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大江健三郎氏とルモンドとの対談を 再度紹介します。

初めに

   翻訳者から以下のメールが知人に届いています

・・・大江氏とルモンドとの間に行われた対談・・・この対談の要趣は昨年の「世界」5月号に掲載されましたが、全文を和訳すべきではないか、と思い、ルモンド紙編集部から正式に許可を得ましたので、ここにフランス語からの全文をお届けします。記事の題は「対談:ノーベル文学賞受賞者、日本の良心を代表する作家は死者の記憶を裏切ってはならないこと、人間の尊厳を尊ばなければならないことを訴えています。大江健三郎『われらは犠牲者たちに見つめられている』」でした。

このメールは私の恩人、友人、また日本人による反原発のネットワークを介して広く配布してもよい、との許可をルモンド紙から戴いています。皆さんを通してこのメール、添付が更に広く行き渡ることを希望します。

                         村岡崇光

「われわれは犠牲者たちに見つめられている」

『先生のご意見では、日本の現代史において今度の災害がもつ意義はどこにあるでしょうか?』

過去数日間、日本の新聞はこの災害のことしか書いていません.全くの偶然なのですが、私が地震の前日に書いたものが3月15日の日刊紙「朝日新聞」の夕刊に掲載されました.その記事の中で、私は私と同世代のまぐろ漁船の船員で太平洋のビキニ環礁で行われていた米合衆国による水爆実験に巻き込まれて放射線を浴びた人の一生に触れました.私がこの人と会った時、私は18歳でした.彼はその後の生涯を核兵器の抑止効果という神話の虚構とその神話を歌い上げる人たちの傲慢さとの戦いに捧げました.この漁夫のことをまさしく今回の地震前夜に私が回想したというのは虫の知らせだったのでしょうか?彼は原子力発電所に対しても戦い、それが内包する危険を指摘しました.

わたしは、もうかなり前から三つのグループの人たちに焦点を合わせながら日本現代史をあとづけてみたいという企画を温めてきました.その3グループとは広島、長崎原爆の死者たち、ビキニの放射能被爆者たち..先ほど申しました漁夫はその生存者の一人でした―そして核施設での爆発事故の犠牲者たちです.この死者たち、核エネルギーの犠牲者たちに視点をあわせながら日本現代史を考察して行くと、彼らが巻き込まれた悲劇の実態が何であったかが見えてきます.

今私たちは、原子力発電所の抱える危険が現実となったことを知っています.今回の災害の実態を把握しようという私たちの努力がどういう形で決着するにしても、このような事故を阻止するために人間として可能な限りの努力が傾けられていることに敬意を表するにやぶさかではありませんが、この災害が何を意味するかについては一切の疑義を挟む余地はありません.

日本の歴史は新しい段階を迎えた、ということであり、私たちは苦しみの中にあって大きな勇気を示してくださった男女、核エネルギーの犠牲者たちの眼差しをまたもや受けている、ということです.今回の災害からどういう結論を引き出すことができるかは、これから生き続けて行くことを許されている私たちが同じ過ちを繰り返してはならないという決意の固さにかかっています.

『今回の災害は、絶えず地震の危険に曝されている日本と核エネルギーの内包する危険という二つの現象を極めて劇的な仕方で同時に示しています.前者は歴史開闢以来日本が向き合って来ざるを得なかった現実であり、後者は地震や津波よりも厳しい被害をもたらす危険をはらんでいますが、それは究極的には人災です.日本は広島の悲劇から何を学んだのでしょうか?』

私たちが広島の悲劇から学ばなければならない最も大事なことはあのとき即死した男女、生き延びはしてもその後何年にもわたって心身両面の苦痛に耐えなければならなかった人々の人間としての尊厳です.私の著作の中のいくつかでこのことを明らかにしよう、としたつもりです.

原爆の火を浴びた日本人は核エネルギーのことを生産性というような点から考えてはいけなかったのです、広島の悲劇的体験の中に経済成長のためのレシピーを求めてはならなかったのです.地震、津波、またその他の天災の場合と同じように、広島の体験を人類の歴史のなかにしかと刻むべきなのです.これは人間自身が作り出した災害ですから、天災よりは遥かに劇的な災害です.人間の命の尊さを無視し、原子力発電所を操り、かつてと同じ誤りを繰り返す、ということはすでに他界された広島、長崎の犠牲者たちに対する最悪の裏切り行為に他なりません.

先に言及しましたビキニのマグロ漁船の乗り組み員は原子力発電所廃絶を要求してやみませんでした.現代日本の最大の思想家のひとりである加藤周一(1919.2008)は原爆と、人間が抑制できなくなってしまった原子力発電所のことに触れながら、今を去る1000年以上前に書かれた清少納言の「枕草子」の一節を引用しています.著者は、遥か遠くにあるように見えて、同時に極めて身近なことについて語っています.核の悲劇は想定外の、遥か彼方の可能性にしか思えないかもしれませんが、しかし絶えず私たちの近くにあるのです.が日本政府に明確な政策決定を要求しています.日本が決定を先送りできた贅沢な時代は最早過去のものとなりました.

