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2011年12月

疎開させよ」…お母さんたちの呼びかけ

「疎開させよ」…お母さんたちの呼びかけ

 私の子供・目の前の子供たちを疎開させてください。自らが立ち上がらなければ、子供たちを守れないと、覚悟を決めた高濃度地域の福島のお母さんたちが立ち上がった。その呼びかけはメールに乗って全国を駆け回った。首相あてのメールを打ったときは7万人だった。2万人が目標と記されていた。私は限りの友人に「応えませんか」と呼びかけると次の日に10万をこえていると返事がきた。心の中にかすかだが希望の灯がちらついた。

しかし民意から離れて進む日本の政治 [民意を反映しない政治。言葉のレソリック(トリック)で、民意をかわしながら、]ついにアメリカに120%奉仕し農業にのみならず、医療、保険などあらゆる分野の自由化を進めようとしている。すでに食料の自給率は40%になり、ついで国民皆保険制度や医療・郵政を解放によって破壊することになる。一方、民意などそっちのけで「原発の輸出」「武器三原則の緩和を国際約束している。沖縄基地の強化を進め、またもや、沖縄県民の「切り捨て」の道を歩みだした。

安全神話を支えてきた成長神話

福島原発事故の冷厳な事実は原発の「安全神話」白日のもとに示した。

犠牲は未来に向けて、末広がりに広がる様相を示している。ヒロシマ,ナガサキ、チェルノブイリの  10年、20年、60年の経過が示している。既にヒロシマ原爆のの99.6個分の放射能をまき散らした。(東大アオソトープ研 所長)、その半減期はセシウム13730年、ついてストロニュウムは・・長期低線量内部被爆の恐ろしさが国内外の研究者によって警告されている。

パニックになるからという理由で事実を隠ぺい、事実の一端が露見すると「ただちに影響はない」とかわし、1か月がたってから「単なる事象」から、世界の最悪の過酷事故であることをしめすレベル7であると発表した。

それすら[低く]「狭く」「軽く」見せることにメディアを動員してきた。多くは政府の広報誌のようになった。地方行政のおおくは下請けの域をでない。挙句の果てに「収束宣言」だ。

事故原子炉の内部を見ていない。燃料棒を取り出す廃炉まで40年。

先週さいたまに町役場をもつ福島の双葉町の町長に埼玉の友人の紹介であった。心から怒っていた。同行した福島から避難した被災者は「帰りたい・戻りたい・しかし帰れない」つらさを語り続けた。ボランティアの埼玉の友人たちは彼にやさしかった。

再び民意から離れて進む政治 民意を反映しようとしない政治を直視しよう。

民意無視の政治が どうしてそれが許されるのか。「成長」がすべてを癒すというふれこみで、戦後日本を特徴づけた経済成長第1主義が土壌ではないか。

そのおこぼれをあづかった市民は80年台には国民総中流の意識になった。ジャパン アズ  ナンバーワンに浮かれた。

結果は、世界の先進を走る格差社会ではなかったか。自殺は10年以上3万人を超え、非正規労働は5割を超え若者から希望を奪った。無慈悲な労働、5次下請けの原発で働く人権無視の過酷労働を見よ。原発事故は成長政策の最たるつけといってよい。

民意などそっちのけで政治家は「原発の輸出」「武器三原則の緩和を国際約束している。まるで死の商人ではないのか。沖縄基地の強化を進め、またもや、沖縄県民の「切り捨て」の道を歩みだした。

はたして日本国民は唯々諾々とその道を許すだろうか。

「疎開させよ」…お母さんたちの呼びかけに心を動かされると同時に 福島のお母さんたちをこのような取り上げ方に追い込んだ政治社会の無慈悲さ。

現実の暮らしからの気づきの契機が豊富に身の回りにおきている。

それぞれ未来に向けた自分の位置と役割が大事になる。

素直に事実に向き合えさえすれば、その解決を求める心のエネルギーは仲間との連帯に向かうだろう。生活にかかかわるあらゆる団体・個人が現代の(目の前の)緊急で本質の事にに向き合い始めている。12月18日には私も実行委委員を務める四街道の「地域の平和の集い」で秋葉前広島市長と福島から四街道に避難されたかたの話に700余の聴衆は泣いた。

