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2013年2月

日本の青空 Ⅲ一人でせい、二人でせい みんなでせい という 3せい運動

日本の青空Ⅲ「命の作法」にお寺の住職さん登場します。太田村長です。面白い人で  境内にマタギの伝統的な生活用具を保存する一方  サンセイ運動を村政の基本においてきた人です。

“サンセイ”運動とは産制(産児制限)運動ではないよ、とかいって本堂で講話を受けていた私たちのほうを向いてニヤリとした後「3せい」運動を説明し始めた。

私たちが知っている沢内村のこし方は貧困 豪雪 その結果としての乳幼児死亡率日本一のまちでした。しかし 「3せい」(注1)を合言葉に死亡率ゼロ 医療費の全面的公的負担をやり遂げていったのでした。

一人でせい、二人でせい  みんなでせい という  という風に。 いま流行の言葉で言えば自助 共助 公助ということですが3せいのほうがはるかに言葉が生きてはたらいています。

この町の歴史の一端を少ししっていたので、いまもその助け合う文化がまちの中に遺伝子のように生きているのがうれしく頼もしく思いました。

ところでこの間日本の為政者は 「一人でせい」の自律の意味を“自己責任”にすり替え、「二人でせい」の助け合い協同を競争で分断し、「みんなでせい」の公助を 公費削減(小さな政府 社会保障削減)で事実上否定してきました

一方日本は世界に類例を見ない米軍への思いやり予算を増やしつづけ 自衛隊は軍事費としては世界3位といわれる5兆円をこえ、企業の法人税の累進課税率を大幅に引き下げ数兆円を貢ぎました。結果、貧困化率(ジニ係数、格差率)はいわゆる先進国中最低でアメリカと並びました自殺は10年続けて3万人(未遂はその10倍)をこえ、虐待は子供と高齢者層に拡大し、20歳代の6割が非正規労働者になり 労働3権から隔離され人権はないがしろにされています。少子化の歯止めも利きません。またこのような社会のために費やしてきた財政は 1000兆円の国債でまかない、国民一人あたり800万円のツケを次世代に回しました。我が家の孫家族4×2=8 都合8×800万円=6400万円もの付を国家からいただいて2010年を終えようとしていることになる。

このような誰も否定しょうがない事実が進行しています。ジワジワの衰退していくのか、それとも「ドボン」という陥没的な事態になるのか。日本の場合、国際社会を恐怖に陥れた債務国家ギリシャの例どころではない規模の大きさ深さになるでしょう。

さてそんな時にどうしたらよいか。「救う技法は“文化”」(人間の質の営み TH)ではないかと作家大江権三郎が言っています。

感想を寄せた方は「人生の苦しみの格闘の中で、つかみとった祝福こそが、“ごめんなさい”と“ありがとう”という言葉」と記していました。 今を生きる希望を含んでいると思いました

Hato

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2年半前の政治はこんな風だった

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2年半前の政治。

出口の見えない不満 不安を抱えたままどこに向かうのか

旧弊を打破するとして選挙で大勝し登場した民主党の鳩山首相の支持率が普天間基地でうそをつき1年もたたないのに20%をきり菅内閣へたらいまわし、ついで消費税増税を掲げて参議院戦で支持を失い、混迷の政治政局になった。小沢への強制起訴に発展。

民意を無視した政治はいったいどこに向かうのだろうか。

 鳩山内閣が登場するまで1年のうちに3人の首相が交代した。

憲法改正を私の内閣で断行すると呼号した(安倍)が挫折し、消えた年金で福田が辞め、選挙抜きに自民党内でたらいまわしにして麻生内閣の内閣となった。郵政民営化一本で政権を取った首相が進めた新自由主義政策による格差拡大は先進国の米国と並び、社会的排除というべき派遣村に示される雇用不安が重なり、地域社会の連帯構造を破壊した。バブルが崩壊した後成長政策をとりつづけ1000兆ものつけをつくり、小さい政府、小さい福祉、大きな軍事費への道を進めてきた。消えた年金、後期高齢者福祉の削減、収入の不安定、雇用不安への不満、不安は自民党政権を吹っ飛ばした。期待は民主党へ。しかし、期待は裏切られた。裏切られた期待は一体どこに向かうのだろうか。ファシズムにつながる政治的ニヒリズムに陥いらないとも限らない。

日本はココから抜け出る曙光をなんとしても

みい出さなくてはならない歴史的時点にたっている・大げさだろうか。さてお前はどうする。

以上は2年半前の私の論評

さて 

今は?雪  じっくり考えて書くぞ   つづく

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冬の中でも・・・・

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言葉の力   被災地に花を 花の力   花物語 南房総  

言葉の力   花の力

井上ひさしにちなんで

    手記は聖書  ~~若いおかあさんの遺体の下に赤ちゃんがいたという話がたくさん残っている。憎悪の塊のさく裂点の下に、人間のすばらしさが小さな宝石箱のようにキラキラしている。だから聖書なのです

