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2012年8月

8月26日 平和フェスティバルで歌った”ふるさと ”

8月26日 なくそう世界の核兵器広げよう被曝者援護

ピースフェスティバル の集いが千葉文化センターアートホールで行われたた。千葉県原

爆被曝者友愛会が中心の実行委員会が主催し私も実行委員の1員を務めた。感動的な芝

の朝ちゃんをはじめ、被爆者と高校生の対話等の中で出演した四街道少年少女合唱

団は会場を魅了した。

最後に歌った故郷の曲にみんな引き込まれ こころにそれぞれのふるさとがよぎった。

私はなぜか 3・11の 津波で亡くなる前・病床の兄と語ったふるさとが浮かんだ。

かれが存命だったころ私が書いた書いていたものがある。その1部を以下抜き取って

みる。 

故郷 があって私が在る

・・・・育ったところに行ってきた。病に臥す人としぜんに幼いときの話になった。家の隣の人の消息やまわりの町名や街並みの話がでてきた。町名では城下町に特有な定禅寺 花京院通り 鉄砲町 二十人町 車通り 遣水町 空掘町 新寺小路に寺小路 霊橋と評定河原 などなど我が家につながる道だ次々に出てきた。道々にまつわる久しく忘れていた様々なシーンが浮かび上がってきた。全てがなつかしい名前であり場面だった。色々な仲間と遊び行きかいしたところだった。

しかしそれらの地名は数十年後の今では殆どなくなり、「番号町名」になってしまった。町並みもすでに変わり果てた。何か大事なものをうしなったような気分に襲われた。このような感慨は誰にもあることであろう。年寄の単なる感傷でないことを意識させたのは「ニ人称の死という書物」だった(福祉ボランティアで一緒した方の親族の著)

 人は誰だって親しい人、愛する人の死に遭遇するほどつらいものはない。それは、生前にその人と〝私〟いいかえれば〝あなた〟と〝わたし〟の親しい関係、対話があってのことだ。でも見知らぬひとのそれはどうだろうか、なんとなく他人事となってしまう。著者は人間の尊厳への思索を「二人称の死」へのむきあいから始まったとして鈴木大拙を解説する。

そこで私は「人」を「ふるさと」におきかえてみた。私の故郷など他人にとっては何の変哲もないただの地域であろう。が私にとってはかけがえないものでとにかく懐かしい。私は故郷を出てから45年をこえた。青・壮年期はたまにしか省みる事はなかった。私と同世代の多くの人たち(つまり経済の高度成長時を経験した世代)も故郷をたまにしか省みなかったのではないか。

「故郷」に含意される意味を疎んじてしまった。結果として人間を手段化し生活が目的にはならない面白味のない日本社会作りに加担してしまったともいえる。今様々な社会的病理現象 格差 排除社会の事実をつきつけられている。 私はその背景に「ふるさと」と「景観」を喪失させた列島[開発]があると思えてならない。

よるべき心のふるさとを奪い浮遊させてしまっている。生活から心を取ったら荒廃がまっている。そんな中先行き不安から強い政治権力を望む風潮すらみられる。

故郷と自然 街並み 景観  そして近隣 の人々  何よりも子供たち との「親しい関係」を作ることを阻む長時間労働 雇用形態を根本的に変えること抜きに活路はみいだせないであろう。

 まず私自身のこれまでの立居振る舞いも問われることになる。周りとの親しい関係 「 貴方がいて私がいる」に加えて「故郷」も 「地元の自然」も  「近所」のひとも 「医者」も 「福祉」もみんな「二人称の関係―あなた的関係」になるようにすることであろう。

そう考えると”先達”が沢山いることにきずく。足元にたちかえること、自分・自分の持ち場で、脚下ではじめているひとたちである。・・・最近亡くなった詩人の茨木のりこは「ダメな事の一切を時代のせいにするな それはわずかに残る尊厳の放棄」と詩にしたためている。わずかに残る尊厳を放棄はすまい。

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8月26日「ふるさと♪♪」を口ずさむ私の声が低くなり、壇上の少年少女合唱団を後ろに会場に向かって指揮を取る指揮者の姿もかすみはじめた。

