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2011年2月

春が来た  三寒四温

三寒四温とはよく言ったものだ。確かにそうだ。

ひどい寒波が日本を覆っていた。と思いきや昨日は5月の陽気。この落差が面白い。

霜柱なんてめったに見られない千葉の台地のわがまちもつい先日~~。まずはへんな写真をごらんあれ。

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サク サク  サラ サラ 手のひらでそーっとすくうと清冽な感触 小さな氷柱。氷の林S20112_20_006 S20112_20_008

足から伝わる 感触もいい。もったいないのでそーっとそーっと歩く。さくさく さくさく。

ところがぎっちょん、昨夜と今朝ときたら  もう春 。食卓に我が家の「ふきのとう」が、

いい香りとほろ苦い味。うまい。しみじみうまい。猫の額の庭先には昨夜遅く帰宅したとき玄関

口で咲き始めの梅の花が迎えてくれた。今朝は水槽底にかくれていた金魚やめだかが顔を出した、

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こうして日々三寒四温が身を包むから面白い。

1日の変化、4季のうつろい、なぎさ、水辺~~~の温度差や引いたり満ちたりの水辺。その交わりの変化。

これが豊かな植生や文化を作ってきた。

ああもうすぐ後期高齢者の仲間入り。高貴高齢者のなかまいり。先日玄関さきで見た

夜空のクモのように忍耐が必要だとしても。それなりに

もっと楽しめるかも。S20112_004

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じいさん  と  こども   地域で

じいさん達には   力がある 

その1

こどもの金管 バンド に眼を細めて 聴いてあげる力がある。こども達はそれに答えて  一生懸命でした。

金管 バンド を教えてきた先生は涙ごえ。爺さん達は感激。曲目は「ふるさと」。「世界はひとつになるまで手をつなごう」でした 。この曲は何かに触れて全校で歌うそうだ。

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その2  一緒に遊びながら鳥 虫   草木  自然観察 。、3,4年生は興味しんしん。

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その3

雪の日 の ゴミ拾い   せめてこどもにゴミのないまちを見せたいS20112_15_023

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今日は「お父さんの合唱団」が長寿大学卒業式で小学生とともにお祝いの合唱。

1昨日は雪の中 恒例のゴミ拾い     両日いい汗かいた

 

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  宿木  その名はやどりぎ  いつも緑

まずは写真をごらんあれ

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朝 散歩の途中 挨拶するため立ち寄る木がある。この寒空に 今朝も緑の葉が孤塁を守っていた。

太い幹の木はすっかり葉を落とし、じっと春を持っている...落葉広葉樹である。

左の写真をじっと見てみる。昆虫蟷螂が大木に止まっているように見える。今度

は右写真に眼を移してみたい。

朝日に向かって気持ちよさそうに緑の葉をひろげている10センチぐらいのかたまりがみえ

る。.二つの写真は向きを変えて撮った同じ常緑のちっちゃな木である。

さてどんな小鳥かは知らないが種を足につけて飛んできここでひとやすみした。よほど粘

りけのあるのある種なのだろう。よその木の幹株のところに粘りつき、ちゃっかり発芽して

しまった。

さて私が何で公園のかたすみの木に挨拶に立ち寄るのか。珍らしさもある。くわしいひ

が教えてくれた。何せこのまちに2本しかない珍しい木なのだ。

 実をいうとこの木がなくなりはしないか不安だから立ち寄る。2年ほど前までここに青

アオとしたやどりぎが大きく成長していたが ある日ばっさり切られてなくなっていた。

しばらくして生まれ変わったかのように、現やどりぎがお出ましになった。以来見回り

の気持があって立ち寄ることになった。

このやどりぎ

遠く親木を離れ 知らないところで孤塁を囲っている様に見える。しかし決して孤立

してはいない。宿ることを許した木の養分をいただいている。時々私のようなものが挨拶に来る。近くの小学校のS2011246_003子供たちが市民ボランテアにつれられ学習にやってくる。私もそのひとり。

