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2011年1月

ルーズソックスにちなんで 作られた常識 時代の通念  

ぼく   「足首が寒いって言うか 冷えるって言うか  最近とみに冷たく感じる」

     血流が悪いと医者に診断されていて薬を飲みつつ運動に少し精を出していた矢先だった。

つれ  「これ履けばーーあったかいよ 。こうしてさ」

ぼく  「なるほどあったかい。 カッコ悪いけどズボンの中側にはくから、まーいいか

      2日はいてから

 ぼく 「これっ すごくあったかい、とてもいいよ。女学生が履いていたけど、、なんかだらしなく見られていたね。ぼくもだけど 

    でもすねを出した彼女らには理にかなっていたわけだ。大人たちにへんだとみられていたが。

    。 ところで   50年前の女学生の服装はどうみられていたの?」

つれ  「厳しかったよ。スカートはひざ下10センチ。その上下のスカート、スカートに2つの折り目以上はだめ

    そんな女学生は不良扱い。私は肩がはっていたので、禁止されていた肩台?を肩に入

    れて いるのではないかと誤解され点検されたことがあった。」

ぼく 「ひえー。そんな高校だったんだー。ぼくの県では高校は全県挙げて男女別学、ミッショ

    ンスクールでも別別の高校制度だった。男女7歳にして席を同じうするなかれは、ずっとつづいていた。」

つれ 「私の県も男女別学だった」 

ぼく   「そのまた10年前の戦争中。 キリスト教ミッションスクールの男子( 旧)中学のは

      なしだが、ゲートルを足に巻いての格好の私の親戚が、その中学構内で学

      校配属軍人から詰問をうけたという。

      いわく”天皇とキリストとどちらがえらいか”と。返事に困っていると 

     ” 貴様国賊だ”といってビンタ食らった、とか。ビンタ食らった親戚が後に

     姻戚になった元学校配属将校について回顧的に話していたなー。その方は軍人とはおもえぬ好々爺だったが。」 

つれ  『ひえーっ  そんな時代があったんだ。」

ぼく  「今年の元旦  元朝参りにいったとき近くの神社境内に『大日本は神国なり」と刻した大きな石碑にであっ

     た。彫られた時期は皇紀紀元2600年、戦争中だった。当時天皇は神様、日本は神国だった。それが教育だった。 そんなばかな、と子供にいう大人も、先生もいなかった。」

話はルーズソックスから始まって戦前の大きなことまでとんでしまった。その時代に非常識といわれていたことが時

が経つにつれて実は常識だったり 。社会通念として常識だとされていたことが 実はとんでもないことだったり。本当の

常識とは何なのか見抜く力をもちたいものだ。もう残り少ない人生だがもう少し生きて未来へ

の未練を追求したい思う。本当の常識って、上から作られたものではなく人間らしさ、命の大切さを根幹にしているとおもうから。常識をうとんずる経済市場主義、人権軽視の時代はそんなにながくつずくとは思えない

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水仙  今日いっぱい芳香のなかに

水仙の盛りは、みちのく育ちの私には3~4月のイメージだ

ところがここ千葉は南房総、保田では12月~1月が見ところ。

庭に咲く水仙とはわけが違って、ここは起伏にとんだ丘陵一面に何万本もの水仙郷。

斜面に沿って水仙を見上げていくとその端は、青い空とまじわり

とんびが輪を描いて飛び、鶯、目白、せきれいが見え隠れしている。

いたち?がこちらを見て逃げていき

菜花や夏みかん、果ては、寒桜、梅の花と明るさを競

いあい、みんなで日向ぼっこをしている、

富山やいおうガだけの小富士が遠くから眺めている。

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ここは800万本出荷の日本最大級の水仙産地。単なる観光地ではない。

