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大原幽学   大原幽学の自然観とは

S20111024_091四街道山梨 秋

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大原幽学の自然観とは    

  おてんと様(太陽)が万物にしみこんでイクところに従って 

 

幽学に「口まめ草」という文章がある。口まめとは今風に言えば「おしゃべり」ということであるがその中に『宵相談』というのがある。イロリを囲んで明日の野良仕事の段取りを話し合うことらしい。当時は武士の天下の時代である.百姓の話合いを勧めるとはとんでもない。後にそれ(民主性)ゆえに幕府に捉えられ自害を余儀なくされる。

彼は百姓と農業を守るため命をかけた。後で述べるように実におもしろい創意工夫をこらしていく。なぜか。房総の現地を訪ねるとその一端がよくわかる。

やはりかれの自然観ではないのか。中国の古典に「天ノ命ズル、之ヲ性トイウ」がある。「天ノ命ズル」にはいかにも「上からものを言う」語感があり事実そのように使われて来た。ところで「之」を「コレ」と読むのではなく「ユク」と読むことが出来る。幽学は「太陽の光が万物にしみ込んでユクところ」と明るく読んだのではないかと菱沼達也教育大教授(故人)は著に記している。

これだ。これで合点がいく。失政から招いた農村の疲弊の中で飢饉によって農家が半減(長部では40戸が20戸に激減 やくざの取り上立てなど)した時に農業を守るために編み出したのが先祖株組合(先祖のことを考え百姓にせいをだす協同の組合)であった。田1段(あるいは5両)を出し合い協同の田としともに耕しその収穫を蓄積し貧窮のため農業を継続できなくなった人に分かち与え農業を継続する仕組みをつくった。

たちまち10村にひろがった。かれはまた農家の生業に工夫を凝らした。農地の分合交換、農地整理(日本の農業工学の祖)家の設計、台所やトイレ、はては食器や食べ物の改善を手がけつつ子どものための寺子屋を営んだ。粳でもちを作ることも広めた。栗山の「むくろじ」でもち米の代わりうるち米でもちを作ろうとしたことがあるがそれである。かれは実践の人だった。行動に「理」がともなっていた。草深い奥地だったため幕府の目をひと時逃れた実践だったがつかまり断罪された。時代の先を行った人だった。後世への行動によるメッセージだった。

しかし「歴史を重んじない」―戦争の悲惨さすら継承できないー私を含めた今の日本社会で生かせるかどうか。2011年道を聞く私に近場の老人が「先生のところですね」といって丁寧に教えてくれたことがよぎる。

この原稿を書いたわけ

 

 生前、同好会の方になじみだった佐々木満さんから一冊の本をいただいた。見舞いに行ったときに書斎に通され万葉集などの全集全巻を前に彼のライフワークとしていた日本刑罰史の研究の一端をうかがった。帰りしなに 「大原幽学の自然観」を調べてみてはどうかと示唆され托された。その半年前 協同組合の祖でもある 「大原幽学の記述をまとめた一冊の本」をいただいていた。佐々木さんの一度目の入院の前だった。氏の博識の広さや深さに感心したものだった。その大原幽学であるが二宮尊徳ほどには知られていないが同時代(200年近く前)のひとである。近代的協同組合はイギリスに最初に産声をあげたとされているが千葉県干潟の長部においてそのイギリスでの成立より10年前に幽学の手によって実践されていた。いつか私なりにしらべてみたいと思っていた矢先に、「大原幽学の自然観」というむずかしいテーマをいただいてしまった。今に即して考えたい。日本(つまりは四街道)の『自然と農業の破壊のすざましさ』に対して最も根源的なメッセージ性を持つ実践、行動をした先駆者だと思うからでもある。

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