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2011年10月

てんでんこ  津波てんでんこ

ハーさん 「津波てんでんこって知ってる?

スーさん テレビで確か三陸の100歳ぐらいのおばあさんが言ってたよ。「てんでんこ]って方言かな。それぞれにとか、バラバラにとかニュアンスがあるよね、

ハーさん 使い方によるが僕はこれまで利己的な気がしていたが。

スーさん 津波や火事の時はそれぞれが判断してすぐ自分で逃げること。自主判断できてこそよね。

ハーさん 親も友達もかまわず逃げろということかい?そういえば気遣って戻ってきて助からなかった人が多かったね。

スーさん 釜石では小学生や中学生がね、みんな助かったんだってよ。声を掛け合っててんでに高台に逃げたんだよ。

ハーさん 7月に釜石にちょっと行ったけど、すごい災害の爪痕だったなー。口ではとても言えない

スーさん 小学生や中学生が(2900人)のほとんどが助かったのはこの地のおばあちゃんや老人がづーっと孫子に教えてきた伝承だってよ。

ハーさん ところで君はどんなことを教えられたの。おばあちゃんから。

スーさん これこれしかじか・・・・いっぱい

ハーさん ふーん、君は幸せだったな。僕が物心ついたときにはおじいちゃんもおばあちゃんもいなかった。うちの孫たちは幸せだな。でもいいお――――かな。でもね?

スーさん なに?

ハーさん 「てんでんこ」とは別に日本には「思いやり文化」の伝承がいっぱいあるね。小学生の時に知った一茶の俳句「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」とか「われときて遊べや親のないこども」とか。小学5年のとき親父が亡くなって、この俳句を兄が送ってくれた「毎日少年年鑑」でみつけてね。

スーさん そう、今では金子みすずの詩に「朝焼け小焼けだ 大漁だ 大羽イワシの大漁だ 浜は祭りのようだけど 海の中では 何万の イワシの弔い するだろう」という大漁の詩があるよね。

ハーさん 態度で示す文化もあるよ。きついおやじだったが、戦争中亡くなる何年か前に熱でうなされる僕の枕もとに来て、額に触って出たり入ったりしていたことが思い出される。まだ額に感触が残っている。

スーさん 「てんでんこ」と「思いやり」二つとも大事だね。

ハーさん 僕の教養ヘヘでは「自立(自律)」と「協同」というのだが。

スーさん あなたからはそれを言ってほしくないね。いつになったらあなたの部屋を片付けるのよ。あれでは孫にみせられない。

ハーさん それはてんでんこ・・でもそのうちやるよ・

ハ―さん 自立なき国家と協同なき社会の中で地震、津波、原発事故が起きて、一層災害不幸を大きくしたなー。かけがいのない命のつながりを学び、つながりを創らないと日本の未来は暗くなること請け合いだ。

誰しも「福祉」抜きに安心して働けない。経済は成立しないんだよ。被災地を見ればよくわかる。費用体効果の視点だけで政治・経済・企業・組織を牛耳る勢力をのさばらせる限り又原発事故が起きるよ。答えは足元にある。「ぬちどぅ宝」(命こそ宝)

日本の再生は地震・津波・原発からいかに学ぶかにかかっていると思う・

沖縄を見捨て、広島のヒバクシャにまともに向き合わなかったことが、原発を生み出し、福島の事故につながった。

「てんでんこ」って一人一人の命が大切だよっていう古老の切ない願いから伝承されてきた。民意を反映しない「国際競争力のためには原発は必要」という政府・・異常な国だね。

なーんちゃって、かっこいいこと言いましたが。反論できる?

