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2012年11月

決して忘れない。被災地・被災者の叫び   

   2012-11-11~13 悲劇の場を訪ねて  生身の被災地に立って

 大川小学校の悲劇   石巻北上地区  

    生徒児童104名中70名 教師13名中10名が犠牲に 4名今なお不明

ごめんねーごめんねー貴方を見つけてあげられなくて・・」今なおわが子を探す母親。津波が子供たちをのみこんだ時間になるころ毎日ここにきて黙とうをささげる人たちが絶えないという。私を案内してくれた友人はこの時間に間に合うように女川町「雄勝」(注)から雨のなか車を走らせた。いたいけな子供たちを呑み込んだ悲劇の場所がまるで映画のシーンのように無言でアップしてきた。大川小の周りは人家にとり囲まれていたという。が今は茫漠とした沈黙の空間だけだ。生活の匂いも子供たちの歓声も、人気も一切ない。

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沈黙のまま車を降りた.

友人がてをあわせた。私はあたまをさげた、

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あの日 子ども達が集まった運動場に廻った。裏山が近くに見えた.地震のため道がない山側を心配したのだろうか、道のない山を避け、前もって指定避難所とされていた土手方面に先生は子供たちを誘導した。動き始めた列を津波は一気にのみこんだ。Sdsc01808

津波の威力は下記のように想像を絶する。破壊・爪痕を残していることで容易に理解できた。

この津波が子供たちをさらっていった。兄弟が4キロ離れて遺体で発見されたという。Sdsc01809

今石巻では被災の検証作業が行われている。当日不在だった校長が追及されているという。友人は何ともやりきれないとかたった。

恵E

さんは彼が前に来たときのことを低い声で私の耳元でかたった。「その日東京からきた橋本左内牧師と小倉志郎さんが慰問の尺八演奏を墓碑の前で行っていた。それをじーっと聞いていた老夫婦は、終わると手をあわせた。突然「としちゃーん、としちゃーん」、という絶叫が聞こえた。振り向くと老婦人が山に向かって叫び、激しく泣いた。「毎日来て泣くんです」夫はそういって唇をかんだ。「足の悪い妻を小さな車に押し込むようにして去って行った」。と

老夫妻も、牧師の尺八演奏者も、私の友人も、大切なことを伝えてくれたような気がした.「人間(人生・社会)には大切なものがあるということ」。

私らは 自然に 3・11のあの時まで 子供たちの歓声やかけっこ、があったに違いない廃墟の運動場に子供の気配を探していた。私はかすんだ目で写真を撮りまくっていた.

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大川小学校の悲劇・絶望の中から顔を出したかすかで確かな光、それは「子供」だった

