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8月26日 平和フェスティバルで歌った”ふるさと ”

8月26日 なくそう世界の核兵器広げよう被曝者援護

ピースフェスティバル の集いが千葉文化センターアートホールで行われたた。千葉県原

爆被曝者友愛会が中心の実行委員会が主催し私も実行委員の1員を務めた。感動的な芝

の朝ちゃんをはじめ、被爆者と高校生の対話等の中で出演した四街道少年少女合唱

団は会場を魅了した。

最後に歌った故郷の曲にみんな引き込まれ こころにそれぞれのふるさとがよぎった。

私はなぜか 3・11の 津波で亡くなる前・病床の兄と語ったふるさとが浮かんだ。

かれが存命だったころ私が書いた書いていたものがある。その1部を以下抜き取って

みる。 

故郷 があって私が在る

・・・・育ったところに行ってきた。病に臥す人としぜんに幼いときの話になった。家の隣の人の消息やまわりの町名や街並みの話がでてきた。町名では城下町に特有な定禅寺 花京院通り 鉄砲町 二十人町 車通り 遣水町 空掘町 新寺小路に寺小路 霊橋と評定河原 などなど我が家につながる道だ次々に出てきた。道々にまつわる久しく忘れていた様々なシーンが浮かび上がってきた。全てがなつかしい名前であり場面だった。色々な仲間と遊び行きかいしたところだった。

しかしそれらの地名は数十年後の今では殆どなくなり、「番号町名」になってしまった。町並みもすでに変わり果てた。何か大事なものをうしなったような気分に襲われた。このような感慨は誰にもあることであろう。年寄の単なる感傷でないことを意識させたのは「ニ人称の死という書物」だった(福祉ボランティアで一緒した方の親族の著)

 人は誰だって親しい人、愛する人の死に遭遇するほどつらいものはない。それは、生前にその人と〝私〟いいかえれば〝あなた〟と〝わたし〟の親しい関係、対話があってのことだ。でも見知らぬひとのそれはどうだろうか、なんとなく他人事となってしまう。著者は人間の尊厳への思索を「二人称の死」へのむきあいから始まったとして鈴木大拙を解説する。

そこで私は「人」を「ふるさと」におきかえてみた。私の故郷など他人にとっては何の変哲もないただの地域であろう。が私にとってはかけがえないものでとにかく懐かしい。私は故郷を出てから45年をこえた。青・壮年期はたまにしか省みる事はなかった。私と同世代の多くの人たち(つまり経済の高度成長時を経験した世代)も故郷をたまにしか省みなかったのではないか。

「故郷」に含意される意味を疎んじてしまった。結果として人間を手段化し生活が目的にはならない面白味のない日本社会作りに加担してしまったともいえる。今様々な社会的病理現象 格差 排除社会の事実をつきつけられている。 私はその背景に「ふるさと」と「景観」を喪失させた列島[開発]があると思えてならない。

よるべき心のふるさとを奪い浮遊させてしまっている。生活から心を取ったら荒廃がまっている。そんな中先行き不安から強い政治権力を望む風潮すらみられる。

故郷と自然 街並み 景観  そして近隣 の人々  何よりも子供たち との「親しい関係」を作ることを阻む長時間労働 雇用形態を根本的に変えること抜きに活路はみいだせないであろう。

 まず私自身のこれまでの立居振る舞いも問われることになる。周りとの親しい関係 「 貴方がいて私がいる」に加えて「故郷」も 「地元の自然」も  「近所」のひとも 「医者」も 「福祉」もみんな「二人称の関係―あなた的関係」になるようにすることであろう。

そう考えると”先達”が沢山いることにきずく。足元にたちかえること、自分・自分の持ち場で、脚下ではじめているひとたちである。・・・最近亡くなった詩人の茨木のりこは「ダメな事の一切を時代のせいにするな それはわずかに残る尊厳の放棄」と詩にしたためている。わずかに残る尊厳を放棄はすまい。

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8月26日「ふるさと♪♪」を口ずさむ私の声が低くなり、壇上の少年少女合唱団を後ろに会場に向かって指揮を取る指揮者の姿もかすみはじめた。

当日私は原爆展の担当だった。展示パネルを説明する被曝者友愛会会長の青木さんのナガサキ弁の声色も浮かんだ。白血球が普通人の半分のからだで杖を突きながら丁寧懇切に当時の様子を語る様子。彼にとっての故郷は?世界史上初めての原爆投下地の惨状。たくさんの2人称の死・おびただしい犠牲者から 生きてノーモア被曝者の生のリレーランナーとして、「使命」をいたくされたて生きてきた。生きる事がたたかいだった人。

「昔があって今がある」

「未来があって今がある」

「故郷があって今がある」〝いま〟〝ここ〟に生きる意味がうかびあがってくる。

みんなに無性に感謝したい気持。”ふるさと”を一緒に歌ってくれた四街道少年少女合唱団員の皆さんありがとう。「ふるさとのメロデー」にも有難う。

   

合唱団は会場参加者とともに「故郷」をうたった。

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