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2013年5月

田んぼ   田んぼ  朝陽の中の 田んぼ   田んぼ  

♪♪♪♪

田んぼ 田んぼ 田んぼ

久方ぶりに朝もやの中近くの山梨の里山に行ってみた

思わず口づさむ ♪♪  ダンゴ3兄弟ならぬ  田んぼ3姉妹

それでは1曲

♪♪朝陽うれしい田んぼ 田んぼ

森を映して  田んぼ 田んぼ♪♪

♪♪空の青さと  田んぼ 田んぼ

オタマジャクシと  田んぼ 田んぼ♪♪

                田んぼ3姉妹

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  • 以下は団地公園
  • 珍しい寄生木
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  • 貴重な四街道らしさを残す 山梨の里山
  • 団地隣接の広範な田んぼは  あっという間に   休耕田・耕作放棄田
  • に様相をかってしまった・工業製品輸出のために 見返りの農産物輸入
  • を進めてきた政府は 全面的に輸入自由化に踏み切るらしい。

見てきたのだがフクシマの圃場の荒れ・村は壊れ・故郷を後にしていく人が続出。

故郷喪失が何をもたらすか。川と山と森・そして海を汚した先がどんな日本が現

れるのか。今が歴史的岐路だと思う・

全国の、千葉の・福島化を危惧し

せいぜい今のうちの日本の風土を味わっておきたい。

ということではあまりにもさびしい。

寒さが和みました。春の美しさを求めることようにしたい。 

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なぜフクシマか

なぜフクシマか 

  53基の原発、世界有数の地震国にて

フクシマ抜きの政治ってなんですか

フクシマを忘れてどんな未来ですか

被災者の目を通してみた原発

被災地の様子が語る原発の実相

被曝者の人に耳を傾けたい

水素爆発の振動で畳が盛り上がり、放射線に追われて避難した人たち

イデオロギーではなく命に直結する事実認識の問題として

原発を推進する日本に生きるのか、脱原発の世界に生きるのか いま岐路。

四街道に避難したTさんと同じ集落の人たちの証言に耳を傾けたい

四街道に避難したTさんにつながる16万人の避難者の一人

佐藤紫華子作 「原発難民の詩」 を受け止めたい  

 

救いたまえ

クリーンエネルギーと唱われて

もてはやされて

今ここに

無残な姿を曝け出して

いるのは何故?

絶対と完璧などは

あり得ない

ゆめゆめ心して

みじめな姿を

救いたまえ

天国が地獄と化した

絵巻図

今も灼熱

その中で働く人々の

命を救いたまえ

それでも「日本の原発は世界1安全」と世界に売り込むのですか

                                                          高橋晴雄

 

佐藤紫華子作 「原発難民の詩

朝日新聞出版  1100円  佐藤紫華子(しげこ) 1928年生まれ 

311日の原発事故で富岡町から避難、9月からいわき市の仮設住宅に住む 

四街道に避難されたT夫人の20年来の華道、茶道の師匠 尊敬する方

             

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折りずる   サダコ   「千羽鶴 にちなんで

Hato

昨年文学座「千羽鶴」鑑賞で刺激されサダコノ両親、先生の証言を記した廣島放送局のかっての本を見ました。

私はサダコの治療費について

、床屋をしていた親が家を売ってバラックに移り住み工面、輸血などすべての治療費に充てていたということに思いは及ばなかった。

国は内部被ばくを認めなかったのでサダコの健康保険適用はなかった。

同じくビキニヒバクの22人の船員も無保証だった

被爆は医療保険適用外だった。お見舞い金で決着を押し付けた。その50年後四街道で講演した大石又七さんは住まいを東京に写しクリーニングの見習いから初めて店を開きくことになった。わが子の死産・ビキニの船乗り仲間が次々にがんで亡くなっていくことに直面し、これでは犬死になる、闇に埋もれてしまうと、真実を世に訴え始めたのはその20年後だった。

犠牲者は私を最後にしてほしい

彼は放射能で悶絶の苦しみの中「犠牲者は私を最後にしてほしい」と遺言を残して亡くなった久保山の隣のベットで治療を受けていた。その後氏は渾身の努力で著作を4冊書き上げている。