被災地での花

「地震で家屋が全壊になったショックから立ち直れるかと思っていましたが、月日がたつうちにがんばらねばと思うようになって来ました。菜の花とキンセンカがとてもきれいで、春が来たことを知らせてくれました。」

「暗い毎日を送っておりましたが、春の花で心を取り戻しました。今日からは元気、元気。、すてきな花ありがとうございました。真心、嬉しかったです。」

「どん底に突き落とされたときほど人の関心と温かいお心づかいをいただけるほど嬉しいことはございません。特に遠方の方々からお寄せくださいました慰めとやさしい言葉と品々、そして無言のうちに心温まる花々。ありがとうございました。」

再掲

花ものがたり

         ―― 南房総は面白い ――                           

真冬というのに路地に自然に花が咲き乱れているところがある。房総半島の最南端の地域である。こんな所は日本国中めったにない。もちろん千葉県民なら誰でも知ってはいるが、実際行くとなるとよほどの理由がなければ足を運ばない。花より団子の口はなおさらである。

以下、私が改めて感嘆した花景観のいくつかを披瀝し、未だ行っていない方に千葉県民の特権行使をお勧めすることにしたいと思う。

― 景観いくつか ―

 房総半島最南端、東京湾の入り口に当たる外海に面した州崎燈台から白浜方面に車を走らせるところからはじめたい。この地域の特徴は、山が丸まっちいことだ。なだらかな丘陵を包む照葉樹林の森が、照り返す海のキラキラ光とあいまって車窓に飛び込んでくる。ついで、フラワーラインと称する海岸通りを帯状に連なる、まっ黄色な花を左右の道端に見ながら走ることになる。千葉県花、菜の花はここが一番と鮮やかである。どうしてこんなにおだやかな金色をかもし出すのか。しばらくして、お目当ての野島崎燈台に着いた。

― 野島崎 ―

女性的な景観は、ここで一転して男性的に海に突き出した岩礁の景観に変わった。奇岩の上に飛び散る波のしぶきの向こうに見る水平線上の舟影、足元には宮崎の日南海岸と同じような“洗濯板”の岩層があり何千年、何万年の記憶を景観の中にとどめている。そういえば、ここの年間の平均気温は15℃とか。宮崎の日南地方と同じ。亜熱帯に近い。車に引き返す道すがら「アロエ」の群生が目に止まった。我が家では一晩外に出しっぱなしにして「アロエ」の鉢植えごと枯らしてしまった直後だっただけに、無造作に群生していることに驚く。そういえば、この近くの館山の沖の島でサンゴを見たことがある。北からはアザラシの玉ちゃんが迷い込んだ。南と北の海流がまじわった面白い植生が景観の特徴なのだろう。野島崎の海に飛び出た突端は周囲は1kmという。その中にある厳島神社に立ち寄った。広島の厳島神社と姉妹という。面白いのはここにある七福神だ。これを彫った石工は奇人だったらしく、「100年経てば理解してもらえる」と、周囲の無理解者たちに豪語していたという。もうとっくに百年以上たっている。七福神(写真)との出会いは、各地の五百羅漢が好きな私にとって、もっけの幸いであった。後世の人まで人間好きに誘うなんて石工冥利に尽きることだろう。又この辺は、古来海女さんの仕事場でもあった。往時は1000人を越える海女さんがあわび取りをしていたという。今は碑がたっているのみだ。まだどこかでやっているとしたら是非白い丸首にパンツの海女さんにお目にかかりたいものである。興味が尽きない地域であった。西岡としこの孔版画の「早春の海」は菜の花畑から野島崎を臨んだものだと後できずいた。

― 花ものがたり ―

道の駅で腹ごしらえをした後、目的地である白浜に向かった。何度か来た事があったところだが、改めて息をのむ。白浜の海辺からの傾斜地の畑(田)に8月に撒かれた、ポピー、ストック、キンギョソウ、キンセンカなどの種は1~3月に開花し、まるでモザイク模様のじゅうたんのように、太陽の陽に照りかえされて視界いっぱいでも補えきれない。冬の潮風にも耐えて成長した花たちであった。無霜地域を巧みに利用し、貧困にあえいだ農漁村の先人たちが苦労に苦労を重ねて作り上げてきたものだという。

