折りずる サダコ 「千羽鶴 にちなんで
昨年文学座「千羽鶴」鑑賞で刺激されサダコノ両親、先生の証言を記した廣島放送局のかっての本を見ました。
私はサダコの治療費について
、床屋をしていた親が家を売ってバラックに移り住み工面、輸血などすべての治療費に充てていたということに思いは及ばなかった。
国は内部被ばくを認めなかったのでサダコの健康保険適用はなかった。
同じくビキニヒバクの22人の船員も無保証だった。
被爆は医療保険適用外だった。お見舞い金で決着を押し付けた。その50年後四街道で講演した大石又七さんは住まいを東京に写しクリーニングの見習いから初めて店を開きくことになった。わが子の死産・ビキニの船乗り仲間が次々にがんで亡くなっていくことに直面し、これでは犬死になる、闇に埋もれてしまうと、真実を世に訴え始めたのはその20年後だった。
犠牲者は私を最後にしてほしい
彼は放射能で悶絶の苦しみの中「犠牲者は私を最後にしてほしい」と遺言を残して亡くなった久保山の隣のベットで治療を受けていた。その後氏は渾身の努力で著作を4冊書き上げている。
福島第1原発事故のよる損害賠償はどうだろうか。
もともと命はおかねに換算はできない・責任は最後までとってこそ責任だが、国策の戦争・原発は等しく国民の受忍すべきことしてきた。12歳のサダコにどんな戦争責任や義務があるのか。16歳だった船乗り青年の大石さんにどんな戦争責任があるのか。福島の被爆者のこれからを思うとあまりにもむごすぎる国策がある。非情である。次の世界、孫子の生きる世界がこうあっていいのだろうか。いいはずはない。
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