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東日本大震災地で焼きついたもの。「生き物」の価値

2011年7月14日、四街道の仲間と千葉産の野菜を積んで南相馬市の学校給食センターに行きました。避難所生活に耐え兼ね家族とともに戻ってきた子供たちは体育館を8つのパテーションで区切った教室で給食していました。7_093_6

放射線を防ぐため窓を締切ったままの体育館内教室。酷暑のなかの給食光景。おにぎり、汁椀、1品の3つの食器以前のようにおにぎり牛乳ヨーグルトではなくなっていた最近やっと蛍光灯がついたと、喜びを語っていました。バスで送り迎えの登下校。育ちざかりの子供から(グランドも)と(音楽も)を奪う人権侵害の現実を目の当たりにしました。疎開が必要な放射線に晒されていました。

てこの地域は魚も野菜も空気も新鮮な日常が当たり前でした。都市への食の供給地でもありました。田畑は地盤沈下による浸水の塩分と用水路破壊による干上がり、さらに全土壌の放射線で全市あげて耕作不可へ変貌していました。最初にセシュウム牛肉の発見された地でした。

「私が福島原発から22キロ地点で撮った写真です。生き物の気配が一切ない静寂さは怖いです。人気がないところで靡く4匹のこいのぼりは、見えない放射線を含んだ風に揺れていました。

昆虫 カエル セミ メダカ トンボ・小鳥・・・・など、動く生き物がいない世界は異様です。目と心に焼き付けたものは3・11以降5回訪ねた岩手(宮古)から宮城(石巻)にかけてのリアス式海岸地帯と、仙台から福島原発事故地域かけての海岸沿いの長さ200キロの広大な平坦地域でした。  

動くものの気配がない世界は人々を喪失感に導きます。家を流され、地域のつながりが絶たれ、愛するものを失い、あるいはバラバラになった親族・友人を訪ねた時の経験です。艱難さは福島原発事故地域に一層過酷でした。

放射線はアメンボだって,オケラだってミツバチだって見境なく襲ってきます。そして人間も老若区別なく襲います。ところで3・11直後にすでにレベル7の世界的最悪事故になっているにも関わらず「政府も東電も学者」も「ただちに身体に影響はない」とし、原子炉の構造 (5つの安全装置と修復、冷やす、閉じ込めることなど)の説明に終始してきました.日本経団連の米倉弘昌会長は3月16日、東京都内で記者団に対し、福島第1原発の事故について「千年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」(北海道新聞)と述べ、国と東京電力を擁護・指揮しました。かくて1か月以上メルトダウンなどの過酷事実は隠蔽され、原発維持継続(廃炉阻止)の政策は継続してきました。いま負の影響は国内外に取り返しがつかない広がりを見せ始めています。

しかし多くの人には生き物への視点を欠く科学技術、原発は5つの壁で安全だと過信してはばからない安全神話を作った科学技術思想(自然への傲慢、畏敬の喪失)、そこに経済的利得を見出した政治、経済・マスメディアの原子村があることがみえてきました。科学の向こうに命があること,その技術境界の向こうに生き物があることにもはや無関心であってはならないこと。科学は命のためにあること。経済成長のため命(教育、生活、農漁業林業の尊重につながる)を犠牲にして来た戦後日本との決別への意思が次の時代への分岐点になる。生物多様性への見識を持つ人たちが時代の要請にこたえたる開拓者になるのではないか。原発から8キロの双葉町から避難してきた人が許された2時間だけの帰郷のとき 飼っていた山羊はせんべいのようになって死に絶え、ペットの犬はまとわりついて離れなかったといったまま私の前で絶句した。小鳥やウサギやヤギの身になってみよう。0~9歳の子供と40歳の対比では核放射線の感受性は3~10倍といわれる。生物も子供も何も悪いことはしていない。原発を許した世代の一人として、生きていく意味を仲間とともにしたい。今福島(原発被災地)から目を離せない。 (高橋晴雄)Sdsc03133

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