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故郷 があって私が在る 3年前に書いたものから

故郷 があって私が在る  (3年前に書いたもの)

   

育ったところに行ってきた。病院で病に臥す人としぜんに幼いときの話になった。(注)。生家の隣の人の消息やまわりの町名や街並みの話がでてきた。町名では城下町仙台に特有な定禅寺 花京院通り 鉄砲町 二十人町 車通り 遣水町 空掘町 新寺小路に寺小路 霊橋と評定河原 などなど次々に出てきた。久しく忘れていた様々なシーンが浮かび上がってきた。全てがなつかしい名前であった。色々な仲間と遊び行きかいしたところだった。

しかしそれらの地名は数十年後の今では殆どなくなり、「番号町名」になってしまった。町並みもすでに変わり果てた。何か大事なものをうしなったような気分に襲われた。

このような感慨は誰にもあることであろう。年寄の単なる感傷でないことを意識させたのは「題名 ニ人称の死 浅見洋著」の書物だった。 人は誰だって親しい人、愛する人の死に遭遇するほどつらいものはない。それは、生前にその人と〝私〟いいかえれば〝あなた〟と〝わたし〟の親しい関係、対話があってのことだ。でも見知らぬひとのそれはどうだろうか、なんとなく他人事となってしまう。著者は人間の尊厳への思索を「二人称の死」へのむきあいから始まったとして鈴木大拙を解説する。

そこで私は「人」を「ふるさと」におきかえてみた。

私の故郷など他人にとっては何の変哲もないただの地域であろう。が私にとってはかけがえないものでとにかく懐かしい。私は故郷を出てから45年。青、壮年期はたまにしか省みる事はなかった。私と同世代の多くの人たち(つまり経済の高度成長時を経験した世代)も故郷をたまにしか省みなかったのではないか。「故郷」に含意される意味を疎んじまった。結果として人間が手段化し生活が目的にはならない面白味のない日本社会作りに加担してしまったともいえる。今社会から様々な社会的病理現象 格差 排除社会の事実をつきつけられている。 私はその背景に「ふるさと」と「景観」を喪失させた列島[開発]があると思えてならない。よるべき心のふるさとを奪い浮遊させてしまっている。生活から心を取ったら荒廃がまっている。そんな中先行き不安から強い政治権力を望む風潮すらみられる。

故郷・自然 街並み 景観  そして近隣 の人々  何よりも子供たち との「親しい関係」を作ることを阻む長時間労働 雇用形態を根本的に変えること抜きに活路はみいだせないであろう。 まず私自身のこれまでの立居振る舞いも問われることになる。周りとの親しい関係 「 貴方がいて私がいる」に加えて「故郷」も 「地元の自然」も  「近所」のひとも 「医者」も 「福祉」もみんな「二人称の関係―あなた的関係」になるようにすることであろう。そうかんがえると 先達が沢山おられることにきずく。自分の持ち場で、脚下ではじめているひとたちである。

さて5年前ひょんなことで自転車事故に遭ってしまったるくる、めまいから数ヶ月ぶりにやっと解放された。命拾いをした。鈴木大拙の言葉に「息を吸うのも快楽なり」がある。ベッドにいたときも感じた。息を吸う時の気持ち良さにはたまらないものがある。 前掲の本(

ニ人称の死 浅見洋著)で呼吸は大変な意味を持つ言葉だと知った。人生の「肯定も肯定」,大肯定を意味している。なるほど「息を吸い、息を吐くことは私を取り巻く環境と共生していることを端的に示しているという。その意味で私も生物的生命なのである。環境倫理としても重要視されるテーマであろう。同時に呼吸は「再生」そのものであり、社会(歴史的社会)を場として生きる創造的な「つくりつくられていく」個である、ともいう。こう理解すると歴史的社会の中で、生のリレーランナーとして、喜びを持っての「使命」に生きることができるということになる。「昔があって今がある」「未来があって今がある」〝いま〟〝ここ〟に生きる意味もうかびあがってくるというもの。歴史的社会的生命観においてはじめて成立する考え方なのだ。私の読みが浅いとしても素直に理解できたのは事故に遭ったおかげかもしれない。でも自転車事故にはきをつけよう。

(後記注 この文を記した1年後その人は3・11の大震災で津波にのまれ10日後遺体で発見された。兄であった。陸奥のなじんだところはしんぎんしていた・亡兄とは改めて対話したくてはならないだろう)

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