並みの仕事ではない。産地基盤整備のカンパの筒が置いてあった。ひとり200円。

こんなに少なくていいのかなーと思いつつ感謝のカンパ。保田には浮世絵の創始者菱川広宣の美人画の美術館がある。保田の漁民がとって来る魚がうまい。昼は50もの魚種の100近いメニュのなかからトビ魚のさんが焼きををたべた。東京湾眺望に富むのこぎり山と500羅漢がある。千葉に越してきていまだに不満な御仁につぐ。千葉はいいぞう。次は横芝にある 梅木3000本もある梅林を紹介する。行って見ないとわからない。

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佐原の張子のウサギ   ああいったばかりなのに12年前とは 

まずはウサギ年にちなんで

    とっておきの人形をごらんあれ

     12年前 伊能地図で有名な佐原をたずねた。江戸でもっとも栄えたまちだ。そこで干支にちなんで伝統の張子の人形を手に入れた。型に紙を何度も重ねいく、つ乾いたところで型を抜いて出来上がり。いろをぬってなんともいえない色具合に。なにせあったかい。あわせてこの日  老先輩のために翁夫妻の人形をかいもとめ夫婦達者をねがって贈った。

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下写真の背景の人形はチェコで求めた、すっきりくっきりの貴婦人だが ウサギのぬくもりにかなわない。ウサギっておとなしそうではあるがあれでなかなか強いそうだ。

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12年前佐原のお菓子屋の梯子をしながらたどり着いた先が小さな職人さんのてずくりの店だった。米の集散地で栄えたこのまちには、江戸から続くそばやが今もあり、年2度の情緒豊かな祭りあり、小野川に沿った柳の並木がさわやかに風に揺れる。3軒あるうなぎや、どのうなぎもうまい。孫をつれ、時には兄を誘い、その後友人を何度も案内した。

それにしても年月の流れのなんと早いこと。時間の感覚は、それまで生きてきた総量を分母とし考量されるという(内田樹  日本辺境論より)。たとえば10歳の孫にとっての1年は10%だが73才の僕にとっては73分1 やく1,5%である。

孫にとっては時間がゆっくり流れ  僕にとっては馬のかけあしですぎていく、 まさにギャロップだ。時間を味わってゆっくり生きるようにしたいものだ。でもまだセカセカしている。

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  空気を読まないと    じじ-同士のまじめ新春架空対談 

じじ-同士のまじめ新春対談

 BAさん

今朝の朝日新聞見ました?

朝日新聞元旦号のトップ記事です。「―教えない教育、答えは対話の中に―」の中にこんな1節が出ている。崩壊学級を受けもった担任の先生の言葉を引いてね。子供たちは「こういったらどう思われるか、まわりの反応を怖がり、思ったことをいえない」と。これどう思いますか?

KAさん

そりゃ子供だけの問題じゃないね。検察の事実改ざんには恐れ入ったね。昨年新聞をにぎわした数多の不正、不法、悪行を許した土壌は 組織社会の物言えない空気の支配だと思う。ものいえぬ風潮は『理性や公正、論理』であるはずの司法や行政の中に病的なまでにはびこっていて、権力者の不正、不法を許してきたといわれる。「周りを見て』つまり空気をよんで自己保身、組織防衛のために『強いものにはしたがっていく」『寄らば大樹の陰』の物言わぬ付和雷同的な処世術のはびこりはひどいなー。ため息が出ちゃうよ。

BAさん

うーんそうとは思うけど。でもちょっと考えてしまうなー。子供や、雇われた人たちの 物言えぬ側の人たちはみんな弱い立場のひとたちだからだ。空気を読まないと『仲間はずれ」になってしまう、飯のくいはぐれになる。

子供を守るシステム(地域、学校、家庭)が怪しくなりそれがいたるところで崩壊しているし。身分不安定な働く人は、事実上首切りがあっても誰も助けてくれない。労働法上の働くものの権利保障がなおざりにされている実態もみている。

 物言えば災いが自分にくるのではないかとびくびくもする。上からの競争と同調圧力がひどくなるにつれてストレスが加重されていく。弱い立場の人と権力を持った人とは分けてみないとみえなくなってしまうのではないでしょうか。