上記の写真に写った作品は平成13年の子ども達の卒業記念作品だった。これを見ながら遊んだ70人・10人の先生たち犠牲者が教えてくれたもの…それは「こども」

私の子供。孫 身近なこどもたち。世界の子供たち。亡くなった子供。みんな一緒だよ。そして子供に向かって生きた宮沢賢治。

3・11兄を呑み込んだ同じ町にて

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栗山川 房総九十九里にそそぐ小さな川

栗山川 房総九十九里にそそぐ小さな川

二〇〇五年 秋 川口堰に魚道が出来 長らく途絶えていた遡上が始まった

太平洋を回遊してやっとたどり着いた鮭たち

川口堰で捕獲され 人工的に孵化し放流された鮭たち

4年たち 回遊の後 たくましく遡上始めた鮭たちが

ここは栗山川 

鮭の祖先が有史以前からたどった川 

水源地多古や 山田町の谷津田湧水につながる川

今 原郷にたどり着く前に 堰で阻まれ 

やむなくコンクリートのうえに産卵させる川

一生で許されるたった1回だけの産卵だというのに

おびただしい卵がコンクリートの上を漂い 

橙色にうずまき底に固まり 生のリレーを断ち切らせる川

なんたる無惨  なんたる散乱

連綿とつづいた死の新たな生への転換はこのようにして断ち切られた

いったい人の歴史はいつから循環の機会を奪ったのだろうか

回帰のリズム 自然のルールを見失ってから久しい国 この日本

ツケの大きさにきずかずに なすべき事をしないままに 

小欲のため未来への大欲を見失ったGDP信仰の国

この先にあるのはただ殺漠 茫漠  茫洋と広がる世界だろうか  

だが ここに

心を痛めて立ち上がり始めた人たちがいる 横芝 光町からはじまり多古 

山田町につながる流域の人たち がいる

山倉めがけてひたむきにのぼりゆく鮭に心うたれた多くの人たちがいる 

鮭よ戻れと孵化させ放流し続けてきた栗山川漁協の人たちがいる

鮭が安心して遡上出来るように現地に

手をさしのべ始めた人々 水辺に心を配ってきた里山メンバーがいる

はたして 適うだろうか 

間に合うだろうか 再生できるだろうか

未来永劫  この地に  鮭が安心して産卵できるように

遡上の姿をいつまでも子どもたちが見る事が出来るように

誇りうる故郷のために

多くの人の心の重ねあいが始まった。

彼はいま確かに再生への蠢動を感じ始めた

蘇生の方法は?その解は?彼はいう

川と海 谷津田に森林  田んぼに畑 が手をつなぎ

古来より奉納の鮭がとりもつ つながりの文化のなかで

感動を取り戻し 

感性を呼び戻すこと

未来に思いを馳せ鮭の身になって怒り

鮭 =自然を追いつめた 私欲効率社会

からの脱却にギヤチェンジすること

それは

田古米を育て  鮭をはぐくむ水げんちに

襲いかかろうとする 近代の負の遺産 産廃

水源地の染井に産廃敷設を許さないことから始めること

ここは栗山川 

 二〇〇5年  冬

河口には源郷をめざし必死に遡上する鮭たちがいる

森や里地からの清冽な水と産卵の砂利地があることを疑うことなく

のぼり始めた鮭たちがいる

なんというすばらしい  命の営み  無欲な姿  エネルギーだろう

しかし待っているのはにごった水 コンクリートの産床  満身創痍の仲間たち

古来生死の転換は自然のリズムの中で行われるはずのものだった

再び心を合わせたい  満身創痍の鮭の身になって 手をつなぎたい

いきとし生きるもの皆自然の恩恵のなかあるという当たり前のことを識る為に

千葉が恥葉にならないために

水源地に産廃敷設を許さないために

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金子みすず  見えないものでもあるんだね  今この意味を考える

見えないものでもあるんだね。   改めて出会っての気づき

             自戒をこめて

 見えない内臓の病気(肝臓、腎臓系病気)

2 放射線 (原子力発電所事故)

3 愛情、思いやり 

4 昼のお星さま(お星さま)  金子みすず

5 みえても 見えないものもある 足元にあるもの

    見えないものを領ることで・・・・

1 内部疾患は見えない

ホタル生息地での清掃で

 ある方が話しかけてきた。「私動けなくてすみません」

体つきはどうみても正常だ。けがもないし

「実は拡張型心筋症をわずらっていて皆さんのようには動けないので申し訳ないな」

「そうですか。大変なんですね。」

「定年退職後に拡張型心筋症なっちゃってね。余命が5年の言われている難病です。6年目。ゆっくり、ゆっくり歩いてここにきました。お礼が言いたくて」

なるほど ・・・肝臓や腎臓、子宮がんなどなどの内部疾患の人は、外からはわからない、一見体つきは正常に見える。こういう方は(実は人間みんな明日はわが身なのだが)ごまんといらっしゃる。この方のように社会活動に参加するにも言い訳をしながらになってしまう」

 健康な時には、得てしてそれがわからないことが多い。「無理してこなくてばいいんだ」と反論もあろう。しかし、人間生きている間は「つながりを持ちたい。」「「役にたちたい」と思うのが普通だ。それぞれに居場所があるようにできるだけ気遣いが必要だと思った。

2 放射線も見えない。 しかし、実は恐ろしい。

世界最高レベルの原発事故から1年半経過した。政府の脱原発方針も怪しくなり、マスコミもあまり触れなくなった。放射線は見えないし、匂わないし、触れない。つまり、実感できない。「にわかに影響ない」といわれ続け、なるほど1年半たっても影響ないから大丈夫。日ごろの忙しさに負われて、関心がなくなるのもわかる気がする。

しかし、私は、フクシマから避難された方と白い防御服を見に包んでいってきた。そこにみたものは、東電が130億円かけて作ったJブリッジ(サッカー場)で防御服に着替えて氏の住まいに向かった。大熊町、富岡町、双葉町、浪江町まで20キロ、車を走らせたが、荒れた田畑を挟んで行けども行けども人の気配のない。屋敷、商店、食堂、農家、お店、作業場が連綿と続く町街を走り抜けた。崩壊した家もある。新装開店を待つばかりのケーズデンキもあった。しかし、ここにことごとく人はいない。その様子を想像してほしい。