当日私は原爆展の担当だった。展示パネルを説明する被曝者友愛会会長の青木さんのナガサキ弁の声色も浮かんだ。白血球が普通人の半分のからだで杖を突きながら丁寧懇切に当時の様子を語る様子。彼にとっての故郷は?世界史上初めての原爆投下地の惨状。たくさんの2人称の死・おびただしい犠牲者から 生きてノーモア被曝者の生のリレーランナーとして、「使命」をいたくされたて生きてきた。生きる事がたたかいだった人。

「昔があって今がある」

「未来があって今がある」

「故郷があって今がある」〝いま〟〝ここ〟に生きる意味がうかびあがってくる。

みんなに無性に感謝したい気持。”ふるさと”を一緒に歌ってくれた四街道少年少女合唱団員の皆さんありがとう。「ふるさとのメロデー」にも有難う。

   

合唱団は会場参加者とともに「故郷」をうたった。

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いじめ考Ⅰ   三猿

  「大津の子どもいじめは  いまにはじまったことかな?」

 聞いた相手は校長さん・教育委員会勤務を経てもう二〇年立つ身近な人だ。

「インターネットいじめなど時代の変化で現れ方は違うが本質は二〇年前も同じだよ」

「本質ってなんですか

「日光東照宮の三猿 見ざる  言わざる  聞かざる」

「ほう。三猿ね・  むしろ みせない・言わせない。聞かせない三無(みない)じゃないの   大津のテレビをみての感想ですが

「まあな。学校は隠したい。議員や町の顔役はうるさいから。教育委員会のおぼしめしも気にかかる。だから見て見ぬふり・だんだん知ろうとしなくなる。狭い隠ぺい体質になる。真面目な先生は孤立・」

「加害者はPTAの会長の子弟だったとか。誰だろうと暴力には毅然とすべきだ。みんなで話し合って・被害者を守る手立てをとる。加害者も含めて子ども同士話し合う場をちくる事が出来ないにかな。で職員会議もなくなったという。単なる校長の伝達趣旨徹底に場になっているって本当ですか」

「子どもの目線に立って  いじめをなくす・そのためには子どもをよく見・きく日々でなければ。いじめに対して先生同士が協力い合う・職員会議も子どもの人権感覚と行動をいかにそだてるか大事な場だよ」

「そうあってほしいな。一年前孫もいじめにあって悔しさで泣いているところを親が見つけて、よく聞いてから・他の親と語り合って学校に相談した。 校長さんも含めて 対応していただいた。なんといっても親の愛情だね・三ざるにならない為には。

続く

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大江健三郎とルモンドとの対談

注   翻訳者がルモンド紙との拡散了解を取っているとのことなので載せます

大江健三郎の  震災原発事故直後の文は時代を透徹した誠実な人間の言霊になっています。いずれ 共有したい気持ちが起きるでしょう(TH

大江健三郎とルモンドとの対談

「われわれは犠牲者たちに見つめられている」 

Entretien Prix Nobel de litterature, conscience du Japan, l’ecrivain rappelle

le devoir defidelite a la memoire des morts et a la dignite de l’hommeKenzaburo Oe:

Nous sommes sous le regard des victimes

Le Monde, 17.3.2011

『先生のご意見では、日本の現代史において今度の災害がもつ意義はどこにあるで

しょうか?』

過去数日間、日本の新聞はこの災害のことしか書いていません.全くの偶然なので

すが、私が地震の前日に書いたものが3月15日の日刊紙「朝日新聞」の夕刊に掲載されま

した.その記事の中で、私は私と同世代のまぐろ漁船の船員で太平洋のビキニ環礁で行われ

ていた米合衆国による水爆実験に巻き込まれて放射線を浴びた人の一生に触れました.私が

この人と会った時、私は18歳でした.彼はその後の生涯を核兵器の抑止効果という神話の

虚構とその神話を歌い上げる人たちの傲慢さとの戦いに捧げました.

