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2011年8月

朝顔等、毎日の変化は楽しいもの、意外な発見も。  その1

朝顔に釣瓶とられてもらい水

もlらい水ではなくご近所のもらい種をつれがまいたのが5月。種をもらったのは僕。写真をご覧あれ 。

2階のベランダまで2のつるするする伸びちゃって、つけた花は今朝のカウントで22個。

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月下美人が一夜だけ。人知れず咲く絢爛さに出会う玄関先。これも友人から頂いたもの。本家では咲かなかった由。なにか気がひけるなー。

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22年ここに住んだが  我が家の50メートル先で出くわしたのは初めて。目の前の里山の開発のせいかなー。喜んでばかりはいられない。

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原爆を乗り越えたハマユウの子孫。すでに咲き終わったが。株分け先が見つかってよかった。

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四街道で1^2本あるだけ。寄生木。珍しい。すごい生命力。

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これなーに。蛇でもない、ミミズでもない。植物でもない。人工物でもない。

朝散歩するとこういうのに出くわす。生き物だよ。正解者には散歩同行券進呈。

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ゲゲゲの鬼太郎などで有名な漫画家故水木しげるさん描く福島原発

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8月15日の終戦(敗戦)記念日

8月15日の終戦(敗戦)記念日。

66年前の1945日本男性の平均寿命は50歳以下だった。私はいま73歳、20年長く生きたことになる。平和があればこそですね。

長兄の旧制中学校の同窓会名簿を見てみた。昭和8年入学・13年卒業(終戦時21~22歳)の61歳の時の同学年名簿である。存命129人に対して103人の死亡。病死もあるので差し引く人もいようが、4割は戦死者だ。長兄は兵役に就いたが生き延びたひとりであった。みんなが戦争に引っ張り出されていた。

第2次大戦、日本が起こした戦争で、若い兵士を含め330万人の日本人とアジアの3000万人の人命が殺された。広島、長崎に人類初めての原子爆弾が投下され21万の即死者と、後に被爆者と呼ばれる40万人の人生を苦しめた。

そして今年3月11日、福島原発事故で多くの被爆者を生み出した。収まる気配どころかセシュウムは全国化している。

8月15日、終戦(敗戦)記念日に際して千葉県被爆者団体友愛会の85歳の青木会長が市原事務局長とマイクを握って市民に呼びかけた。場所はJR千葉駅であった。私もHさんに同行して駅頭に立った。S201181_015

「私たち被爆者は被爆後60年の間、無惨にも人間の尊厳を奪われ先立った御霊の無念に思いを馳せて、「再び被爆者は作らない」と誓い被爆者運動を続けてまいりました。

 311日の福島原子力発電所の事故による「放射線物質の拡散]という事態の現出は、安全神話を黙認してきたと言える、われわれの被爆者運動へ啓示を与えられた思いであります。

 生命の安全な在り方を、今一度此処で見直し、核兵器抑止論と原子力発電からの脱却をめざし、核兵器のない世界平和を求めて運動を強めてまいります。

 被爆者は老齢化しましたが、生かされたものとしてできることをできる限り、皆様のご教示をいただき名から、精一杯努めてまいります。」

命はよりよく生きるためにある。命の尊厳は何にも代えることはできない。核放射能が人間と生物を犯すことは広島と長崎の内部被ばく者が身をもって示してきた。

ところで歴代の日本政府は「死ぬべき人はみんな死んだ。内部被爆はない」という1945年のアメリカ政府の公式発表に沿った政策をとってきた。9年後ビキニ被災で認めざるを得なかったが、それからは、

広島と長崎の内部被ばくを「軽く、小さく、低く」見て被爆者救援をしないできたのであった。それは30回の裁判で政府がことごとく敗北した昨年まで続いた。その陰で歴代政府は「核の平和利用」の名で安全神話をつくり、原発をついに来るべき原発事故にゆきついた。そして今・・・・・。

ノーモアヒバクシャ、を叫びつ続けてきた多くの被爆者は  今年も千葉県で16名なくなった。 犠牲者と遺族ノ悲しみ、その追悼が未来に生きる子供たちにつながっている。7月31日開かれた千葉猪鼻公園慰霊碑の慰霊祭で参列者が手を合わせていた。

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四街道   半径100メートルの地域内でであったもの

8月15日   我が家のまわり100メートル4方でのご対面

まずは猫の額の庭で  朝顔

S201181314_007の日18個の朝顔の花咲く、。1つの種から200の花が咲くS201181314_008 という。これから3か月毎朝朝顔に対面できるぞー.。通になると花の色あい形の微妙さ。葉の形、模様。その大小。由来。S201181314_064 までうんちくを傾ける。私はもっぱら聞き役。それで満足。

夜遅く帰ると玄関口に月下美人の花が咲いていた。一晩だけの3つの大輪や見事。

朝顔であれこの花であれ、昨年人様から妻がもらったものだ。、 俺も団子より花に移行中らしい。

朝7時半、ラジオ体操から帰ってくると目と鼻の先の児童公園に野兎がいるではないか。初めてだった。うれしくてつい散歩の人に声かけてしまった。

2人で立ち去るまでソット観察、5枚撮る。そういえば対面の成山にフクロウがいたという。Tさんが写真を送ってくれた。禽獣鳥類がいる環境、すばらしいではないか。都市計画道路が開発されればきっといなくなるだろう。反対だ。

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野兎がちょろつく公園に四街道唯一珍しい寄生木が緑の葉をつけている。見知らぬ散歩の人につい教えてしまった。

