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2012年5月

楽しみな 知人・友人からの配信  2つ紹介

沖縄の友人への返事

貴兄の配信、楽しみにしています。

まったくだ、とうなずいてみています、刺激を受けています。 貴兄は

最近、(ますます )マスコミは真実を伝えず、巧みに世論を誘導する。
(
これまでにもまして)そこに自らの生きる道を見いだしているかのようだ。と記していますが

全くですね


1954ビキニの3ケ月後ブラボー水爆実験を強行、日本国民の反対運動が高まった中でアメリカの対日世論工作責任者ダニエルSワトソンは「核兵器に対する日本人の過剰反応によって、核実験の続行が困難となり、原子力平和利用計画にも支障をきたす。そのため日本に対する心理戦略計画を検討すべきである。日本では特に大きな新聞。日本は新聞によって世論が形成される」と新聞を抑える政策をとった。

「資源の乏しい日本は原子力平和利用にうってつけの国と正力に言うと目を輝かせた」(NHKテレビ実録)…その後アメリカはビキニで日本政府に請求権を放棄させ1957年東海村でアメリカ側から提供された濃縮ウランで臨界に成功、原子力産業への道を開いていった。・・・・読売の正力社主は政府中枢に入り、中曽根議員は、法律で原発開発を国策にしていった。・・・福島原発の過酷事故のもかかわらず、当時からマスコミで大きな力を持った人は今も影響力を持っている。(大江健三郎、、大石又七との対談で)

ドイツの原発について調査してこられた木更津のTさんから

Untitled_2 アレーベンの反対運動のシンボルkarakaraマーク

反対運動の牽引者、マルティナ・ラマーズ(緑の党)さんが、
市民運動を成功するポイントを教えてくれました。

色いプラカードはゴアレーベンの反対運動のシンボルマーク

いい人脈
情報提供
何回でもデモや・プラカードでアピール
行政機関に入り、内部から変えていく
協力相手は他の組織から探すこと

不思議。

廃棄場所がないものを作り続けている原発。

使い続けている原発。

使い続ける限り、行き場のない廃棄物はふえる。


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大石又七さんのこと

大石又七さん

一昨年のビキニデーにての氏の発言

 (広島県の1000倍の威力を持つ)水爆実験による放射線を頭の上に、毛の中に降り注いだ。放射能は骨

に蓄積していった。・・・保障はなく、保険もおりず、ただ差別だけ残った。多くの被爆諸氏は沈黙する

ことが唯一の選択になった。私も焼津を離れ、わが子の死産のショック、がん手術もしたが、しかし、沈

黙を強いられ苦悶の中で一人欠け、二人欠け、三人欠けていく中で無駄死にさせてはならないという内側

からの声に押されて明らかにした。調べるうちに私をはじめ被爆者に言われていることがうそであること

がわかった。本は4冊になった。もうまっぴら、再びあってはならない。戦争さえなかったら原爆投下はな

かった。戦争につながるものはなくそう。世界への災害救助隊に変える。全世界に貢献し日本が尊敬され

る道はこれだと思う。

(来日しているNPT ニューヨーク行動の全体責任者のジョセフ、ガーソンさんは大石又七の功績をた

たえていました。四街道で40冊売れた大石さんの本は英訳されています

内部被ばくの恐ろしさをとことん突き詰めていたら原発はつくれなかったはずです。

大石さんがたどった内部ヒバクシャの恐ろしさ、内奥の苦しみにを、これから福島の被爆者の身に起こる

であろう苦衷を想像し重ねて考えることが・・・・・・・・。、

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避難された双葉郡の方との対話から

避難された双葉郡の方との対話から

Aさん、何もすることなくなってね、

僕   11町歩も出有機米作ってたんだってね

Aさん、 有機米を郵送で全国各地におくっていた。避難当日も300袋を送る手はずにしていた。

僕    そのままにして、とりあえず逃げろと言われてここに・・・・

Aさん 7月1日帰宅を1時間許されて帰ったら、コメの倉庫は イノブタの住処。米はまるで砂を引いたようになっていたメチャクチャ。

奥さん もう帰れなくなりました。息子が仕事をやめて、有機米作りを一生の仕事にしようと準備が整っていたのに。

この人、気力を亡くしてしまって・・・炬燵に入りっぱなし。

僕   おつらいでしょうね、お孫さんどうしてますか

何度か行き来をしてきたが、こんな会話は昨年のくれ頃でした。その後何度か一緒に散歩しています。

散歩の中で先祖7代にわたって、土とともに暮らしてきた人にとって、農業を離れることが、どんなに大変で辛いことか伝わってきます。

農業を知らない都会にばかり住んできた私には想像を超えるものです。先のみとうしなく、人生を切断され、農業でつながる町の仲間との絆がずたずたになってしまった。写真を見せてもらった。美田だったに違いないところでトラクター運転中のAさんの姿だった。耕す土地があるのに耕せない、息子と一緒に働けない…本人はなにも悪いことをしたことがないのに・・いまこれまで縁もゆかりもなかった4街道にいることになってしまった。