この漁夫のことをまさしく今回の地震前夜に私が回想したというのは虫の知らせだったので

しょうか?彼は原子力発電所に対しても戦い、それが内包する危険を指摘しました.

わたしは、もうかなり前から三つのグループの人たちに焦点を合わせながら日本現

代史をあとづけてみたいという企画を温めてきました.その3グループとは広島、長崎原爆

の死者たち、ビキニの放射能被爆者たち..先ほど申しました漁夫はその生存者の一人でし

たーーそして核施設での爆発事故の犠牲者たちです.この死者たち、核エネルギーの犠牲者

たちに視点をあわせながら日本現代史を考察して行くと、彼らが巻き込まれた悲劇の実態が

何であったかが見えてきます.

今私たちは、原子力発電所の抱える危険が現実となったことを知っています.今回の

災害の実態を把握しようという私たちの努力がどういう形で決着するにしても、このような

事故を阻止するために人間として可能な限りの努力が傾けられていることに敬意を表するに

やぶさかではありませんが、この災害が何を意味するかについては一切の疑義を挟む余地は

ありません.

日本の歴史は新しい段階を迎えた、ということであり

、私たちは苦しみの中にあって大きな勇気を示してくださった男女、核エネルギーの犠牲者

ちの眼差しをまたもや

受けている、ということです.今回の災害からどういう結論を引き出すことができるかは、

これから生き続けて行くことを許されている私たちが同じ過ちを繰り返してはならないとい

う決意の固さにかかっています.

『今回の災害は、絶えず地震の危険に曝されている日本と核エネルギーの内包する

危険という二つの現象を極めて劇的な仕方で同時に示しています.前者は歴史開闢以来日本

が向き合って来ざるを得なかった現実であり、後者は地震や津波よりも厳しい被害をもたら

す危険をはらんでいますが、それは究極的には人災です.日本は広島の悲劇から何を学んだ

のでしょうか?』

私たちが広島の悲劇から学ばなければならない最も大事なことはあのとき即死した

男女、生き延びはしてもその後何年にもわたって心身両面の苦痛に耐えなければならなかっ

た人々の人間としての尊厳です.私の著作の中のいくつかでこのことを明らかにしよう、と

したつもりです.

原爆の火を浴びた日本人は核エネルギーのことを生産性というような点から考えて

はいけなかったのです、広島の悲劇的体験の中に経済成長のためのレシピーを求めてはなら

なかったのです.地震、津波、またその他の天災の場合と同じように、広島の体験を人類の

歴史のなかにしかと刻むべきなのです.これは人間自身が作り出した災害ですから、天災よ

りは遥かに劇的な災害です.人間の命の尊さを無視し、原子力発電所を操り、かつてと同じ

誤りを繰り返す、ということはすでに他界された広島、長崎の犠牲者たちに対する最悪の裏

切り行為に他なりません.

先に言及しましたビキニのマグロ漁船の乗り組み員は原子力発電所廃絶を要求して

やみませんでした.現代日本の最大の思想家のひとりである加藤周一(1919

.2008)は原爆と、人間が抑制できなくなってしまった原子力発電所のことに触れながら、

今を去る1000年以上前に書かれた清少納言の「枕草子」の一節を引用しています.著者は、

遥か遠くにあるように見えて、同時に極めて身近なことについて語っています.核の悲劇は

想定外の、遥か彼方の可能性にしか思えないかもしれませんが、しかし絶えず私たちの近く

にあるのです.

先生は1994年のノーベル文学賞受賞講演に「曖昧な国日本から来た私」とい

う題を付けられましたが、「曖昧な日本」という表現は今でも妥当するでしょうか?』

私があのとき指摘した日本の曖昧さは現在日本で起こっていることによっていよい

よはっきりしてきました.現時点において、その曖昧な日本が固守すべき価値観は完全な行

き詰まり状態に陥っています.曖昧さの反対は明確さです.1994年に私が曖昧な日本に

ついて語った頃は、私の祖国は選択や明確な政策決定をまだ引き延ばすことのできる、つま

り曖昧さの中に安住するという贅沢を享受できるありがたい時代でした.日本は、決済日の

指定されていないこういう状態が他の国々からも受け入れてもらえるものと考えていまし

た.それがために、自らの歴史を認めることもせず、今日の世界における責任をとることも

しませんでした.政治の面におけるこの不明確さを許容出来ると考え、経済分野においても

同じ姿勢を取り、最終的にどこへ行き着くかが分からなくてもかまわないような政策を採用

し、その結果が90年代初頭のバブル経済の破綻ということになったのです.