『敗戦から60年、日本はあの時誓った決意、つまり憲法に謳われた平和主義、武

力放棄、非核三原則を忘れたかに見えます.今回の災害は批判的な良心の覚醒を促す、とお考えになりますか?』

敗戦時、私は10歳でした.一年後、新憲法が公布され、時を同じくして教育基本法が制定され、憲法の基本線が子供でも理解できるような形で書かれていました.敗戦に続く10年間、武力に訴えることを放棄するという一項をも含む平和憲法、さらに非核三原則(核兵器をもたず、つくらず、持ち込ませず)が戦後日本の基本的理念をほんとうに表現したものであろうか、ということを絶えず自らに問い続けました.当時青年であった私がこの点について何らかの疑いを抱いていたら、当然のこととして大人たちはこの問いを自らに対して発していなければならなかったはずです.

現実には、日本はなし崩し的に再軍備し、米国との秘密協定によって核兵器が日本

列島に持ち込まれ、公式にお墨付きをもらっていた非核三原則は事実上空文句となりました.だからといって戦後世代の理想が放棄された、ということにはなりません.日本人は戦争中の苦しみ、原爆のことをなおも記憶にとどめていました.私たちを見つめていた死者たちは私たちが上記のような理想を尊重し続けることを要求しました.広島、長崎の犠牲者の記憶は政治の現実を楯にとって核兵器の有害性を過小評価することを許しませんでした.私たちはそのような現実主義には反対します.と同時に事実上の再軍備、米国との軍事協定を許容したのです.ここに今日の日本の曖昧さがすべからくさらけ出されています.

年が経つにつれて、平和憲法、再軍備、米国との軍事協定の混在から生まれるところのこの曖昧さはいよいよ強固なものにならざるを得ませんでした.敗戦時の平和主義の誓いに私たちは実質的な内容を織り込まなかったからです.アメリカの核抑止力の有効性を信頼しきった日本人は、アメリカの核の傘の下に安住する日本の態度の曖昧さをその外交政策の基軸にまで押し上げたのです.アメリカの核抑止力に対する安心感は超党派的な性格を帯びることとなり、2010年8月、広島被爆者追悼のとき、ときの民主党総理鳩山由紀夫が、米国代表が核兵器の危険性を指摘したにも拘らず取った態度に明白でありました.

福島原発事故を通して日本人が広島、長崎の犠牲者たちの気持ちを汲み取り、核の

危険を再認識するようになることを願わざるを得ません.われわれはこの危険を再び新たに体験したのであり、核兵器を所有する大国が唱えるところのその抑止力の有効性という神話を永遠に葬りたいものです.

『先生は1994年のノーベル文学賞受賞講演に「曖昧な国日本から来た私」という題を付けられましたが、「曖昧な日本」という表現は今でも妥当するでしょうか?』

私があのとき指摘した日本の曖昧さは現在日本で起こっていることによっていよいよはっきりしてきました.現時点において、その曖昧な日本が固守すべき価値観は完全な行き詰まり状態に陥っています.曖昧さの反対は明確さです.

1994年に私が曖昧な日本について語った頃は、私の祖国は選択や明確な政策決定をまだ引き延ばすことのできる、つまり曖昧さの中に安住するという贅沢を享受できるありがたい時代でした.日本は、決済日の指定されていないこういう状態が他の国々からも受け入れてもらえるものと考えていました.それがために、自らの歴史を認めることもせず、今日の世界における責任をとることもしませんでした.

政治の面におけるこの不明確さを許容出来ると考え、経済分野においても同じ姿勢を取り、最終的にどこへ行き着くかが分からなくてもかまわないような政策を採用し、その結果が90年代初頭のバブル経済の破綻ということになったのです.

今や日本は態度決定を迫られています.中国からも、アジアの他地域に対して責任をとるようにプレッシャーがかかっています.日本列島の中で米軍の基地が最も集中している沖縄の住民たちも彼らの領域に駐留している米軍の存在に関して日本政府が明確な方針を打ち出すことを期待しています.米軍基地としての沖縄というこの状況は日本人のみならず、米国人にとっても最早受け入れがたいものです.いまこそこの基地の役割を明確に規定し直すべき時です.選択に融通性をもたせておくことは最早許されません.沖縄戦の犠牲者たちが日本政府に明確な政策決定を要求しています.日本が決定を先送りできた贅沢な時代は最早過去のものとなりました.

『先生の作品の一つである「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」という題にど

う答えるべきか、と問われたら、いまどういう回答をなさいますか?』

私があの作品を書いた時、私は、世間でいうところの成熟した年齢に達していました.現在の私は人生の第三段階に入っており、「最後の小説」を執筆中です.もし私が現在のこの狂気をうまく生き延びることができたら、その作品はダンテの「神曲」の中の地獄篇の最後の一節の引用をもって書き出すつもりです.そこには「それから、われわれは外に出て星を眺めよう」というようなことが書いてあります.

ルモンド紙東京特派員:

PHILIPPE PONS

訳:村岡崇光

オランダ、ライデン大学名誉教授

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