もともと東電の原発がなければこんなことはなかったのだ。 広島の原爆で内部被ばくで苦しんできた方に会うたびに 「戦争さえなかったら原爆はなかったのに」という気持ちになった。

今度こそ原発は廃炉にという思いは切です。

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 茨城県東海村長 村上 達也さん 『東海第二』廃炉を  再掲

繁栄は一炊の夢だった

東海第二』廃炉を

 村上 達也さん  茨城県東海村長   朝日新聞掲載紹介

 実は東海村の日本原子力発電所第二原発も、東京電力福島第一原発で起きた「全電源喪失」の寸前でし

た。地盤の影響で外部電源がすべてダウン、非常用発電機でポンプを動かして原子炉を冷却しましたが

、一時間後に押し寄せた津波があと70センチ高ければ、海水は防波堤を乗り越えて、すべての冷却機器

が失われていたかもしれません。

 2週間後にその事実を知り、背筋が凍る思いをしました。東海第二の場合、20キロ圏内には75万

人、30キロ圏内には100万人の人が住んでおり、県庁所在地の水戸市も含まれます。細野剛志原発相

に「選択肢として東海第二の廃炉ということも考えるべきではないか」と問題提起したのは、こうした事

情があったからです。

 そもそも世界有数の地震大国の日本に、54基もの原子炉があること事態が以上です。しかも、東海第

二のように人口密集地に原発を立地している国は世界でもあまり例がありません。

 「原発が無くなったら住民の雇用をどうするのか」「村の財政をどう維持するのか」という議論も村内

にはあります。しかし、原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を1基誘致すると固定資産税の交付金など

10年間で数百億円の金が入る。その金がなくなると、また「原子炉を誘致せよ」という話になる。尋常

ではありません。

 東海村の人口約3万7千人の3分の1は、日本原子力緊急開発機構を中心とする13の原子力事業所と

何らかのかかわりを持っています。また原子力関係からの財源は一般会計の3分の1に当たる約60億円

にのぼり、まさに「原子力の村」です。

 しかし、今後の世界は「脱原発依存」が主流となるでしょう。いつまでも原発マネーに頼って入られな

い。日本最初の「原子の火」がともった東海村は原子力と55年の歴史を共有し、原子力が文化として定

着しています。これを同地域作りに生かすかが重要です。

 現在、村では原子力に関する科学・技術や人材を総合的に集積する「原子力センター構想」を策定中で

す。「脱原発」の場合も、廃炉の放射性廃棄物の処理、原発事故後の環境修復など様々な技術や人材が必

要になります。そのための基礎研究、人材育成を担う構想です。世界屈指の大頻度陽子加速器敷設もあ

り、海外からも多くの研究者や、学生が訪れ、欧米の科学研究都市に匹敵する条件がある。持続性の高い

発展が期待できます

 福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢に過ぎません。目を覚

まして、持続可能な地域経済をつくるべきです。(聞き手・山口栄二

脱原発をめざす首長会議」に千葉県で参加している首長
 石井俊雄・長生村長(呼びかけ人)
以下は賛同人

 野田市長、酒々井町長、

一宮町長、

芝山町長、

代表世話人は下記の方です。 桜井勝延・福島県南相馬市長 三上元・静岡県湖西市長 

村上達也・茨城県東海村長

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大飯原発再稼動    (関西電力)『ここの人ぐらいは知れとる』

大飯原発再稼動

2012年5月5日 TBS報道特集   18

報道題名  大飯原発  再稼動これだけあるハードル

大飯原発再稼動の説明後

小浜市は1972年と76年2度の渡って原発を阻止した歴史がある。

   

小浜地区 明連寺住職 中嶌 哲演住職

30年前原発労働者の駆け込み寺の住職 原発反対住民の信頼を集めていた人物

写真テレビよりS6i_065

住職「スリーマイルで起ころうが、チェルノブイリで起ころうが、福島でなに起ころうがバカみたいに同じ理屈を通しているんですね。

ナレーター 原発が必要だという理由は今も昔も電力不足だという。40年の運動を経て足りないと想うのは対話だという。

住職「絶対環境放出してはいけない、閉じ込めてはおかなければならない放射能の量がどれほどのもので、どれほどの放射能を蓄積していくものかということを、ただの一度もしゃべってないんですよ。こういう対話が必要だと想うんですよ。私のほうもお説教だけではためで、意見の違いを思い切り披瀝しながら双方呼応で話し合いしながら決めていく。」

大飯原発、最稼働を巡って

ナレーター 小浜地区は大飯原発からわずか4キロの地点だ。

ナレーター 小浜区 泊地区元地区長 波濤 弘さん は当時反対していたが、小さな意見ではどうにもならず地区を容認の形でまとめてしまったことを悔やんでいる。

波濤「わしは知恵を絞って関西電力に言うたよ。こんな便の悪いところに電気を作ってどこに送るんやと。『京都と大阪に送る』ってこうや。そんならば莫大な金がかかるだろう。あんな鉄柱をあちこちに建てて、京都と大阪の真ん中に作れいうたよ。わたしは。そしたら