今や日本は態度決定を迫られています.中国からも、アジアの他地域に対して責任を

とるようにプレッシャーがかかっています.日本列島の中で米軍の基地が最も集中している

沖縄の住民たちも彼らの領域に駐留している米軍の存在に関して日本政府が明確な方針を打

ち出すことを期待しています.米軍基地としての沖縄というこの状況は日本人のみならず、

米国人にとっても最早受け入れがたいものです.いまこそこの基地の役割を明確に規定し直

すべき時です.選択に融通性をもたせておくことは最早許されません.沖縄戦の犠牲者たち

が日本政府に明確な政策決定を要求しています.日本が決定を先送りできた贅沢な時代は最

早過去のものとなりました.

『敗戦から60年、日本はあの時誓った決意、つまり憲法に謳われた平和主義、武

力放棄、非核三原則を忘れたかに見えます.今回の災害は批判的な良心の覚醒を促す、とお

考えになりますか?』

敗戦時、私は10歳でした.一年後、新憲法が公布され、時を同じくして教育基本

法が制定され、憲法の基本線が子供でも理解できるような形で書かれていました.

敗戦に続く10年間、武力に訴えることを放棄するという一項をも含む平和憲法、

さらに非核三原則(核兵器をもたず、つくらず、持ち込ませず)が戦後日本の基本的理念を

ほんとうに表現したものであろうか、ということを絶えず自らに問い続けました.当時青年

であった私がこの点について何らかの疑いを抱いていたら、当然のこととして大人たちはこ

の問いを自らに対して発していなければならなかったはずです.

現実には、日本はなし崩し的に再軍備し、米国との秘密協定によって核兵器が日本

列島に持ち込まれ、公式にお墨付きをもらっていた非核三原則は事実上空文句となりまし

た.だからといって戦後世代の理想が放棄された、ということにはなりません.日本人は戦

争中の苦しみ、原爆のことをなおも記憶にとどめていました.私たちを見つめていた死者た

ちは私たちが上記のような理想を尊重し続けることを要求しました.広島、長崎の犠牲者の

記憶は政治の現実を楯にとって核兵器の有害性を過小評価することを許しませんでした.私

たちはそのような現実主義には反対します.と同時に事実上の再軍備、米国との軍事協定を

許容したのです.ここに今日の日本の曖昧さがすべからくさらけ出されています.

年が経つにつれて、平和憲法、再軍備、米国との軍事協定の混在から生まれるとこ

ろのこの曖昧さはいよいよ強固なものにならざるを得ませんでした.敗戦時の平和主義の誓

いに私たちは実質的な内容を織り込まなかったからです.アメリカの核抑止力の有効性を信

頼しきった日本人は、アメリカの核の傘の下に安住する日本の態度の曖昧さをその外交政策

の基軸にまで押し上げたのです.アメリカの核抑止力に対する安心感は超党派的な性格を帯

びることとなり、2010年8月、広島被爆者追悼のとき、ときの民主党総理鳩山由紀夫

が、米国代表が核兵器の危険性を指摘したにも拘らず取った態度に明白でありました.

福島原発事故を通して日本人が広島、長崎の犠牲者たちの気持ちを汲み取り、核の

危険を再認識するようになることを願わざるを得ません.われわれはこの危険を再び新たに

体験したのであり、核兵器を所有する大国が唱えるところのその抑止力の有効性という神話

を永遠に葬りたいものです.

『先生の作品の一つである「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」という題にど

う答えるべきか、と問われたら、いまどういう回答をなさいますか?』

私があの作品を書いた時、私は、世間でいうところの成熟した年齢に達していまし

た.現在の私は人生の第三段階に入っており、「最後の小説」を執筆中です.もし私が現在

のこの狂気をうまく生き延びることができたら、その作品はダンテの「神曲」の中の地獄篇

の最後の一節の引用をもって書き出すつもりです.そこには「それから、われわれは外に出

て星を眺めよう」というようなことが書いてあります.