KAさん

なるほど、なるほど。 物言えない、いたいけな子供たちがいると思うと、それは子供の責任じゃないよね。これが学級崩壊の原因なら、物言わせない大人社会の行き着く先に社会崩壊がまっている、ということになるね。その兆候はだんだん顕在化してきたとおもいます。まずは社会崩壊に先立って会社崩壊が進行している。

雇用でみると20歳台の5割が非正規労働者になってしまった。これでは結婚できない人々が増大する。子供ができない。生まないは長寿化するは、で当然にも日本社会はいびつになり、社会の継承がまともに保障されなくなっていく

BAさん

 国民主権の当事者が主体にならない社会ってどんな社会?1部の権力者の支配する社会になるしかない。強いものに従っていく。政権が変わっても政財界は卑屈なまでにアメリカにしたがい、政治家は法人税を下げつづけて財界に従う。その財源はどうするか、国債を増やし続けながら、福祉など弱い立場の人を切り捨て、庶民からは消費税15%ときた。強いものに従うだけの社会。嫌だね。

僕はもう少ない余生だけれど、次代の日本人は気の毒だとおもう。これから生まれる赤ちゃんすべてが、2000万円の借金を背負ってオギャーと生まれてくることになる。

TAさん

 事実はそうに違いないが、お二人ともそう悲観的になりなさんな。

救いはあるよ。「人間は愚かともいえるが人間は信頼するに足る存在」(井上ひさし)だし『救いは文化」(大江健三郎)だし。

見た目には物言わない、いえない大人も心の中ではみんなよりよくいきたいと思っている。わたしもそうだ。私は73歳それをよくみてきました。

 みんな心豊かに生きたいと思っている。ただ情報や、事実から目隠しされ、きずく機会を奪われているにすぎない。

でも機会さえあれば 子供は堰を切ったように快活になるし、大人も

よくみると みんな身近なところで支えあったり、たすけあっている。家族も地域の仲間も仕事仲間も、先輩も友人も胸を開き合うことができる。笑いと涙の日々を送っている。

共感し合える機会が増えさえれば、幸せを作る社会的な大事な取り組みの必要にきずき参加することができる。活自開公(みづからをいかす)これこそ活路じゃないかな。

BAさん

生前の「井上ひさし」から直接聞いたことですが「雨にも負けず」の作者「宮沢賢治」は 暗い時代の中にあって 社会改革を目指しながら 自分の身の回りの関係を豊かにしようとした。それで童話を書き、社会的な実践をしてきたという。人間、人と人との間に 雪や岩や天体や木木や動物を入れておびただしい作品を書き、後世の人々を心豊かにしてくれた。こうしていてもドドーどどーといった『風のまた三郎」の風の音が聞こえてくきます。

宮沢賢治が生涯をかけて証明したように関係を豊かにしさえすれば関係が創造されていく。なるほどそれが自分を生かしてくれているまちのまち作りなんだとおもいますがどうだろうか。

3人   なーんちゃって、かっこいいことをいっちゃいました。新春ということで、ご容赦ください

 

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曙光 2011年元旦

1月1日  6時49分 九十九里海岸にて写す。感激

世の曙光.につながることを念じつつ。朝日に照らされ、ほてった子どものたちの顔、顔 顔

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貴方と 貴方につながる方々が

いっそう心豊かであるように祈念します。

 貴方にはこれまでなにかと良くしていただき感謝です。

またつたないプログを見ていただき恐縮です。

 私はもうすぐ73歳、もう遅いかなとは思いつつ、わたしも孫たち

に負けないように

ここ2ヵ月「朝6時半のラジオ体操」後50分間おしゃべり散歩が続い

ています。この世に未練があるので今しばしお付き合いください。

、できたら未来につながる記憶を手繰り寄せ

、寄せ合って

希望という名の紙飛行機でも仲間と飛ばして終わりたいたいものです。

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明けない夜はない

新春にあたっ

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