やどりぎはつも青々としている。生きているうちは、青く〔イキイキ)している、やどりぎに

あやかっていえば、人みな孤独だが決して孤立してはではない。自ら輝けば宿木人間になれる。

とは思うものの人間は結構複雑に出来ている。だからヤドリギにあやかりたいのかな。S20112_14_045_2

私がうまれて初めて折ったおりずる。おしえてくれた先生がよかった。

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 丸呑み議会  地方議会

これなーに 答えは次回S2011246_054

「地方議会」     

 丸呑み議会が過半数。議員提案が1つもない議会が圧倒的。 地方分権に伴い議員には住民の暮らしに即した条例づくりが求められるが、それがないという。朝日新聞 今朝の朝刊は1797議会の調査結果を報じている。。

行政提案を丸呑みする議会や議員の活動は、議員の意見を丸呑みする後援会や支持者、市民がそれを支えている面はないだろうか。

行政提案を丸呑みする議員。議員の言うことを“まるのみ”する市民や支持者の姿を見るにつけ、このままだったらそれこそ住民、市民の意見を反映しない自治体になってしまうのではないか。危惧するにはのは私だけではない。

もともとの議員の役割は行政の監視、市民の意見を反映し政策提起と、透明性の確保情報公開ではなかったのか。これでは朝日新聞の言うとおり、地方議会はいらないということになる。

議会が住民に向き合い、受け止めること、このことを態度で示す議員をいかにつくるか。「市民の生活への配慮や対話のない議員」「政治宣伝に根拠や裏づけををもたない議員」を見抜けない私たちにも過半の責任もあろう。

地方財政が危機に陥いるなかで、政治とは「お金」(税金)の使い方であること、多くの納税者が政治家、行政に説明責任を求めることから改革が始まるのではないか。私が住むこのまちにこう期待したい。

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  子供っていいなー      体験に優るものはない

 ふるさとのゴミ事情を知った、学生たちの意見

「・・・子供のころに、地元の好きな場所を掃除したことがあった。そういえば

それ以来ゴミを捨てたことがない。昔の子供のころの記憶が無意識にあったのか

なぁと思う。自分の地元、地域を好きになることが大切だと思う

又、ある学生

は「自分は、北高校の出身です、まちをきれいにする活動を知ってなんかう

れしい」「出身なので:::の話が出てきて懐かしくてうれしい」

「私は高校の時ゴミ拾い体験をしたことがある、小中学生で体験することは良いこと

だと思う。大学生になってやることもいい」この夏、90人の学生がキャンバスのゴ

ミ拾いに集まりました。 四街道をきれいにする会のまいた種は確かに広がっている

と感じました。

人間観の根っこにいつも子供をおいて    

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常識 本当の常識、

常識には二つある

先日の私のブログは、ルーズソックスから始まって話を広げてしまった。

広げたついでに自分に言い聞かせるために「常識」について考えたてみた。

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1つはその時代に社会通念上「常識」と見られてきたものだ。これをAとしよう

「男女7歳にして席を同じうせず」とか「妻は夫から三歩さがって」とかは戦前のいわゆる常識。女性に選挙権のなかった時代の話だが当時の人々を自明なこととして縛り付けていた。戦後はサラリーマンが多くなるにつれ「男は仕事、女は家庭」という役割分担がいっそう強まった。別に「男は家庭、女は仕事」でもいいのだが、男女の賃金格差が大きいのでそれを許さない。多くの企業では「男は仕事、女は家庭」は自明とし、その逆はそれこそ異端、非常識視してきた。しかし男性の報酬で1家を養えだけ保障せず、且つ企業はやすい賃金で雇えるパート労働に期待し女性は、保育園など子供教育の社会基盤のない中でフルタイムの仕事は出来ず、常識、非常識ない交ぜのすがたになった。それが社会の現実になっている。もちろん性的差別は憲法上は否定された。現実に合わないから憲法を変えようと堂々という改憲論者はよもやいないとは思うが。かくいう私も仕事にかまけ家では殆んど連れ合いに頼りきって来た。