見えない放射能の“恐ろしさ”とはこういうことだったのだ

氏の7代続いた屋敷に着く。私の計測器で線量を測った。数値は限度を超えた。ついで滞在時間の帰路、浪江,請戸の湾に立ち寄った。600世帯の家屋は跡形もなく壊滅。緑も鳥の声も見えない。聞こえない。沈黙の世界。犠牲者もたくさんいたという。しかし、放射能線のため行方不明の捜索することが警察も、消防署も、住民もできなかった。手向けた仮の墓の前で手を合わせた。戦慄が走った。海側の方向にあの第一原発が見えた。

福島県の人口は200万人、被爆の強弱はあれ、殆どの地域、人々に放射線が降りそそいて蓄積している。セシウムが4分の1になるのに半世紀かかる。口から入った食べもの、空気、水に含まれる放射能が体中を照射し続ける。人口200万人といえば、日本の全人口1億2千万に対して6%弱の少数派だ。かつて広島の放射能内部被爆は10年間国民の目から遠ざけられていた。21万人の即死を除いて40万人が内部被爆の後遺症を患って死んだ。今も苦しんでいる人が22万人を数える。広島の内部ヒバクシャに対する差別は67年間続いてきた。四街道にも100人の被爆者が折られた。被爆者だと自らを明らかにしている人はひとり。その重さ。

被爆者たちを包む異端の目にさらされてきた重い現実がある。

 この国ではいじめの矛先は既に少数派である。現実を見ればただ、広島、フクシマに生まれただけで差別されるのは不条理であり、社会の一人ひとりにも責任がある。そこで放射能について「正しく恐れること」「正しく知ること」に転換しなければならない。広島、福島の痛みをわが痛みとすることなくして日本の未来はないのではないか。大飯原発は活断層の上にあるのに、あわただしく再稼動させた。30年以上経過した22基が地震国日本に展開されている。一旦事故が起これば取り返しのつかない事態になることは福島の原発事故でいやというほど知らされた。はじめに(終りにも)命、生活、国土があることを忘れた国に、子供を残したくない。これが普通の人の感覚だ。

3 見えないもの 愛情 おもいやり・・

 人間は弱くなると、人からの思いやり、まなざし、挨拶ほど身にしみるものはない。強い時の私はどうだったのだろうか。あの場面、あの場合を思い出すと、忸怩たる思いになることがある。私の左こぶしが幼いころの火傷でくるぶしのようになっているのを、それとなく知った人が気遣って支えてくれたことを思い出すと、いまにして涙が出てくる。この一年嘔吐が繰り返され、又良くなってくることの繰り返しの中ですごしてきた。久しぶりであう人も「どうですか」と声をかけてくれる。メールでも気遣ってくれる。世の中はよい人ばかりのような気がする。

愛情、友情、思いやりなど 見えないものは数えることができない

 見えないもの、数えることができないものがあって、初めて社会は成り立つのではないだろうか。家族間の愛情は数えることも打算もない。家事の仕事もGDPに数えられない。しかし、家族、社会福祉なくして言うところのGDP(国力)もないはずだ

原発論議で国力、国際競争力が強調されてきている。そのような人は

これまで

 広島、長崎の放射線被爆を隠しつづけ、ビキニの死の灰による犠牲者を省みず、はじめに原発ありきを権力者が決め、ピらミット型の支持決定のシステムで原発52基を地震列島の上に展開した。そしてついに福島原発を引き起こした。にもかかわらず、経済利権のために国力を落とさない原発の再稼動、新設、40年への使用延長を決め、平和利用をうたう原子力基本法に「安全保障」の文言を入れて原発を軍事利用する道を開こうとしている。

福島の人々の生命、生活、のためにこそ経済があるはずだ。人間の心や身体、それを支える生存条件、「生物環境、社会環境」を第一義とする方向への転換が不可欠だ。

それにきずけない 私ら。

(見えない価値を目覚めることがその保障だ)それを文化として定着させることが21世紀に生きる展望となる。ドイツは・・・最高倫理によって原発を否定し、廃炉を決めた

4 見えないの  略

 青いおそらのそこ深く、海の小石のそのように、夜が来るまで沈んでる、昼のお星は目に見えぬ 見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ(金子みずず)

 見えても見えないものがある 足元  略

見えない価値を目覚めること・・・日本社会ではやさしいようで難しい…しかし実は難しいようでやさしいのではないか…その機会さえあれば・・・

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