ルモンド紙東京特派員:PHILIPPE PONS

訳:村岡崇光

オランダ、ライデン大学名誉教授

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朝顔に釣瓶とられて もらい水 ・・・・  見事に咲く

朝顔に釣瓶とられて もらい水

もうこんな身近な隣組はない。地域社会の関係はいっそう貧困になってしまった。

でも私はご近所から種をいただいた。

立ち止まって魅せられていた私に花の達人は種を分けてくれた。

1年たち  2年たち

昨朝見事にさいた。 お礼の報告のため写真に収めた。

まずはご覧あれ!

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原子力発電をやめること 早期に 早期に、

原子力発電を始めたこと自体無責任。

 ①核廃棄物の最終処理をどうするか決めないまま始めた史上最悪の無責任国策。

   10万年間地下古層に埋めなければならない愚。

  ② 放射能は人為的には操作できないのに操作してきた傲慢さ。そのつけが

  福島原発過酷事故に跳ね返っている。  ・・・        

    為政者と推進したいわゆる「学者」はこれに何も答えていない。

    理不尽の極みだ。市民・科学者・の究明が肝心になっている。

   

     

③他に多くの問題が明白になってきている

   〇古来日本は世界にまれな地震国である。たとえば大飯原発の再稼働に際

    して巨大 被害を及ぼした・昭和23年の福井地震を隠した。

    

      S23年6月28日午後5時14分に発生した福井大地震の記録映画が発見され

    、you-tubeにアップされています。ぜひご覧ください。 

     大飯再稼働の議論の中では、一言も触れられ なかった福井大地震の惨状です。

             (関西の友人kさんより)

     〇ひとたび事故が起きれば.福島の事故で明らかなように事故の影響は末代ま

    で計り知れない。世界に広がる

     福島の被災者から聞くとその一端がヨークわかる。福島にいってみよう

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     そこに明日の日本、わが身を想像できる。他の事故とは根本的に違う。

      〇ある先輩はどだい原子力発電の核分裂反応を制御は技術的にも完成

      されていないという。拡散された放射性物質の放射能は物理的.科学

      的反応によって変化しない。そこが他の事故と基本的に違う。

      

    人々の・私らの命にとって問題点がありすぎる・

     

    

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セミがなる木・ 自然ーじねんーがいい・夕やみ

8月6日 県庁で開かれた千葉県被曝者友愛会主催のヒバクシャの体験を聞いた後、家に戻り

夕闇が迫る近くの公園に「セミがなる木」と「ホタルの恋」観賞に連れあいと出かけた。集合地には先にきていた市内の友人10人が待っていた。福島原発から避難された子どもと大人5人と一緒だった。

写真下 夕日が沈むころ 我が家のひまわりに挨拶して出かける

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写真下  夕闇が迫っている

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写真 7時半セミがなる木 が数10本が生い茂る公園へ。10歳から75歳の10人が

一斉に、あっ!ここにも・あそこにも・この木にも・この葉にも・根っこのところにも

と脱皮に向かってゆっくり、ゆっくり のセミたちに感動の静かな歓声。

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8時ホタル生息地までお喋りしながら向かった

ホタル見るのが初めての大人や・こどもも。

Tちゃんにカウンターを持ってもらった。まるで「お空のお星さまのよう」とかって孫が歓声を上げた

所で10歳のT君は140匹をカウントして誇らしげ。30分堪能。

セミのなる木で脱皮ののドラマに出会いたい。せみ公園へ

写真下  脱皮は幽玄

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人生(セミ生)の最終章、生の継承に飛び立つため  最後の営み センス オブ  ワンダー

淡い緑・幽玄

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ヒトのしぜん・自然・じねんの一コマ  夕陽 暗闇の中で遊びほろける。これを支える親はえらいなー・65年前の同年だい自分らもこうだった。

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