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ガキのころは馬鹿だったなーほんとに

ガキのころは馬鹿だったなーほんとに

その一 小学校時、私の家は始業のベルがなってから走っていっても充分間に合う距離にあった。何時も家の周りで仲間と遊びほろけてから教室に駆け込んでいた。授業が始まった。あれっ教科書が入っているランドセルがない。遊びに出たまま教室にきてしまっていたのだ。忘れグセは今も続いているが源流はこれかも。

その二 どこの家も昔は縁側があり子どもにとってはいい遊び場だった。例えば男の子たちがいっせいに並んで庭にむかってどこまで飛ばせるかの競争をしたものだ。下でアリさんの滝のぼりがあったかどうかは思い出せない。

その三 銃器を装備したジープで米軍(当時は進駐軍)が仙台のまちまちに威嚇のためかまわっていたが飢えた子どもたちはチュウインガムをばら撒く米兵にハローハローチュウインガムといって群がった

。私の名はハルオ。いらい私のあだ名は長い間チュウインガムになった。父からは卑屈な真似はするなとえらい剣幕で怒られ(蔵にいれられたり)友達からはチュウインガムといって囃し立てられ自分の名をうらんだ。

でもねエ、ハルオのハルは本当は晴れやかの晴、隣に住む詩人がつけてくれたものだった。自分の名前をうらんだガキのころはやっぱりバカだったのかなー、ほろ苦い想いがいまもうずく。やっぱり戦争はだめだよ。

003 近くの川村美術館の庭園にて。 

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