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2011年11月

避難してきた人

原発から8キロの双葉町から避難してきた人が許された2時間だけの帰郷のとき (91日)飼っていた山羊はせんべいのようになって死に絶え、生きていたペットの犬はまとわりついて離れなかった、といったまま私達の前で絶句した。

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彼と彼につながる人は「命の価値」を身をもって体に焼き付けた、時代を拓く先進者ということができるのではないか。彼は小鳥やウサギやヤギの身になって考えることもできる。生き物も子供も何も悪いことはしていないことを涙で語ることができる人たちなのだ。より人間の温もりをしる人たちが確かに生まれている。

0~9歳の子供と40歳の対比では核放射線の感受性は3~10倍ということが定説になっている。そんな中先生たちや給食センターで働く人た、親たち、はそんな子供たちを守る時代の先端 (命のために常に選択の日々)を走る人たちということもできる。

だから「東日本大震災、福島を忘れない」「福島とつながろう」という意味は「時代の先端」を学ぶことであり、明日の世界とつながっていくことを意味することになる。それは間違いない。明日は我が身として、被災を受けなかった多くの人たちがその意味を知り始めている。なおしばらく紆余曲折がつづくことは避けられないが、喜びを見出し、つながりを絶やさない限りそれが希望となる。人災・原発を許した世代の一人として、生きていく意味をそう考えた。 

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さわるな うつるから  差別を生むもの

この子供たちを守りたい・・どうしたらいいのだろうか?・  思案の  ・年金生活者T

となりの机の子が 消しゴムを落としたので

拾おうと思って 手をのばしたら、

さわるな うつるからって・・・・・・おばーあちゃん ぼく悲しい・・・

福島の原発事故で千葉県に越して来られた方の事です。原発から9キロの強制避難の方です。我が家でご夫妻と「お茶」したとき、娘が来るからそろそろ帰らなくてはと席をたとうとしたとき・ポツリと私と妻の前で漏らした言葉です。11月22日の事でした。

以来、語った時のMさんの表情とT君の言葉がこびりついて離れないのです。悲しそうな、悔しそうな、言い表せない眼の表情。小さな胸を震わせ、大好きなおばーちゃんに、胸の内を明かしたT君の事が折に触れて浮かんできます。

T君とはまだあっていません。でも僕の孫と同じ年の、千葉市の小学校3年生です。孫がこのようなことにであったらと思うと…すぐにもT君のところに行って抱きしめてあげたい。「僕はいつも君の味方だ、心配するな」と。

さわるな、うつるから」といった子も小学校3年生です。彼もまた「大人・社会のこと」を素直に言ったに過ぎないのです。大臣まで「うつすよ」といった国ですから。仲良くしたいのにできない被害者の一人ではないのか。

私もまた差別を許してきた側の一人として、「Tちゃん、安心して、未来の君を必ず守ってやるから」と堂々と言えなのです。

T君はじめ福島の子供たちは、何も悪いことはしていません

たまたま原発がある福島に生まれただけです。そういえば生涯にわたって被爆障害で苦しんできた広島・長崎の被爆者もたまたま広島・長崎に居合わせただけです。しかし「就職、結婚、仕事・地域」で差別されてきました。四街道にお住いの藤川さんは77歳で初めて勇気をもって被爆者であること公にした方です。数十万人の被爆者は隠さざるを得ない重い十字架を背負っていきてきました。

福島の子供たちへの差別の源流は広島、長崎の「ノーモアヒバクシャの心」に向き合わなかった事にあるのではないか。私たちの問題ではないか。改めて広島前市長と双葉町から避難された千代田さんの話を18日聞きたいとおもいました。

T君はじめ福島の子供たちと、子供の未来の健康と命のために何か1つでも出来ることはないだろうか?   73歳の私が出来ることはbccで「このメール」を貴方に送ることです。他にも何かきっとあるはず。散歩がてらに測定器をもって測定して歩くこと。もっとある。さしあたり12月18日の集いにお誘いです。 そして学びあうことですね。あなたがやっていること、やろうとしていること、提案など、から学びたい。        

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古代菊  つづき   いうことなし

続き

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古代菊  今盛り・見事・絶品・佐倉城址公園

古代菊  繊細美今盛り・種から育てていく匠の心根や見事・絶品・佐倉城址公園にて

「美しきものみしひとは 」という故堀田よしえの言葉がよぎる。

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こんな形の和菓子あるなー。つばき湧出ごっくんーやっぱり

俺は食うためにいきてきたのかなー匠の古人ごめん

続きの古代菊はまた明日

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餌を運ぶ犬 今話題の強く優しい犬は 双葉町から避難者のペット

  餌を運ぶ犬   テレビで報道され話題になっている、

もの語りの前に まず飼い主だったSさんに触れよう。

Sさんの家族を襲ったもの

Sさんの住まいは  福島原発(第5基 6基)から8キロにあった。双葉町である。駅前通

りの大看板に「原子力明るい未来のエネルギー(写真)」を掲げた町だ。

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彼は、せまる津波を真後ろに見ながら逃げに逃げ9死1生をえた危機1発の孫家族を迎えていた。その翌日の10時10分、まちの広報マイクは「すぐ避難」せよと。

       Tさんはよもや帰られなくなると考えも及ばず、ジャンバーを引っ掛け、奥さんは、エプロン姿のまま。家族6人が乗る車は町指定の川俣町にむかった。普段は1時間の道に10時間かかり川俣町へ。真っ暗闇の中家族は車で1夜をすごす。・・・その日から・・・・・・・故郷が、生まれたてのヤギ、犬、7代続いたお墓、2つの蔵、家屋敷、田畑を奪われ、馴染みの友人、子供たちの友達はばらばらになった。牛は生殺し~~~。そしていま四街道のみなさんの暖かいご配慮の中にある。顔で笑って心でなく日々を過ごしている。

物語はここから始まる。コロという愛犬を残して避難した。きがかりだった。

7月1日2時間の帰宅ばゆるされた。変わり果てた屋敷の中には生まれたて

だった子ヤギがまるでせんべいのようになって死んでいたいた。しかしコロ

はいきていた。孫の声を吹き込んだテープを流すとすぐにあらわれた。

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滞在を許された2時間。その間まとわりついてはなれなかったという。

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Suntitled_7 肥沃だった畑のいま

しばらくしてこんな中でコロは保護された。

テレビにこんな姿が放映された。あっコロだ。里親がイワキにいた。

家族総出で訪ねたのは言うまでもない。

ユーチューブで今話題になっている。ご覧くださいUntitled_2

その日から・・・・・・・故郷が、生まれたてのヤギ、犬、7代続いたお墓、2つの蔵、家屋敷、田畑を奪われ、馴染みの友人、子供たちの友達はばらばらになった。牛は生殺し~~~。そしていま四街道のみなさんの暖かいご配慮の中にある。顔で笑って心でなく日々です。双葉まちと孫たちのこれからを思うと・・・原発を持ち込んできた40年まえから、保安委やお役人、東電の説明では23重の安全装置が施されていると・・・・・。

 

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