。電気がつかないためか現地は情報難民でした。また大津波警報(陸地に10キロさかのぼる可能性あるとされる)の千葉九十九里浜の海岸から5キロの地点にいる孫たちがいるのですが、連絡不通状態が続きましたが、大丈夫でした。

日本国中誰もが、今回の地震に私のように多様につながっています。

南北400キロ、幅150キロの断層が20m動き マグニチュード9、津波20mの広域巨大地震でした。巨大、広域、多様性が今回の地震の特徴でした。原発の事故が重なります。これからの復旧は並ではなく阪神大震災の100倍のエネルギーの地震ですから何十年もかかるでしょう。追っかけてもともと発生の確率が高い別のプレートが悪さをする東海沖、房総沖、東京直下型の地震発生(京都大学防災研報告で指摘)の可能性があります

今大事なのは 救出、救援これにつきます。被災地には食べ物、水、医療の集中です。

昨夜は手回し発電のラジオを聴き、今朝からテレビを見ています。何もできない歯がゆさの中で阪神淡路島地震の様子がよぎります。

かって私も阪神淡路大地震を仕事もあって直後から何度も現地にいきました。つたない体験から言うと、その時箱物中心の「近代文明」のもろさを痛いほど見せつけられました。阪神淡路大地震から何も学ばないでいいのか。私ものどもと過ぎればわすれてしまっていた口です。震災から15年、バブルがはじけたのち、20年になっています

次に今大事なことは

今、3月11日を機に突きつけられた現実に学ぶスタートにすべきです。1つはあり方です。

この間日本はあげて経済成長の夢を追い国債は1000兆円近くを発行するGDP第一の主義の「建設」国家でした。平たく言えば道路、空港、ダム、リゾート開発など建設の政治でした。ヅケはこれから生まれる子供に一人当たり2000万円を課すものです。それは「強い経済」の名によって菅政権にひきつがれています。復旧資金が利権に利用された歴史もあります。復旧の増税、国債の発行がつづくでしょう。(先日の市議会傍聴で地方こそ、その体質が色濃くとどめていると痛感しました。誰もが賛成する活性化や災害対策といったファジーなことばで建設賛成に引き込むやり方は「税金を建築や道路に使い」「借金をかさねて」いく構造そのものでした。)

今回の地震を契機に国債は国際的に短期にも長期にも減価していくことになるでしょう。紙ピラになる可能性だって否定できません。バブル崩壊後、経済の「空白の十年」が「二十年」に伸び、回復への展望など見いだすことが困難な状況になっています。その低迷状態も今回の地震という衝撃波によってさらなる困難(共振しながら社会基盤の崩壊)が待ち受けていると思います。

先進国といわれる日本を始め「成長・近代化」を狙った国々がことごとく格差・排除が顕著です。開発独裁の国々は貧富の差が著しくエジプトチェニジィヤに始まって崩壊の連鎖に入っています。

助け合うことを社会の仕組みにすることで人間が活かされ、経済を発展させている国があります。よりよく生きるための福祉経済政策に国際的関心が寄せられ、その理論と実践の双方にノーベル賞がでました。(アマテルヤ、セン。フラミン民銀行)。これを機に勉強したいと思っています。

私はあと2週間で73歳まで来てしまいました。今話題の331,第二工区の完成期日するはるか前には確実に死んでいます。(私は331の全線四車線に反対です

仮にあと10年生きたとしても それまで災害で死なないためには 家族と仲間、わけてもまちの仲間が大切だとおもいます。また自分自身での生活する力をどう高めていくか。老老夫婦でできることが問われます

その上で

以下助け合いの工夫をしていく

仲間との社会的なつながりの中で それぞれの考えたことを持ち寄っていく。 私の意見はこうです。

   食や生活用品のための身近な商店の大切さ(買い物に遠くにいけない、持ってきてくれない)買い物難民にならないようにする工夫。

生協の共同購入 ,お店の配達制度。買い物ツアー。バス。朝市。暮らし情報交換

   緊急時の水の確保―団地内井戸マップづくりなどして備えるなど、

火の用心 ろうそくは危険。電池電灯、携帯電池、などなど

    医薬品と寒さをしのぐ毛布など寝具と最低必要用品の備蓄と安全な避難訓練(自治会などで)

    弱い人、子供たち、高齢者、障害者、一人暮らしの住民への最大の配慮を自分の問題としてふだんから勉強していく。 みんなの家ぱお(旭丘)永光苑 あさひ園 社協などでのボランチア。おしゃべり居場所の大切さ(小池元市長はこれを掲げていた)

助け合いの手(高齢者や弱い人と仲良しになることを通して自らも学んでいく)。

   その日のために。安全な避難場所の周知徹底。安否確認情報システム。心のケア。ガス釜での食事作り。お世話係の確保(阪神淡路地震のときおばさん、おじさんが威力を発揮していた)店は安否確認、張り紙情報交換の唯一の場でした。

   懇意なまちのお医者さんと医療機関の確保。福祉と医療の連携

    地元の消防団組織(消防署はあとから  車が入らない、広域で手が回らない)

   避難場所の確保と周知徹底

    災難は長期につづく。(仮設住宅での孤独死)心のケア

仲間がいれば元気がもらえる(被災地の中の笑みはすべてこれだった、人は一人だけでは生きていけない)

●制度としての社会保障と 福祉と医療、介護の社会制度こそ

阪神淡路大地震の教訓

その日のためには普段からの挨拶、見回りできる間柄 、おしゃべりができる居場所 、SOSで飛んできてくれるつながりがまえもってあること。まちの関係が豊かになっていくこと。実はこんなまちが最大の防災でした。

要するに日々、昼間の住民の関係でした。阪神淡路大地震の教訓です。大半の救助はこれでした。おおくは発生から3日間の間に死傷しています。すぐ公的なところに頼るのは無理です。危険です。車が通るようになるのはずっと後です。しばらくの期間、自転車やバイクを使った小さな医療グループやものを届け、救いに出るボランチアが瓦礫の中をめぐっていました。(目に浮かびます)

震源地の淡路島では死亡比率は低かった。隣も知らないような冷たい町ではなかった。活躍したのは全国からのボランティアでした。公的機関が救済に入ったのは後からでした。

三の宮の六車線の道路も壊れました。高速道路もつぶれました。

四街道唯一の四車線投入資金37億円(107億円)のうち1億円でも地域住民の生活の場でのつながりづくりのために使われたらどんなにすばらしいことか。市議や行政に地域の知恵とインフラを創意的に活用する発想はないのだろうか。もったいないことです。

宮城県の死者は1万人を超えると伝えるテレビを聞きながらまたすぐ上の兄の安否が気がかりになっています

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