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母校の65年前   桜のただずまい

S_089 65年^68以上前の小学校を覗いてみた。あれっ65年前の僕が走っているではないか。

S_091  この桜の樹は昔のまんま。この桜まわりを走るのが運動会。この樹に野球のボールをぶつけるのが休み時間。

朝礼時校長が 白手袋で教育勅語を読み上げるのがこの近く、

「野球のまりで65年間瘤だらけにされてきた桜」なのにとの当時のまんま。ジット子供たちを見守ってきたのだ。えらい。桜だって紅葉がきれいだとは今知った。

S_092

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木々の目万歳。

ここは大学だが 木々はちっとも変っていない。樹に感謝したい。これらの樹から止めどもなく思い出が出てくる。  周りは静寂。古本屋街。 デモがとおったところ。

68年前この回りは米軍空爆阿鼻・みんなにげまわり、かつ死んだ。・

・    

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今集中していること 定年後地域で考える

  2年前のあるところでの講演から   

 原発を生んだ日本社会 原発事故前後を考える前ために

今集中していること 定年後地域で考える 

 別紙資料参照

四街道も 八千代も 浦安もそれぞれ  地球のてっぺんですよ

       地球市民

 「生命」――地域レベルで環境 平和を捉えるべき時代

 坂道の向こうに見えない崖に向かう世界                  危機をどこで認識するのか  テレビ  本   教室?ではとてもじゃないが認識できない

 いのち ―――生存 生活 生涯 生命 を統体として

     社会  自然  地域  地球 を貫く2重生命  要素に分解は出来ないのに

1「生命」―――縁でつながっている 

A  地域社会は、「生命体」としての生命とそこで暮らす人や生き物たちの生命という2重生命の形をもっている。地域社会が生きていくために その場の生命と人々や生き物のたちの間に「生命の贈与循環」が継続的に続いていく必要があります。地域社会の荒廃はこの「生命の贈与循環」が壊されることによって生まれてくる。清水博先生の諸説    ( 四街道に即しての様子についてはこうですーー○しかじか )

B  ESDでいう持続不可能な社会

          環境―――温暖化 生物多様性の劣化 地球資源

          核兵器 戦争  核兵器は資源でなく過去の負債

          格差――貧富 人権  排除 

         

  環境問題 環境の破壊のながれ

 20世紀前半   2つの世界大戦   ヨーロッパ  東南アジア 国土の荒廃 ヒロシマ

            四街道も軍都だった。私が見た仙台空襲

20世紀後半  米ソ対立  戦争 紛争は二百回

GDP第1主義 のもたらしたもの  開発がもたらしたもの

  一企業(水俣など4大公害)――  地域に生産集中し地域の生態系 ――地球規模 チェルノブイリ 原発 放射能  黄砂 ヒマラヤメコン川流域 アマゾン 海流の変化

戦争  ベトナム(それはむごい ○ 見てきました)  湾岸戦争   アフガン  イラク 

     

E 21世紀にはいってーーー

生存に関わる21世紀に   あげて発想と行動の転換をしない限りーーーー

   地球温暖化  被爆は日本だけでなくなった 食糧の偏在  戦争環境難民

  このような危機の認識が全体のものになっていない。  

坂道の向こうにはまだ見えない断崖があり其の断崖に向かって坂道を転げ落ちていくようなもの。    

 連帯紐帯構造の崩壊過程を歩む地域社会  日本社会  (わが街 四街道から見ても)

    土つぼに陥る背景   関係の切断  縦割り  課題主義 成績競争

        企業社会が持つ縦構造の反映 (効率中心 集中  上下関係  均一画一 職住乖離  ジェンダー)

       横の言葉が育たない  横のエネルギーを使えない

(自己責任論、関係ない 寄らば大樹の陰  同調圧力 いじめ ―――)

     対話に乏しい社会    消費社会  子供や青年まで消費者に

     物を作らない社会 物を作れない社会 

新自由主義の中で進んだ少子高齢社会の悲劇

            

F   ESDでは 持続はいかにして可能か そのための教育と  方法について提起している

我流に考えると   

actローカル thinkグローバルではなくて    

 thinkローカル  actグローバル    ではないか   

     体験に優るものはない ただし体験主義にとどまることなく体験をとうして

      考え  対話し actグローバルで(命をつぐむ)

体験を楽しみながら かんがえきずき  支え助け合うあう 網の目を 

私の限られた体験から

見えないものでもあるんだよ  みんな違ってみんないい

福祉体験から    恩送りの まちづくりーー弱いもののなかにある知恵   

学校体験から  学校の中に地域が。 ふるさとでゴミ拾い

自然体験から  身近な自然の中に子供たちが メダカ 卵塊  蛍

民際的な交流企画から   人々をつなぐ 平和 と 文化

どんな小さな体験もみんな貴重  体験の場と場所  交流のソフトとハード  

  

フォワキャスト(現在から将来を見る)からバックキャスト持続可能な社会から現在を見る)のへ転換、 フォワャストでは 政治、経済  福祉  環境 文化をわけて縦割りで推進。バックキャストではスエーデンの場合 持続可能な未来「 緑の福祉」から現在(経済も環境の一部)を見て政策実践。小沢徳太郎  ブータンでは  ――