秋葉前広島市長からは希望を読み取った。この会には被団協代表委員の岩佐先生が多重がんに体をむしばまれた老躯を引きずるようにして参加された。ヒバクシャ9人とともに参加し原爆展を開き、ついで、福島からの避難者の話を聞いてくださった。

。体験したヒト・現場の人・当事者に優るものはない。。

私は現役の方には及ぶべくもないが、市民の参加、市民の力に 立脚した生き方、在り方、にこだわって、残る人生を仲間と歩みたい。

それともファッシズム,ハシズムに向かうのを許すのか。歴史的大転換期であるのは間違いない戦前責任をそれぞれに問われる時代である

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 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会   参加しました  

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写真大江健三郎   発会式にて

大江健三郎(作家)・肥田舜太郎(被爆者・医師)

・岩佐幹三(被団協代表委員)・安斉育郎(学者)  4氏の呼びかけ

呼びかけ

      ノーモア・ヒバクシャを記憶遺産に!

 「いったいこの国は、ヒロシマ・ナガサキから何を学んできたのだろう」

―― 「あの日」から66年たった311日、福島原発事故に遭遇した原爆被爆者たちの心に去来した悔しさ、空しさはいかばかりだったことでしょう。

 今年は、被爆者たちが「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おうという決意」を誓い合い、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)を結成して55年を迎えます。この半世紀を超える長い間、被爆者たちは体と心に深い傷を負い、その不安と苦しみの「生」を生きながらも、原爆は人間に何をなし続けるのかを身をもって告発してきました。核戦争の地獄の体験と、被爆者として生きねばならなかった「生」とを通じて、”核兵器は人間と共存できない”、”再び被爆者をつくるな”は命を懸けた叫びとなったのです。そして、原爆被害の実相を世界に広げ、核兵器廃絶を訴えてきました。

 それにもかかわらず、数千発の核兵器が地球上に実戦配備され、人類は依然として核戦争の危機に脅かされています。この地球は核の汚染にさらされています。

 被爆者に残された時間はわずかです。被爆者たちの「長い時間をかけた人間の経験」と志を歴史に埋没させてはなりません。

 ヒロシマ・ナガサキ、ビキニを経験し、そして今、フクシマまでも引き起こしてしまった被爆国の私たちがなすべきこと―― それは被爆者が遺してきた原爆被害の実相と、証言、記録、たたかい、未来へのメッセージを確かに受け継ぎ、世界中の人々が共有できる記憶遺産とし、発信し続けることです。それこそが、(核の犠牲になった人々)(未来を生きる人々)への何よりの責任の取り方ではないでしょうか。

 そのために、私たちは「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承するセンター」を発足させることにしました。

 みなさんの会への賛同とこの取り組みへのご参加を心から呼びかけます。

                              20111210

           ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会 設立総会

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通学路  の放射線

通学路  の放射線    放射線粉じんが舞う街への危惧。  内部被爆

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何人かで地域を測定して見て分かったことは 行政の発表の何倍もの、あるいは桁違いのミニホットスポットが無数に存在していることです

粉じん、埃が否応なく飛びかなかで生活を余儀なくされる。
呼吸で口から入り、接触で体や傷口から・加えて食べ物から体内に入ります。セシュウム137の半減期間は30年、排せつによって半分は減るので17年は
内部から照射をつづけるというわけです。もはや老若男女、金持ちも、貧者もみんなが長期
にかぶっていきます。放射線とは長の付き合い(福島事故原発発の廃炉までの期間は30年―
政府発表)になることは必定です。。出来るだけあびないようにする自己防衛が不可欠となるでしょう。
これからは食べ物、飲み物の検査体制が身近な役所等で行われることが重要、のんびりできないときです。世界1の地震国日本での原発の建設再開。原発輸出が気がかりです。

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 福島原発      嗚呼   動物たち  あっコロだ。テレビに映った愛犬頃 

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