福島第1原発事故のよる損害賠償はどうだろうか

もともと命はおかねに換算はできない・責任は最後までとってこそ責任だが、国策の戦争・原発は等しく国民の受忍すべきことしてきた。12歳のサダコにどんな戦争責任や義務があるのか。16歳だった船乗り青年の大石さんにどんな戦争責任があるのか。福島の被爆者のこれからを思うとあまりにもむごすぎる国策がある。非情である。次の世界、孫子の生きる世界がこうあっていいのだろうか。いいはずはない。

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いのちはみな尊い松永伍一 1982年 平和のための呼び掛けけにこたえて

1982年  当時の大学新入生に配られたピースナウヨリ

30年以上前 のもの。時代と人間世界を透視したもの、こんな詩人が100にん居れば時代は動くだろう。輝きは一層増す詩といえましょう。

いのちはみな尊い 松永伍一

こういう状況になったら、もっともプリミテイブなところから問い直すしかありません。「誰のい

のちもみな尊いのだ」という前提に立って、「それでも、なぜ、 いのちを抹殺しようとする核兵

器をつくるのだろうか」という問いを、まず人類の一員である自分に、それから他人にむけて

発することです。

核兵器はよその国の人間を殺すのに使うが、自分は安全であるはずだ、と考えている人が

いたら、それは大いなる誤りです。そんなのんきなことは言っておれません。

核の使用は結果的に「人類の共喰い」をやらせることにつながります。

そういう「人類の共喰い」を阻止するためには、「自分が殺されたくなければ、人も殺してはな

らない」という、子どもにも解る論理に立ち一戻ることでしょう。「核の抑止力」だの「東。西の

力の均衡」といった軍事力学をもてあそぶ者は、 一見きわめて科学的に見えますが、かれ

は「人は死んでも自分は死なない」という倣慢な立場にいて、「人が殺されるときは自分も巻

き込まれる」ということに気がついていないのです。私たちは近代百年のあいだに何度も戦

争をして、数えきれぬ生命を失いました。これからは核戦争になると予想されていますが、そ

の予想は人類破減という取り返しのつかぬ事態を含んでいます。だったら、それを人類の

英知によって喰いとめねばなりません。「いや、人類はそれほどバカじやない。戦争など起こ

らないよ」と言うならば、人殺し用の核兵器をはじめ、すべての武器の製造を中止し、生活を

圧迫する無駄な軍備を撤廃すべきでしょう。これこそ真理にもとづく、もっとも科学的な対

応です。

若い人びとが、こういうプリミテイブな考えに立って「いのちはみな尊い」と言いつづけてくれる

ことを望んでいます。

(まつなが。さいち/詩人)

繁栄は一炊の夢だった

『東海第二』廃炉を

 村上 達也さん  茨城県東海村長   朝日新聞

 実は東海村の日本原子力発電所第二原発も、東京電力福島第一原発で起きた「全電源喪失」の寸前でした。地盤の影響で外部電源がすべてダウン、非常用発電機でポンプを動かして原子炉を冷却しましたが、一時間後に押し寄せた津波があと70センチ高ければ、海水は防波堤を乗り越えて、すべての冷却機器が失われていたかもしれません。

 2週間後にその事実を知り、背筋が凍る思いをしました。東海第二の場合、20キロ圏内には75万人、30キロ圏内には100万人の人が住んでおり、県庁所在地の水戸市も含まれます。細野剛志原発相に「選択肢として東海第二の廃炉ということも考えるべきではないか」と問題提起したのは、こうした事情があったからです。

 そもそも世界有数の地震大国の日本に、54基もの原子炉があること事態が以上です。しかも、東海第二のように人口密集地に原発を立地している国は世界でもあまり例がありません。

 「原発が無くなったら住民の雇用をどうするのか」「村の財政をどう維持するのか」という議論も村内にはあります。しかし、原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を1基誘致すると固定資産税の交付金など10年間で数百億円の金が入る。その金がなくなると、また「原子炉を誘致せよ」という話になる。尋常ではありません。

 東海村の人口約3万7千人の3分の1は、日本原子力緊急開発機構を中心とする13の原子力事業所と何らかのかかわりを持っています。また原子力関係からの財源は一般会計の3分の1に当たる約60億円にのぼり、まさに「原子力の村」です。