もう1つの常識は、時代を超えた「何か」である。・・・これをBとしよう。

夫妻のむつまじい姿は誰にもほほえましい。

男も女も家事と仕事、双方こなして支えあう。これは人間的だ。愛情とか子育てとか利害損得抜きの人間的営みである。人間的な営みから疎外された多くの男性たち。上下関係、横の競争にさらされ続けて数十年。協同を目的にした仕事で幾分緩和されてきたが私も男の端くれ不幸である。一方他人に役立つ社会労働に従事し得ない女性。仕事を通して自分を生かせない多くの女性たちも不幸だ。学歴も意識も能力も飛躍的に高まっているだけに能力を生かせない。躁鬱男女が増えるのもゆえのないことではない。。

こうした現実の背景のもとで以下のような場面にであった。いびつな意識状態。印象に残る。

その一 かつてタイのバンコクのチュララコーン大学の社会学の先生が 会合を終えた後日本人観光客がたむろするところに私たちを誘った。広い遊郭街へタクシーで向かった。そこで目に入るのは口にすることもはばかるおぞましい「光景」だった。なぜ彼は私たちを連れて行ったのか。その意味はすぐわかった。日本人はタイの知識人には尊敬されなくなっていた。

その二、最近あるところで赤線をなくしたことが日本の若者をダメにしたと、飲みあって語りあう紳士たちに出会った。男の“甲斐性”とかいって外国での”買春”、を自慢しあっていた。行状がわかればきっと家族から尊敬を失うだろうに。

その三 かって 所用で東南アジアを廻ったとき、たまたまホテルで隣り合わせた 企業マンはこの国の官僚は”買収”しやすいよといったのには驚いた。賃金は1万円以下だという。買収しやすい。ウエイターを怒鳴りつけている日本人もいた。

その四 地域の福祉にかかわる人たちに聞いた話。傍目から見ればあんなに大変なのに、どうして介護の仕事をしているの?と聞くと、自分の妻や自分の母の介護で世話になったから、今度は私が助ける番だと。・・・彼や彼女は高齢者や障害を持つ人に心からやさしい振舞いの笑顔であった。恩を受けた人にお返しするのではなく知らない人に恩送りをしている。これには誰しも感謝をこめ人間的な共感が起きることだろう。

四で示したものこそが未来につながる現実であるといっていいのではないか。幸せは、しのぎを削って手に入れようとする単なる物やお金ではなく、人と人との関係が生み出す創造的な何かに違いない

食べ物も。子育ても。仕事も。音楽も看護も人と人との関係をはぐくむ。必ず笑顔がある。ちょっと考えてもすべてが命そのもの、命の輝き、命の尊厳につながっていることに気づく。

日本の社会は今閉塞感が漂っているという。不思議なことに近代文明が進めばすすむほど地域社会の親密な支えあいも喪失し続けている。近代化が進めばすすもほど、人々の貧富の格差は広がり排除が広がっている。貧困係数(ジニ係数)が先進国中1番高いのが文明近代国アメリカであり、次いで日本なのが何よりもその証拠であろう。中国も開発近代化が勢いを持って進みはじめた。札びらを持った中国人が日本各地に見えるようになった。開発独裁のエジプト。チェニジュヤでは貧富の差がひどく民衆の反撃が始まり混迷が各国に連鎖し始めている。

経済成長がすべてを癒すという日本の常識はいまや虚妄に終わろうとしている。そんな時代はもうこない来ない。成長よ再び。50年先10お年先のためにお金を使えとうまいことを言って、これまでの路線にしがみつく権力を持つ政治家にしばらく混乱させられるだろうが、、「人間らしさ」をどこまでも{希求}するひとびととともに

ここらで発想を替え

『人間常識への発酵を見て取る眼こそ、進歩の眼であり、モラルの眼であり、文学の眼である」(哲学者 戸坂潤  科学的精神の探求 1936年刊)という立場に立ちたい。それが幸せの道(福祉経済)に止揚されるという研究がある。勉強したい。

私が生まれる2年前、国を挙げて戦争に向かってひた走る時代にすでに時代を見透したひとがいた。彼は戦前獄中で弾圧され敗戦7日前に45歳でなくなった。哲学者「戸坂潤」。50年ぶりに思い起こした名であった。Photo

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