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みやぎ 地震 津波、女川原発地にたちて。その1 そこは警告の地だった

兄の100日供養で石巻を再びたずねた。津波が命を奪った家、8日間コンクリーットの上に袋ずめで600遺体とともに安置されていた青果市場、義姉が避難していた学校をおとずれた。あれからもう3ヶ月遺体はーーご遺体の照会は特徴を記したものだけになっていたがーー身内を待っていた。小学校体育館の避難所にはまだ204人。避難所は統合され、避難者はこの避難所はまわされてくる。だからいつも満杯だとか。

「やっと夫がわかったとき、よろこんだのよ。私ニコニコ顔だったの」。 松島まで開通の仙石線の車中で隣合わせたご婦人が夫のご遺体とやっと対面したときの様子を同行の連れ合いにかたっていた。

「ニコニコ顔」という言葉にわたしは胸を突かれた。「避難所生活も3月になると特に男の方は怒りっぽくなっていくという。私はどんなことにも、どんな時にも「ありがとう」といっている。「亡き夫が私にそんな気持ちにさせてくれる」彼女は亡き夫に生かされていた。松島から連結バスで石巻に向かっていった。

私は松島で1泊してなじんだ地、たとえば被災の牡蠣の養殖地などによった後、南松島をとおり、石巻に向かった。おいの車で通る途中のすべてが被災地なのだ。幼ないころ通った海水浴場は見る影もない。その状況のパノラマ風展開に釘づけのまま石巻に入る。石巻の浸水地と人々の営み〔店など)にたちより、なき兄にかかわる場所をめぐった後、残る2時間を使って女川に行くことにした。以下写真で示したい。

女川の町は壊滅状態といってよい。女川原発から直線で7キロ。

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しーんとした静寂の町。ここにいた人たちは一体どこにいったのか。

町の中心街だというのに住民の姿はまったくみあたらない。工事のヒトが2^3散見されるだけ。ほこりに包まれた見わたす限り壊滅、全滅のまち。人気のない空漠の町。言葉では形容のしようがないが異様な・・・。

にぎわったであろうマリンランどは瓦礫も流されていた。高台に病院がみえる。コンクリートの3階建てのビルが底をあらわにひっくり返っている。3階建ての建物がひん曲がった鉄柱だけ残して後は何もない。

 残った柱に女川原発PRセンターの方向が提示されていた。そうだここは原発地だったのだ。誘われるように両側瓦礫の道をいくと 女川原発PRセンターまでの距離が9キロと記されていた。時間がなかったがつい誘われて道沿いに車を走らせた。道路工事の方が30分も走ればいけると教えてくれた。さてそれから見たものは・・・・

  

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