 しかし、今後の世界は「脱原発依存」が主流となるでしょう。いつまでも原発マネーに頼って入られない。日本最初の「原子の火」がともった東海村は原子力と55年の歴史を共有し、原子力が文化として定着しています。これを同地域作りに生かすかが重要です。

 現在、村では原子力に関する科学・技術や人材を総合的に集積する「原子力センター構想」を策定中です。「脱原発」の場合も、廃炉の放射性廃棄物の処理、原発事故後の環境修復など様々な技術や人材が必要になります。そのための基礎研究、人材育成を担う構想です。世界屈指の大頻度陽子加速器敷設もあり、海外からも多くの研究者や、学生が訪れ、欧米の科学研究都市に匹敵する条件がある。持続性の高い発展が期待できます。

 福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢に過ぎません。目を覚まして、持続可能な地域経済をつくるべきです。(聞き手・山口栄二)

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貴方への手紙            原発推進と憲法改憲について

 前略をお許しください 

       

始めに  

世界最悪の原発過酷事故下にあって 住民サイドで記録したものを送ります。 原子炉内のことについていろいろ言われていますが、被災をまともに受けた人間の記録が十分伝わっていません。これでは福島を風化させます。犠牲者を見捨てることになります。また災難・人災から学びとる機会を失ないます。

辛酸の中でしたためつつある被災地・被災当事者の記録は 今生きるすべての3世代・次の世代の平和への警鐘です。海・山・川・緑・すべての生き物の大切さをきずかせる警告書です。そんな方との出会いから学んでおられる皆さんに私も仲間入りしたいと思います。お二人のことをを紹介します

   

一人は水素爆発のさなかで の行動記録

ラジオにノイズが入るほどの放射線量のすざましさ、猫が高く飛び上がり、畳が風振動で盛り上がり…降下物がおりた様子を・・放射線が福島地域で最高位を記録した双葉郡上羽鳥地区のモニターポストで記録)での体験と双葉町周辺のまち町に残っている人の救援など、その前後を放射線技師として克明に記録しています。

氏はたっぷり放射線を浴びながら放射線技師として覚悟を決めて備忘録(3・11からの行動記録)をしています。現在氏はPTSDにかかっています。

もう二度と誰も経験できないたった一度の事と思いますので、大いにご活用いただければ幸いに存じます。松木」と述べています。

もうひと方は  双葉ネットの代表

13年間 放射線を浴びながら「線量数値」の改ざんし(解雇を恐れ)、青森6か所村で働き 3・11の大震災の発生で  故郷双葉郡上羽鳥地区の家族を案じて戻った後の記録です。

政府の収束宣言の裏での 避難所生活、厳しい生活・除染作業の実態。労働・作業の過酷等々の実態を仲間のブログや連携で立ち上げた双葉ネットの代表です。

報告書修正版http://yahoo.jp/box/ZBwE35    を開くと 福島県真実の報告書.pdf(マイボックス)がでます。それをダウンロードしてください

事実の発信をするだけです。皆からの情報を精査し、発信しています(石澤)。

真相を映す鏡としての双葉ネット

私は双葉ネットは原発施策の一つの鏡だと思いました。不正汚濁にまぶれた事実、真相を映す鏡。誰もごまかせない事実です。真実を隠すことは許されません。なのに隠す。

福島地域で最高位を記録した双葉郡上羽鳥地区の1590μSv/hを1年半後になって発表したり、水素爆発の世界最悪のレヴェル7の重大事故なのに「事象」ということばで隠し続けた。氏は国民の前に原子力行政の実相を示してくださった。体調を極度に崩している・そうした中で双葉ネットをだした。貴重です。(毎日新聞5月5日号参照してください。

お二人に耳を傾けながら

この五月安倍首相は経団連会長共に訪れたアブダビで「災害を経て日本は世界一安全な原発を提供できる」と「講演」、ついで訪れたトルコとは原発輸出協定を結びました

同じ週私は上記お二人はじめ双葉町の方からの証言を聞きました。方や何の罪もない人たちが地獄と言ってよい生活を送り、片や地獄をもたらした原発責任のの解明抜きに利権を求め原発推進、原発輸出という死の商人になっている・・・・人間として考えれば・この非情・不条理が許されるものではない

