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金子みすず  見えないものでもあるんだね  今この意味を考える

見えないものでもあるんだね。   改めて出会っての気づき

             自戒をこめて

 見えない内臓の病気(肝臓、腎臓系病気)

2 放射線 (原子力発電所事故)

3 愛情、思いやり 

4 昼のお星さま(お星さま)  金子みすず

5 みえても 見えないものもある 足元にあるもの

    見えないものを領ることで・・・・

1 内部疾患は見えない

ホタル生息地での清掃で

 ある方が話しかけてきた。「私動けなくてすみません」

体つきはどうみても正常だ。けがもないし

「実は拡張型心筋症をわずらっていて皆さんのようには動けないので申し訳ないな」

「そうですか。大変なんですね。」

「定年退職後に拡張型心筋症なっちゃってね。余命が5年の言われている難病です。6年目。ゆっくり、ゆっくり歩いてここにきました。お礼が言いたくて」

なるほど ・・・肝臓や腎臓、子宮がんなどなどの内部疾患の人は、外からはわからない、一見体つきは正常に見える。こういう方は(実は人間みんな明日はわが身なのだが)ごまんといらっしゃる。この方のように社会活動に参加するにも言い訳をしながらになってしまう」

 健康な時には、得てしてそれがわからないことが多い。「無理してこなくてばいいんだ」と反論もあろう。しかし、人間生きている間は「つながりを持ちたい。」「「役にたちたい」と思うのが普通だ。それぞれに居場所があるようにできるだけ気遣いが必要だと思った。

2 放射線も見えない。 しかし、実は恐ろしい。

世界最高レベルの原発事故から1年半経過した。政府の脱原発方針も怪しくなり、マスコミもあまり触れなくなった。放射線は見えないし、匂わないし、触れない。つまり、実感できない。「にわかに影響ない」といわれ続け、なるほど1年半たっても影響ないから大丈夫。日ごろの忙しさに負われて、関心がなくなるのもわかる気がする。

しかし、私は、フクシマから避難された方と白い防御服を見に包んでいってきた。そこにみたものは、東電が130億円かけて作ったJブリッジ(サッカー場)で防御服に着替えて氏の住まいに向かった。大熊町、富岡町、双葉町、浪江町まで20キロ、車を走らせたが、荒れた田畑を挟んで行けども行けども人の気配のない。屋敷、商店、食堂、農家、お店、作業場が連綿と続く町街を走り抜けた。崩壊した家もある。新装開店を待つばかりのケーズデンキもあった。しかし、ここにことごとく人はいない。その様子を想像してほしい。

見えない放射能の“恐ろしさ”とはこういうことだったのだ

氏の7代続いた屋敷に着く。私の計測器で線量を測った。数値は限度を超えた。ついで滞在時間の帰路、浪江,請戸の湾に立ち寄った。600世帯の家屋は跡形もなく壊滅。緑も鳥の声も見えない。聞こえない。沈黙の世界。犠牲者もたくさんいたという。しかし、放射能線のため行方不明の捜索することが警察も、消防署も、住民もできなかった。手向けた仮の墓の前で手を合わせた。戦慄が走った。海側の方向にあの第一原発が見えた。

福島県の人口は200万人、被爆の強弱はあれ、殆どの地域、人々に放射線が降りそそいて蓄積している。セシウムが4分の1になるのに半世紀かかる。口から入った食べもの、空気、水に含まれる放射能が体中を照射し続ける。人口200万人といえば、日本の全人口1億2千万に対して6%弱の少数派だ。かつて広島の放射能内部被爆は10年間国民の目から遠ざけられていた。21万人の即死を除いて40万人が内部被爆の後遺症を患って死んだ。今も苦しんでいる人が22万人を数える。広島の内部ヒバクシャに対する差別は67年間続いてきた。四街道にも100人の被爆者が折られた。被爆者だと自らを明らかにしている人はひとり。その重さ。

被爆者たちを包む異端の目にさらされてきた重い現実がある。

 この国ではいじめの矛先は既に少数派である。現実を見ればただ、広島、フクシマに生まれただけで差別されるのは不条理であり、社会の一人ひとりにも責任がある。そこで放射能について「正しく恐れること」「正しく知ること」に転換しなければならない。広島、福島の痛みをわが痛みとすることなくして日本の未来はないのではないか。大飯原発は活断層の上にあるのに、あわただしく再稼動させた。30年以上経過した22基が地震国日本に展開されている。一旦事故が起これば取り返しのつかない事態になることは福島の原発事故でいやというほど知らされた。はじめに(終りにも)命、生活、国土があることを忘れた国に、子供を残したくない。これが普通の人の感覚だ。

3 見えないもの 愛情 おもいやり・・

 人間は弱くなると、人からの思いやり、まなざし、挨拶ほど身にしみるものはない。強い時の私はどうだったのだろうか。あの場面、あの場合を思い出すと、忸怩たる思いになることがある。私の左こぶしが幼いころの火傷でくるぶしのようになっているのを、それとなく知った人が気遣って支えてくれたことを思い出すと、いまにして涙が出てくる。この一年嘔吐が繰り返され、又良くなってくることの繰り返しの中ですごしてきた。久しぶりであう人も「どうですか」と声をかけてくれる。メールでも気遣ってくれる。世の中はよい人ばかりのような気がする。

愛情、友情、思いやりなど 見えないものは数えることができない

 見えないもの、数えることができないものがあって、初めて社会は成り立つのではないだろうか。家族間の愛情は数えることも打算もない。家事の仕事もGDPに数えられない。しかし、家族、社会福祉なくして言うところのGDP(国力)もないはずだ

原発論議で国力、国際競争力が強調されてきている。そのような人は

これまで

 広島、長崎の放射線被爆を隠しつづけ、ビキニの死の灰による犠牲者を省みず、はじめに原発ありきを権力者が決め、ピらミット型の支持決定のシステムで原発52基を地震列島の上に展開した。そしてついに福島原発を引き起こした。にもかかわらず、経済利権のために国力を落とさない原発の再稼動、新設、40年への使用延長を決め、平和利用をうたう原子力基本法に「安全保障」の文言を入れて原発を軍事利用する道を開こうとしている。

福島の人々の生命、生活、のためにこそ経済があるはずだ。人間の心や身体、それを支える生存条件、「生物環境、社会環境」を第一義とする方向への転換が不可欠だ。

それにきずけない 私ら。

(見えない価値を目覚めることがその保障だ)それを文化として定着させることが21世紀に生きる展望となる。ドイツは・・・最高倫理によって原発を否定し、廃炉を決めた

4 見えないの  略

 青いおそらのそこ深く、海の小石のそのように、夜が来るまで沈んでる、昼のお星は目に見えぬ 見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ(金子みずず)

 見えても見えないものがある 足元  略

見えない価値を目覚めること・・・日本社会ではやさしいようで難しい…しかし実は難しいようでやさしいのではないか…その機会さえあれば・・・

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コメント

活断層の有無が問題になるのは、原発の危険を避けるため。
判断が難しいのなら、いったん原発を止めてゆっくり納得のゆくまで学者同士で話し合えばよい。
これが、英語でいう「フェイル・セイフ」の考え方。

日本語には未来時制がないので、日本人には最悪のシナリオを想定することが難しい。
目の前に危険が迫るまでは、自分は安全であると考える傾向がある。

Fail-safe: 万一の失策・故障に対する安全確保のこと

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年11月10日 (土) 19時55分

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