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新聞購読を東京新聞に切り替えた時 目に焼き付いたすごい記事

新聞購読を東京新聞に切り替えた時目に焼き付いたすごい記事

福島・浪江町 「希望の牧場」はいま  
   (東京新聞「こちら特報部」2012年8月25日)  ヨリ 

福島県浪江町の警戒区域で、放射性物質に汚染されて出荷できなくなった三百頭以上の肉用牛の飼育を続けている男性がいる。「希望の牧場・ふくしま」の吉 沢正巳代表(58)だ。国は同区域の家畜を殺処分するよう求めている。しかし、吉沢さんはそれを拒 
み続けている。「絶望ばかりのこの場所で、原発事故の意 味を問うていきたい」。被ばくも辞さず、あえて牧場にとどまる意味を聞いた。 (上田千秋

 

「被ばくした牛の動物園みたいなもの。殺されずに、寿命まで餌を食べ続けられるんだから」。牛舎で体を横たえている牛たちの前で、吉沢さんはそう切り出した。 開放的な牧草地が広がり、奥に牛舎や吉沢さんの新築してから四年の自宅がある。青空の下で牧草をはむ牛たち。見た目はどこにでもある牧場の風景だ。放射能の影響を体で感じるはずもない。牧草地に散らばった牛の白い骨がわずかに事故があったことを物語る。  同県南相馬市との境に広がる「希望の牧場」は、東京電力福島第一原発から北西約十四キロの地点に位置する。今年四月から、三十二ヘクタールのうち同市の四 ヘクタール分が居住制限区域となって出入りが自由になったが、残る二十八ヘクタールは立ち入りに 
許可が必要な警戒区域のままだ 事故当初に比べれば下がったとはいえ、空間放射線 
量はいまも毎時四~五マイクロシーベルト。そこで吉沢さんはボランティアたちと牛の世話を続けている。

 昨年三月十四日、十二日の1号機に続いて3号機が水素爆発。同町の住民の多くが避難し、吉沢さんも一緒に暮らしていた姉とおいを千葉県に避難させた。自身は牛の餌やりを続け、十七日からは上京して東京電力の本店や霞が関の中央官庁を抗議して回った。 「当時は牛のことばかり考えていて、自分の被ばくの危険性は頭になかった。それより牛に経済的な価値がなくなり、牧場経営が終わってしまったことに腹が立った」 牧場入り口のタンクに書かれた「決死救命団結」のスローガン。事故当時の気分を記した。
 「そのころ、東電が原発から撤退するという報道があった。頭に来た。死ぬ覚悟で国民の命を救え、と言いたかった」

 吉沢さんが東京に出かけたころ、牧場では運営会社の「エム牧場」(福島県二本松市)の村田淳社長が約三百三十頭の牛を牛舎から放った。放牧すれば、辺りの水を飲んだり、草を食べたりして、何とか餓死を避けられるだろうと考えた。

  福島に戻った直後、吉沢さんは迷いながら牧場に三日に一回のペースで通っていた。「牛舎につながれ、ミイラ化した牛が町のあちこちにいた。すごい臭いだっ た。餌やりを続ければ、こちらも被ばくするし、そもそも売り物にならない牛を生かす必要がある 
のかという迷いがあった」
 村田社長らと議論を重ねた末、吉沢さんは牛を生かそうと決めた。 「汚染された水や草をとり続けた牛を調べれば、被ばくの正確な状態が分かるはず。牛たちは原発事故の 
生き証人、役に立つんだと思った」 国は昨年五月十二日、衛生面などを理由に警戒区域 
の家畜は所有者の同意を得て殺処分するという方針を打ち出した。数百軒の畜産農家、酪農家に説明会が開かれた。

 吉沢さんは「逆にスイッチが入った。棄畜政策が進めば、今度は棄民政策で人間が見捨てられる。殺処分は臭いものにふたという証拠隠滅に等しい。ベコ(牛)屋として意地もあるけど、何が何でも牛を守り続けようと決めた」と話す。
 昨年七月、「希望の牧場」プロジェクトが始まった。警戒区域の家畜を守るために情報発信し、被ばく牛を研究対象にしてほしいと全国の大学などに呼び掛けた。

 これまでに日本獣医生命科学大や東北大など五つの大学が反応。牛の体内から放射性セシウムを排出させる研究や、セシウムが蓄積される歯の分析などをしている。
 福島県などによると、原発事故前、警戒区域にいた牛は約三千五百頭。すでに半数以上が餓死したとみられ、現在は約千頭までに減った。

 「希望の牧場」でも百頭以上の牛が病気や栄養失調などで死んだ。しかし、それに迫る数の新しい命が生まれ、他の牧場から引き取った分も合わせて、現在は 
約三百二十頭の牛を飼っている。 「いまいる牛やその子ども、その次の世代まで調べ 
て、遺伝に与える影響も研究してもらいたいと考えている。牛たちも草を食べ、子どもを産みながら抗議している」

 吉沢さんは各地で写真展を開いたり、講演もしている。月に一、二回は東京・渋谷の街頭に立って、運営費の募金を兼ねて演説もしている。怒りが口からほとばしる。 「福島では一つの家族の中でも子どもや若い人は遠くに避難、年寄りは地元に残るなど、家族まで分断された。原発事故の影響は多くの人生を狂わせた。それなのにどうして再稼働を許し、原発に頼ろうとするのか」

 吉沢さんは、浪江町の現状を厳しく絶望の町と表現する。 「大半の子どもは戻って来ないだろう。水源が汚染され、恐らくもうコメ作りもできない。工場など働く場所が再開することも簡単ではない。戻ってくるのは、二万人の町民のうち、十分の一ぐらいかもしれない」

 しかし、決して自暴自棄になっているわけではない。その目はまっすぐ前を向いている。
  「まずはそうした現実を受け入れないことには前に進めない。事故直後に逃げた判断は正しかったろう。しかし、被害やその後に起きた福島に対する差別は、逃 げて嘆いていても解決しない。一人一人が声を上げて、全国の原発を止めようとする動きに連帯し 
て闘っていけば、絶望が希望に変わっていくはずだ」

 警戒区域で作業をすれば、被ばくする。そのリスクは覚悟している。「家の中だと(被ばく線量は)半分ぐらいになる。この年なので、あまり気にしないけど」。ただ、内部被ばくの軽減についても、専門家と試行錯誤を続けているという。 吉沢さんは「今回ほど生命の問題について考えさせられたことはなかった」とつぶやいた。

 「多くの人が亡くなったり行方不明になったりした。家畜やペットも合わせれば、数え切れないほどの生命が失われた。自分も残り十年か二十年の人生だ。それを福島の人間の思いを伝えながら、国や東電、放射能と闘うために使いたい」

 よしざわ・まさみ 千葉県四街道市生まれ。東京農業大卒業後、父親が経営していた浪江町の牧場で酪農に従事。十数年前から、福島県内で7牧場を経営する有限会社「エム牧場」の傘下に入って、黒毛和牛の繁殖・肥育に取り組んでいる。

<デ スクメモ> 「町のアンケートを見ると、死にたい、意味がないと言う人が大勢いるんだよ」。吉沢さんはそう語る。彼の試みには賛否があるだろう。ただ、こ う話すのだ。「大勢の年寄りが生きがいをなくし、仮設住宅で死んでしまう。そうやって、人生を終わらせていいのかなと」。その言葉の重さに沈黙する。 (牧)





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