後者は原発推進と平和憲法改憲を一体にして進めている私はお二人をはじめ双葉郡・福島の被災者に耳を傾けその事実が如何に平和憲法を蹂躙するものかを確認し、原発ゼロと平和憲法を守る側で生きたい。それが人の道だと思うから・

    手始めに千葉と双葉をつな情報センターから 始めたい。

      備忘録(3・11からの行動記

    2 http://yahoo.jp/box/ZBwE35

上記をよんで転送する価値が在ると思われた方はそれをあなたの愛する人・大事な仲間に転送ください。

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75才  

75才の春

この春 ついにというべきか、やっとといいうべきか、“人生古希まれなり”を超えて、75歳になりました。 父よりひと回り以上長く生きたことになります。しかし今の時代、平均寿命79才()ですから、事あらためて75歳が稀ということではないでしょう。ただ経年劣化というか身体が言うことを聞かなくなるのにはよわちゃいます。

さらに親しい (○○さんとか貴方とか、やーと呼び合える2人称の間柄)人たちが亡くなるのは本当につらいものです。父母と二人の兄の時もそうでした。ご近所の近しい友達とか遠くの親戚もそうです。かくて私も,童謡にちなんでいえば ♪♪ もういくつ寝るとお正月~♪♪ の正月をXday(息を吸うのをやめる日)に変えてみると実感が迫ります。

 生き物ならすべて 生育老死から免れません。私も生き物ですから 順繰りに生死が交代する習わしの中にあります。 仮に、人間だれも死なない、とするならば、この世界は どうなるのだろうか。考えただけでもぞっとします。私179歳、あなた267歳という風な世界を想像できますでしょうか。だから、私らが雲隠れすることはよいことですし、別に暗いことではないといえます。ただ悲しい。つらい怖さも否めません。

しかし生と死がつなぐ地球の生命はセンスオブワンダーに満ちていますよね

…なーんちゃってかっこいいこと言っちゃいました…75歳に免じて許してください。でもあなたも私もこれ本心ではないでしょうか。愛犬も 草花も 連れ合いも自分も仲間も世の子供達も 森も川も畑もみんないきものですから。

私がそれを感じたのは 東北大震災後の「生き物や人の気配が全くない、放射線が覆う福島浪江・双葉・南相馬の被災地」さらに「津波が兄とすべてをさらった音もなく動くものも伏せた石巻・さらに閖上・山元・の仙南・宮古・陸前高田・の岩手の各地であった」・・・福島を忘れることは生き物の世界を忘れることにつながるのではないか。真の文明は山を荒らさず。川を荒らさず。村を壊さず。人を殺さざるべし…(

100年まえ  足尾鉱毒公害 田中正造の日記)

そこで残る私らの願いは“生きている間はイキイキしたい(ゲーテ箴言) ということでしょうか。もちろん、寝たきりもある、事故など外圧的な強制的人生切断もある。そんな時は社会的にも、個人的にもお互い様で支えあうにことが肝心ですが。

どんな境遇でもイキイキできるらしい。そんな先人が私らの周りにいっぱいおられたし今もいると思います。亡くなった人からも学べるといいます。人生修行の足りない私はこれから学ぶことになるのですが、そもそもイキイキとはなんだろう。人それぞれのイキイキもあるとして、そこでイキイキを昔と今の中に探ってみるのも悪くない。いくつかの例で物語ってみてみたい。イキイキはいつも苦労や汗や辛酸と供にあるらしい。振り返ってみるとわかり始めます。一緒に考えてみませんか。あなたの今のイキイキとはなんですか?あなたの来し方で一番イキイキしたことはなんですか? 一人ぼっちではなかったはずです。

私は被爆者の人にお聞きしたいと思っています。辛酸をなめつくしたのに、あれほど穏やかで温厚なのはなぜですか?強い意志の源はなんですか。 何に希望を託して日々を生きてこられたのですか? 私、にでることはなんですかって。

いま春です。今日の陽気を見るとなるほど春が来ない冬はなかった。雨がはれない日々もなかった。どうあれ生きるって素晴らしい。みんなで1日1日を自然に大切にして素晴らしかったといえるような最期を迎えたいものです。それにはお互いにあなたが必要です。亡くなった人もみんな一緒に。お邪魔虫になりつつもかなうだろうか。   

3月26日

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春の晴れ  春の花   春の田植   春の庭  いいねー、だから

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