かって阪神大震災時、神戸に支援に行った仲間から「今,震災地の人々に必要なのは花かもしれない」という知らせが届いた。これを当地の漁業協同組合の知人に言ってみた。震災一ヶ月がたち、被災者の疲労は極に達していた。梱包された花をトラックいっぱいに積んで現地の生協に届いた。花は建物崩壊の中でも開いていた店にもまわされた。店で受け取った被災者からお礼状が沢山きはじめた。必死に寒空の中で耐えてきた人たちは、「あっ、もう春なんだ。生きてきたんだ。と我に返った」。花にほほを寄せて涙ぐんだ様子など、未だ私の手元にある文面(コピー)から読み取ることが出来る。そんなことに思いを馳せる私を尻目に同行者たちはうでに抱えきれないほどの花を切り取っていた。試しに分けてくれた農家のおばさんに当時取り合った知人の消息を聞いてみた。病気で加療入院中ということであった。

田宮虎彦 の小説にここを舞台にした「花」という作品がある、戦争中、政府から花栽培禁止令が出され、県は時々抜き打ち検査して花栽培を禁じていた時代のことである。この中でどうしても捨て切れなかった花の種をひっそりと隠し持っていた農家があった。見つかれば国賊にされるところであった。戦争が終わってしばらくしてこの種の花栽培が始まった。たまたま、房総を中心とするNPO千葉自然学校の役員をしている関係で、話は前もって伺っていた。だから同行者が切り取った花たちに良くぞお出まし願ったと声をかけたいきもちになっていた。

花は弱い。特に戦争に弱い。平和にこそふさわしい。戦争を経験しなくなって久しい日本に住む私たちは幸せだ。しかし花を守った人たちのこと、花を奪った戦時体制、そして広島や戦争を忘れるとき何が待っているか。ちょっぴりでも想像をめぐらすことがあっていいと自戒しながら離れた。そして加齢もあってかやはり日常の暮らしの中に理屈ぬきに花があるのが一番いい。さらに適うことなら 年に1度ぐらいは文化や歴史の宝庫でもある南房総の景観を楽しみたい。同行の姉はむかしのまんまの笑顔であった。やはり花は強い参考 房総のふるさと 多田屋)

  

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宮城県名取  在宅福祉センター跡 無残な痕跡

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介護センターへの道 この道を避難途中に津波・避難所の閖上中につく前に

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周りは何もない・打ち上げられた船がそばにあった

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S6811_075   はじめ施設内の右建物の3階に避難。しかし方針が変わり  消防からの指示で2手にわかれた。閖上中学校に避難場所が変わったという。車いすの介護者を車に乗せるのも難儀下だろう。時間もかかったろう。渋滞で前に進まない。  津波が襲った。

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下写真避難所の閖上中(3階・屋上にたどり着いたものが助かる)につく前に スタッフと車いすの介護者を載せた車は渋滞の中でつなみにあった。うえ写真の路上であった・全滅か。地獄・誰しもこの光景に震えが止まらないだろう。自分らの父母親。祖父母が遭遇した阿鼻きゅうかん・ 障害者に事前の災害対策が緊急だ。・すでに2年たちまるでなかったような政治。復興予算の横流し・感性の欠落した世情。不安が募るばかりだ。

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閖上中学校から閖上港方向の日和山から望む住宅地跡。何もない・すべてない・

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在宅介護センターの跡地をたづねて・

前回  93歳のおばあさんがお墓に避難しますと遺書を書いて自害したことに触れ 

[福島南相馬では津波でなくなった高齢者の犠牲者数を超えて放射線を逃れて転々と移動させられた中でなくなった老人のほうが多いときく」と書きました。

私は南相馬の在宅介護センターの跡地を3回たづねました。遠くに見える福島第1原発と同じく 在宅介護センターが 過疎地と海岸近くに立地にがあることをきずいてハッとしました。2回訪ねた宮城県名取市の在宅介護センターの位置も同じでした

南相馬市の原発20キロにあったヨッシイランドに注目を

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在宅介護センターから海までさえぎる物は何もない

左端に発電所の煙突が見える」過疎地を選んだのは政府・東電が原発の危険性を十分知っている事による・福島でなく東京で使う電力をなぜ東京湾や関東に作らなかったのか・安全神話を作り、原発を作ってきた人は説明する義務がある。説明できなければ辞めるのが筋である。命がかかっている

福祉施設を選んだのは、やはりやす上がりのためか。・人のぬくもりから隔離された福祉施設・

その中で精いっぱいのケアスタッフ。犠牲を伴った彼・彼女らの献身が並みではなかったことを人々は知り始めている。知らなければならない・

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海までさえぎるものは何もない

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NHKも取り上げていた

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ヨッシイランドまでのみちすがら

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