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今夏遅れていたセミが鳴き始めている。羽化の様子は幽玄そのものといってよい、昨年は孫と見入たものだ。しかし羽化は年寄りが見るのがふさわしいと思う。殻を破り緑を発光させながら透き通った羽が生えやがて飛び立つ準備に徐々に変わっていく美しさ。単に「生きる」というよりも明日に向かって「生きていく」方向を感じ取れる美しさ。命は生きていくための尊さを秘めている

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美しいもの  人のぬくもりがすきな人はみんな友達。

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井上ひさし  井上ひさし「言葉よ、ひろがれ」 。彼は 福島過酷原発事故で被爆者になった日本全土の人たちに

井上ひさしさんが不帰への病床につく2か月ぐらい前、千葉市文化センターで千葉県被爆者友愛会を中心にした講演会が持たれた。

私は幸運にも舞台裏での井上ひさしさんの担当を仰せつかっていた。講演の前後、氏がゆっくりくつろぐ様にする役割といってもよかった。しかしあろうことか氏はむしろ私たちがくつろぐように、ふるまっていた。

氏の地というか自然さというか。笑いも含め、ご自宅付近で求めたものであろうか、いくつかのお土産寿司を被爆者友愛会の旧知の方にふるまっていた。

私はその場面の写真を撮ったり、わきにあった講演レジュメをのぞいたり、今となっては大変失礼なことで、反省ものだが、打ち解けた雰囲気の中で許していただいた。

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それからしばらくして日本に住む3世代のすべての人、といっていいのだが、は惜しい人を失ってしまった。

今年3月11日から、全国は福島原発の過酷事故に直面している。存命ならどういう振る舞いをしただろうか。何を語るだろうか。

今日はは8月9日、長崎にプルトニューム原爆が投下されて66年目を迎える日である。

井上さんは 「ヒロシマ、ナガサキは、世界史がたとえ1億年つづいたとしても、フランス革命やアメリカ独立などよりも重要な日付であり続けるでしょう。」と書いている。「自分で作ったもので自分が存在しなくなるかもしれない」 「人類史は、ヒロシマ、ナガサキで折り返し点にさしかかったのです」と。

被爆者の坂本さんという方が小学3年生の時かいた 詩を紹介している。        

      げんしばくだんが落ちると

              ひるが夜になって

                 人がおばけになる

あの日 「ヒトも木も鳥も魚も家も1瞬のうちに溶けてしまいました。」 21万人が年内即死でした。

内部被爆

井上はいう。何十万人の目撃者がおりました。この方たちは、やがて被爆者と呼ばれるようになり 「あの朝死んでいた方が、まだよかった」 と呻きながら生涯にわたって苦しまなければならなくなるのですが、しかし多くの方々が…勇気をもってたくさんの手記を書かれました。その数は5万篇にも及ぶといわれています・・・。

井上さんは数百編「拝むようにして読み」 生涯をかけて聴き想像し、被爆者と語り、とことん調べ 「切ない言葉よ、世界中にひろがれ」と被爆者の身になって、呻きながら芝居や小説を書きつずけ壮絶な作家人生を終えました。存命ならどういう振る舞いをしただろうか。何を語るだろうか。

「井上に向かって生きます」と声を詰まらせながら葬送の辞を述べたノーベル文学賞受賞作家の大江健三郎は福島原発に直面して次のように述べている。

・・・私は長いこと、日本の近代の歴史を、広島や長崎の原爆で亡くなった人、ビキニの水爆実験で被爆した人、そして原発事故の被害にあった人という三つのグループの視点から見る必要があると考えてきましたこの人たちの境遇を通して日本の歴史を見つめると、悲劇は明確になります。そして今日、原子力発電所の危険は現実のものとなりました。刻一刻と状況が変わる中、事態の波及を抑えるために努力している作業員に対して敬意を表しますが、この事故がどのような形で収束を迎えようともその深刻さはあまりにも明白です。日本の歴史は新たな転換点を迎えています。・・・ 

井上ひさしが、なにか大江とともに語っていると思えてきます。

倒れる2か月前の氏の講演用レジュメをちょっと覗いたとき、

積極的平和主義・・・・・「する」 とかいてありました。

次の時代への分岐点が開けてくる可能性への希望をつなぎ(人類と核は共存できない)課題をもって生き方を促しているようにみえる。。欧米の2000倍の地震国、東海沖地震房総沖地震、首都圏直下型地震が確実に予測される中、被爆者は広島、長崎にととどまらない。現に放射線は福島原発から全国に世界に広がっている。    急がなければならない。           孫の世代はジート見ている。

Photo

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被爆と健康  福島原発事故

S600 S どうぞお越しください

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忘れえぬシーン2  心に焼き付いた花等、ほっとした花

S7_008 宮城県松島湾   牡蠣の養殖棚残骸の中で海猫

S6811_035 閖上  S6811_050日和山

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S6811_103 常磐線坂元駅周辺にう咲く花、見渡す限りの人家ながされ駅舎残骸だけ残る

S6811_110 用水路破たんによるかカサカサ田圃、塩分含み放射能に晒されていた。

S6811_051 かすかな緑にほっ駅舎付近

S6811_091 お寺の瓦解、

S19_025  この地で亡くなったのだろうか。S226_001

陸前高田からの行方不明ご遺体の火葬。見知らぬ 地に運ばれ、この日36体千葉市霊園で荼毘に付された。むごい。聞きつけて四街道有志も花を手向けた。

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朝顔  と かわいそうなセミ  Oさんちの朝顔、種をいただいて作った我が庭の朝顔

朝の顔  夏の顔S8gatu_003  

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