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白骨難忘   感恩  有難

ある若い青年が  我が家を辞すとき「ベック グル なんとかーーー」と私の目を見てかたった。聞き取れなかった。

「なんといったの?」紙を差し出し「これに書いてみて」と頼んでみた。 

「白骨難忘」

みたことも、聞いたこともない言葉だった。スペルもきいてみた。baeki doh  mangと書いて

はみたが,正確に聞き、書き取ったとはいえない。しばし考えた。ややあって「なーるほど」

たとえ死んで白骨になっても恩は忘れませんよ、ということなのだ。オーバーな表現だが、

日本語の「ありがとう」だって「有難う」と書いている。「在る (有る)ことが難しいこと

をあなたが私にしてくれた、だから感謝する、ということなのだ。」だけど普段はそんな意味

も、ものともせず挨拶かわりにしている。 彼の国でもそうかもしれない。

でも彼は礼儀正しい立ち居振る舞いの中で「この言葉を使っている。サンキュー、ベリ-マ

ッチfrom the buttom、of my heart,ということであろうか。

またこんなときもあった

ベトナムの日本留学生が日本を離れるため 我が家を訪ねたとき「カンヌ-ン」といったことをおもいだす。『感恩」と彼女は書いてくれた。受けた恩に感謝する。ということなのであろうが、私が,さしたることをしてあげたわけではない。20091218 写真アオギリはたくましく育っていく

私も ベトナムの彼女も、ソウル生まれの彼も 古から 漢字を使ってきた国に育った。

漢字には言霊が宿っている。なんか通ずるものがあった。彼らは週1回家族と連絡を取る

親孝行、子思いの人たちだった。

 私はかってベトナムを訪ねたとき 彼女にはシンポジュームでつききり3日間、通訳をし

ていただいた。イントネーションは??だったが日本語の難しい用語を含め正確だった。

仲間と感心したものだった。小学校の子供2人のお母さん学者だった。

しばらくして政府留学生として東京外大に1年間入学。政府のお金が切れてから 日本

に滞在しもっと勉強したいという。よほど優秀なのか埼玉大ついで、東大の大学院 に受

かってしまった。さあ大変!仲間10人を誘って生活費(学費は奨学金)を5年間おくった。その最後の「カンヌーンだった」。

いまハノイの大学で教鞭をとっている。私に世界へ目を開かせてくれた方でる。こちらから「カンヌーン」だった。

白骨難忘のかたは日にに見えた。 米国のF大学の大学院生で歴史学を専攻

ている30才の青年であった。

驚いたことに彼は  日本の研究者が見向きもしないような第2次大戦前の東京の学生消費組合の資料をあさっていた。彼の私へのヒヤリングの 熱心さに押されて つい熱が入り話は 午前11時から夕方17時まで及んでしまった。彼は日本のT大学院に1年間留学中であるが 私がかって書いた雑文 も、すでによんでいた。。ソウル大学中から日本語と英語を学び アメリカは東海岸の名だたる大学の院生アメリカでは院生博士課程に月30万円の学資を出しているという。世界の若い知識人をアメリカに集めている仕組みがわかる。これに引き替え 学部生は授業料は高く大変だといっていた、

さて何で第2次大戦前の学生消費組合の資料あさっているのか。問題意識の一端をすこし知った。T大と韓国の大学で発表するという。時代は若い知性をもとめている。

こういうことを知るだけでも 73歳の 私のほうから「ありがとう」をいいたい気持ちだ。

 8日たずねきた彼に、私がここで調べたらと人を紹介したら すぐに連絡ついたと電話があった。当然とはいえ礼儀を心得ている。

こういう場合わが息子はどうするだろうか。やはり信ずることにしよう。でもあの親にしてこの子もありもありうるか。

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