(関西電力波涛さん、その通りや。あんたのおっしゃる通りや。しかし万が一間違いが起こったら京都も大阪も全部なくなるんや』

(波濤) ってこうや。そんなら間違ったらここはどうや。

(関西電力)『ここの人ぐらいは知れとる』

(波濤とこうや。こんなこというんやぞ。そんな悲しいことあるか」

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THの意見『ここの人ぐらいは知れとる』の本音

「ここの人たちは知れている」 権力を持つ為政者は 福井の大飯原発地だけでなく 福島・青森・新潟・茨城・・・・54の原発所在地の人数は「たかが知れている」ということで 膨大な(税金と電気料金)の金をつぎ込んで経済成長(利得)のため原発を作ってきたのだ。被爆者が出ようと、避難者が生まれようと、ふるさとを追われようと、家族バラバラになろう、遺伝子を壊し人生に重荷を負わせようと「ここの人たちは知れている」。利得のために原発開発を進め、起こるべくして福島事故に行きついた。懲りずに原発輸出まですすめようとしている、

人の命は「一人以上にも一人以下にも数える事が出来ない」唯一のかけがいのない存在です。為政者は忘れてしまっている。人間感覚のマヒにはまったく驚かざるを得ない。ヒロシマ、ナガサキ、ビキニの被爆者を軽視し、原発の安全性と必要性を説いて稼働・開発進めてきた為政者を許してきたことに私も責任があります。もともと命のために経済があること。経済の

本来の意味―経世済民であること 人々の命こそ唯一の希望であり活路だということを肝に銘ずじたいものです。

「あなたがいて私がいる」(法務省人権の集い4街道での1等入選)   これで行こきたい。成長と安全神話の呪縛を取り払い、いたわりと支え合いのある生き方、社会、子供優先の社会を本気で追及している人たちから学び手をつなぐことで明るくなっていきたい。

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沖縄の友人から、ママ そして  南相馬で

沖縄の友人から
沖縄の空は雲ひとつない、五月晴れ。
   
    昨夜、原発がすべて止まったのに、まことに平穏だ。
    このまま、
    このまま、ずっと止まったままでいてほしい・・・。

    そして、5月6日を「日本から原発がなくなった記念日」にしよう。
    そうすれば、連休も1日増えて、心もゆたかになる。

  本日の『琉球新報』の社説
            短い社説だがまことに歯切れがよい。
            日米の間で鍛えられた感性が生きている。

   『 全原発停止 再稼働なき安定供給追求を 』
   
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-190849-storytopic-11.html
これ本当の未来?
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Sdscf1937 放射能で1ケ月  ご遺体はここにあったという。  これが本当の未来?
5月5日
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南相馬6号線にて   未来への希望の灯

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骨のある人たち   時代を前に

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繁栄は一炊の夢だった

『東海第二』廃炉を

 村上 達也さん  茨城県東海村長

 実は東海村の日本原子力発電所第二原発も、東京電力福島第一原発で起きた「善電源喪失」の寸前でした。地盤の影響で外部電源がすべてダウン、非常用発電機でポンプを動かして原子炉を冷却しましたが、一時間後に押し寄せた津波があと70センチ高ければ、海水は防波堤を乗り越えて、すべての冷却機器が失われていたかもしれません。

 2週間後にその事実を知り、背筋が凍る思いをしました。東海第二の場合、20キロ圏内には75万人、30キロ圏内には100万人の人が住んでおり、県庁所在地の水戸市も含まれます。細野剛志原発相に「選択肢として東海第二の廃炉ということも考えるべきではないか」と問題提起したのは、こうした事情があったからです。

 そもそも世界有数の地震大国の日本に、54基もの原子炉があること事態が以上です。しかも、東海第二のように人口密集地に原発を立地している国は世界でもあまり例がありません。

 「原発が無くなったら住民の雇用をどうするのか」「村の財政をどう維持するのか」という議論も村内にはあります。しかし、原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を1基誘致すると固定資産税の交付金など10年間で数百億円の金が入る。その金がなくなると、また「原子炉を誘致せよ」という話になる。尋常ではありません。

 東海村の人口約3万7千人の3分の1は、日本原子力緊急開発機構を中心とする13の原子力事業所と何らかのかかわりを持っています。また原子力関係からの財源は一般会計の3分の1に当たる約60億円にのぼり、まさに「原子力の村」です。

 しかし、今後の世界は「脱原発依存」が主流となるでしょう。いつまでも原発マネーに頼って入られない。日本最初の「原子の火」がともった東海村は原子力と55年の歴史を共有し、原子力が文化として定着しています。これを同地域作りに生かすかが重要です。

 現在、村では原子力に関する科学・技術や人材を総合的に集積する「原子力センター構想」を策定中です。「脱原発」の場合も、廃炉の放射性廃棄物の処理、原発事故後の環境修復など様々な技術や人材が必要になります。そのための基礎研究、人材育成を担う構想です。世界屈指の大頻度陽子加速器敷設もあり、海外からも多くの研究者や、学生が訪れ、欧米の科学研究都市に匹敵する条件がある。持続性の高い発展が期待できます。

 福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢に過ぎません。目を覚まして、持続可能な地域経済をつくるべきです。(聞き手・山口

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ここどこ?

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