« 春が来た  三寒四温 | トップページ | 白骨難忘   感恩  有難 »

ビキニ死の灰犠牲者の手記にちなんで 生きたい、死にたくない

ビキニ死の灰犠牲者の手記にちなんで

生きたい、死にたくない 

  

1954年9月6日にある協同組合の機関紙に寄稿されたものです

コピーしてきました。記載されたニュースは1954年8月のものなので半世紀すぎてぼろぼろにな

っていました。55年ぶりに表に出た文です。筆者は肝臓病で既に他界しています。

ここでは大幅に削って紹介することにしたい。

「-悪夢なら早く霧散してくれー」

 しかし、夢ではない。-----この病院の先生は 急性汎骨髄症なる難しい病名を私たちに告げた。自分の体の中でどんなことが起こっているのか知りたい。----・・・病気は治ったとしても、果たして妻帯は可能なのだろうか。もし結婚することができたとしても、子々孫々に及ぼす影響はないのだろうか?逃げることも隠れることもできない不安の日々が続いた。

力づけてくれたものは先生方と看護婦さんたちの献身的な看護、そして送られてくる激励の便り、学生たちの心のこもった見舞いだった。―- 都築博士は欧州や米国を廻って帰られ、世界のどこにも放射能症の特効薬はない、そして患者たちに今日は無事、明日のことはなんとも申し上げられないといっておられる。

暗い気持ちになる私たちの心のそこに、生きたい、死にたくない、と思う心はすべてをかなぐり捨てた願いである。 病院生活も百日を越し、ギラギラ照りつける陽光、黒いまでに緑を濃くした木々、そして、せみの鳴き声とともに聞こえてくる私たちの思いは黒潮のかなたへとぶ――」 1954病院にて〇〇

             命の尊厳

私は学生時始めて長崎のヒバクシャに接して衝撃を受け、勤めてからこの手記等に接した。この手記を書いた1ヶ月後に「犠牲者は私を最後にしてほしい」といって久保山愛吉さんが壮絶な死を迎えた

この報が世界を走り全世界的な核廃絶の運動が起こり米ソをしてかく実験を停止をさせることにつながった。しかしこの手記を書いたAさんはじめ23人の多くはその後さんざんな社会的差別や辛酸をなめ殆どはがんなど肝臓障害ですでにこの世にない。手記のAさんも肝臓がん、多発性、肺ガン、結腸がんなくでなっていると記録にある

大石又七さんのこと

存命の大石さんは  子どもの死産にあい、保障対象外として船員保険ももらえず 疫病神(汚染マグロ)を持ってきて漁業に損害を与えたとして差別を受け、「ちかづくものは共産党だからきをつけよう」「マスコミに気をつけ静かにしていよう」といわれ、居づらくなりとうとう焼津から東京に居を移しクリーニング店を開いて糊口をえているという。

彼は20年のながい沈黙のあと次々になくなっていく仲間の魂におされるように発言し始め2007年7月には「ビキニ事件の表と裏」をかいた。かもがわ出版  大石又七著  隠さずに言うと私はページをめくりながら何度も涙をぬぐった。

後世人々は生き証人のしての大石さんらにたいして人類の命の恩人ということだろう。何度かお会いしたが穏やかな方であった。

今年のビキニデーには神主さんも参加していたという。原爆の前には、人々は宗派、、競争、政治 争うことも出来なくなる。勝ち負けもなくなる。思想信条を  超えて人々は手をつながなければ未来まくらい。ビキニデーにちなんで私も73歳を37歳の青年の心に戻して 命こそ宝の心をもって出来ることで 少しでも 家族で  地域で 世界で つながりたい。  

|

« 春が来た  三寒四温 | トップページ | 白骨難忘   感恩  有難 »

4この世界のこと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1022904/39099481

この記事へのトラックバック一覧です: ビキニ死の灰犠牲者の手記にちなんで 生きたい、死にたくない:

« 春が来た  三寒四温 | トップページ | 白骨難忘   感恩  有難 »