当事者主体の政策作り  一人一人 受動的能動

平和と環境  次の世代が平和なうちにくらすことが出来るように。何のために生きるか

が問われる問題として

すべては人為的  大量生産 消費 廃棄 エネルギー 新自由主義  成長第1主義。欲望肥大。その結果は‐―

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大原幽学   大原幽学の自然観とは

S20111024_091四街道山梨 秋

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大原幽学の自然観とは    

  おてんと様(太陽)が万物にしみこんでイクところに従って 

 

幽学に「口まめ草」という文章がある。口まめとは今風に言えば「おしゃべり」ということであるがその中に『宵相談』というのがある。イロリを囲んで明日の野良仕事の段取りを話し合うことらしい。当時は武士の天下の時代である.百姓の話合いを勧めるとはとんでもない。後にそれ(民主性)ゆえに幕府に捉えられ自害を余儀なくされる。

彼は百姓と農業を守るため命をかけた。後で述べるように実におもしろい創意工夫をこらしていく。なぜか。房総の現地を訪ねるとその一端がよくわかる。

やはりかれの自然観ではないのか。中国の古典に「天ノ命ズル、之ヲ性トイウ」がある。「天ノ命ズル」にはいかにも「上からものを言う」語感があり事実そのように使われて来た。ところで「之」を「コレ」と読むのではなく「ユク」と読むことが出来る。幽学は「太陽の光が万物にしみ込んでユクところ」と明るく読んだのではないかと菱沼達也教育大教授(故人)は著に記している。

これだ。これで合点がいく。失政から招いた農村の疲弊の中で飢饉によって農家が半減(長部では40戸が20戸に激減 やくざの取り上立てなど)した時に農業を守るために編み出したのが先祖株組合(先祖のことを考え百姓にせいをだす協同の組合)であった。田1段(あるいは5両)を出し合い協同の田としともに耕しその収穫を蓄積し貧窮のため農業を継続できなくなった人に分かち与え農業を継続する仕組みをつくった。

たちまち10村にひろがった。かれはまた農家の生業に工夫を凝らした。農地の分合交換、農地整理(日本の農業工学の祖)家の設計、台所やトイレ、はては食器や食べ物の改善を手がけつつ子どものための寺子屋を営んだ。粳でもちを作ることも広めた。栗山の「むくろじ」でもち米の代わりうるち米でもちを作ろうとしたことがあるがそれである。かれは実践の人だった。行動に「理」がともなっていた。草深い奥地だったため幕府の目をひと時逃れた実践だったがつかまり断罪された。時代の先を行った人だった。後世への行動によるメッセージだった。

しかし「歴史を重んじない」―戦争の悲惨さすら継承できないー私を含めた今の日本社会で生かせるかどうか。2011年道を聞く私に近場の老人が「先生のところですね」といって丁寧に教えてくれたことがよぎる。

この原稿を書いたわけ

 

 生前、同好会の方になじみだった佐々木満さんから一冊の本をいただいた。見舞いに行ったときに書斎に通され万葉集などの全集全巻を前に彼のライフワークとしていた日本刑罰史の研究の一端をうかがった。帰りしなに 「大原幽学の自然観」を調べてみてはどうかと示唆され托された。その半年前 協同組合の祖でもある 「大原幽学の記述をまとめた一冊の本」をいただいていた。佐々木さんの一度目の入院の前だった。氏の博識の広さや深さに感心したものだった。その大原幽学であるが二宮尊徳ほどには知られていないが同時代(200年近く前)のひとである。近代的協同組合はイギリスに最初に産声をあげたとされているが千葉県干潟の長部においてそのイギリスでの成立より10年前に幽学の手によって実践されていた。いつか私なりにしらべてみたいと思っていた矢先に、「大原幽学の自然観」というむずかしいテーマをいただいてしまった。今に即して考えたい。日本(つまりは四街道)の『自然と農業の破壊のすざましさ』に対して最も根源的なメッセージ性を持つ実践、行動をした先駆者だと思うからでもある。

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「茨城県南部、千葉県、埼玉県、東京都の一部」も、高濃度放射能汚染!

こんにちは
計測すると四街道にも行政発表をはるかに超える数値がいたるところに散見され心配していたところ
友人から以下の紹介があり、納得しました。しかしどう対処していくか。
事実をまず知り、知らせることから始めたいものです。以下のメールを知人友人に広げたい。
行政がお墨付きを与えているから安心だ。企業がコンプライアンス順守の立場から 法令に従うとして静観するところが多いが、
法令は1ミリシーベルトであり、勝手に20ミリシーベルト基準を引き上げておいて「基準以下という政府こそ法令を破っている。  内閣は1年の寿命であっても、しかし命は永遠に親から、子へ・続く。それを人為的に断ち切る事態がヒロシマ・チェルノブイリで示されている・
大げさだという方は広島、チェルノブイリの現実を知っていないからだと思います。或いはもう1度見直してみたい。私もそうしたいと思います
どうあれ守るべきは子供の命です。  5年後 10年後、1生つずく内部被爆の苦しみは広島、長崎で実証づみです。「広島の心を今に」と叫びたい気持ちです
S7142_072 写真窓を閉め切った中での授業。グランドも音楽も、食べ物を奪われ制限された授業光景。
近くお見舞いに福島の学校給食センターへ千葉の野菜を持っていきますが  私個人としてはいろいろなつながり等を通じて現地がどうなっているか明日の四街道のためにも見てきたい思っています。
(BCCにて送信) 

 「茨城県南部、千葉県、埼玉県、東京都の一部」も、高濃度放射能汚染!

《半径約300キロ・メートルの放射能汚染地図》(群馬大の早川由紀夫教授(火山学))
        http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/134.html

 ◆下の方に、コメントが載せてあり、参考になります。

グーグル、ヤフー  に  入れるとみることができます

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里の秋

四街道の里の秋、出合った景観  出会った方

気持ちをいやしたいおもいもあって散歩に出てみた。

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珍しい柿があるといって庭先に連れて行ってくれた

珍しい黒い柿、初めてといったら分けてくれた

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福島の子供 テレビから   9歳の僕、「大人になれますか?」

6日朝のテレビ「みのもんた 」 

 福島の130人の子供の手紙をもった3人の子供が上京し官僚に訴えた様子を20分にわたってうつしだしていた。   写真テレビから

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映像   

13歳女子  「大人が勝手に作った原発で、なぜ福島の子供たちが被爆しなければならないの?」「福島全域で、徹底的にきれいにする計画を立て、それを実行してください」

官僚  「省庁と連携を取り取り組んでいます・」・

9歳女子 「早く除染してください」「(3・11から)外で一回しか遊んでいません」

官僚 「最大限努めています」

9歳「最大限ってどおいうことなんですか?」

 ・・・・・・・・・・同席の官僚たちマイクを回しあって誰も答えられない・

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9歳S君の手紙 画面に「いつになったら放射能なくなるの」

「早く外で遊びたいです」「家族と離れて暮らすのはイヤ」「友達と離れるのはイヤです。」

質問「今1番の願いは?」

子供らしい声色としぐさで悲しいひょうじょうで。

   「放射線がなくなって家に帰ること」

   「マスクなしで外で大好きなサッカーできること」

   「今の福島ではいっぱいサッカーできません」

再び子供からの質問

    僕、大人になれますか?

    どうか私たちを助けてください?

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南相馬市の中学校の体育館であった給食の子供たち(添付)がダブって見えてきます

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さて私は子供の質問にどう答えるだろうか?孫から聞かれたらどうしよう。

   安心しろ。大丈夫だ。原発なくして放射線を出ないようにするから。・未来は明るいぞ・・と胸を張って答えること出来るだろうか? 
 どうすればいいのか。私達の、いや私の生き方が問われることになる。まずは子供の問いかけを反芻したい。子供の質問に明解は簡単「原発なくします」。これを国の基本政策に早くすることですネ。そのために・・・・・・・・・。
家の周りでも計測すると高い値のところがあった。足元の問題である。これより先枯れ葉じじーのやれることはたかが知れているが。
枯れ木も山のにぎわい。みんなについていきたい。でないと
子どもの率直な問いに答弁できない官僚と同じで、おかしな社会に加担していくことになってしまう。
子供率直。嘘がない。子供に学ぼう

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おしゃべりの輪よ広がれ,広がれ

かって私も加わった「おしゃべりの輪」Spdr_05922 私の授業

31suan28 たき火は面を白くほ照らす。顔(おも)が白くなる。だから面白い。

S 人権のつどい。働く輪(分科会)。地域で。

S428_0522 私の授業で

S_045 仲良し

S9_052 ホタル生息地清掃

おしゃべりはふつう軽んじられる。あぶくのようにその場限りといって。

でもね。えらいさんがいたり(上下関係)ジャッジする場では「おしゃべりはできない。

顔色うかがったり、バカ呼ばわりされる関係の場では心が開かない。

その点おしゃべりできるのは「うなずきあったり」「ただしあったり」「きずかされたり」対等な人間関係あってこそ。「横」を使わないのはもったいない。横は楽しい。縦の秩序関係偏重がこの国に住む人の心をおかしくしている。創造性を奪っている。

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