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「冬の兵士」反戦イラク帰還兵証言集会

 この資料は、証言の内容や背景をより深くわかっていただくために、事前にお二人に質問し原稿を書いてもらったものを和訳したものです。

 ※IVAWとは、Iraq Veterans Against the War=反戦イラク帰還兵の会のことです

(翻訳 安原桂子   10月5~13日東日本9都市リレー証言にさいして 事前に得たものたもの 企画者の了解を得て2回に分けて乗せます。  

評価はそれぞれになさってください。

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◆ジェフリー・ミラード(IVAW会長)

 陸軍3等軍曹・イラク戦争に13ヶ月、9年間米軍に服務。ワシントンDCにおけるホームレス帰還兵の会の主導的役割も担っている。

質問(1)ご自分の出自やイラクへ行くまでのこの戦争への関心・評価。なぜ志願して出征したのですか。

ジェフ:私はニューヨーク州バッファロー市で生れました。私は貧しい労働者が多い地区で生まれ育ちました。しかし、両親が麻薬常用者だったので、温かい家庭とは言えず、不幸で不安定な家庭はもういやだと思って、13歳の時に家を出ました。おかしなようですが、高校時代の私は多くの大学から熱心に勧誘にくるほど優秀なスポーツ選手でした。沢山の大学が私を勧誘しましたが、学業で十分に良い成績をあげていなかったため、本当に入りたかった大学には成績が理由で断られてしまいました。私がその大学の採用担当者に電話したら、彼は「心配するなよ。入れてやるよ、くだらん読み書き(勉強)のためにあんたを入学させるわけじゃないんだから。」とは言ったのですが。

質問(2) イラクでの部隊経験、部隊の規模・同僚などとの交友関係、どんな訓練をしていたの?

ジェフ:イラク戦争では、私はある将官のスタッフとして仕えました。私の部隊には9人の兵士がいました。配置される前に、私たちは今後二度とやることがないだろうと思われる事を沢山訓練しました。何故かと言えば、イラクでの仕事はテレビで見るようなものではなかったからです。私たちの仕事というのは、将官が戦争で確実に成果をあげられるように補助することでした。そこで私たちはとにかく調査活動に専念しました。また私は将官のためにラジオをモニターしました。(RTO、つまりRadio and Telephone Operationと呼ばれる)。

質問(3)イラク国民を殺害した自分や部隊の生々しい体験談、そのころのイラク国民の「抵抗部隊や反撃の状況」、戦争に対する認識や絶望・諦観・自己嫌悪など、個人的な体験の数々。

ジェフ:ある日、私がラジオをモニターしているとき、ある部隊が300人の反乱軍に出会ったと報告しているのを傍受しました。航空支援隊がそれに応答した様子がなかったので、私は航空支援部隊に電話を入れ、現況報告をしました。航空支援隊は直ちに対応し、150人が殺されました。そして死体の上には、たった3丁のAK47(安くて構造が簡単なソ連製自動小銃)があっただけでした。

その日、私はイラクでは2つの選択しかないのだと痛感しました; つまり、悪い選択か、もっと悪い選択です。私が何もしなかったら、友軍の部隊は本当に危険にさらされ、私の手は彼らの血にまみれていたでしょう。そうでなく、私が実際やったように行動すれば、私の手はイラクの民間人の血にまみれることになったのです。どちらにしても、イラクでは決断に伴う責任を逃れる道はないのです。

質問(4) 同じ部隊の同僚の心身の変化や部隊での上下関係の状況。アメリカ占領軍の実態は?

ジェフ:私たち9人のうち、4人が負傷したか、病気で苦しんでいます。1人が脳腫瘍、1人がリンパ腫、1人が慢性肺感染症、そして私です。私は、複数の負傷を負っていますが、最悪なのは膝の負傷と、背中の変性的骨疾患、外傷性脳損傷(TBI)と心的外傷後ストレス障害です。

質問(5)帰国してのイラク体験への苦悩や入隊前の政府の約束の履行状況、なぜIVAWへ参加するようになったのか。また、今後のご自分の将来の夢や希望は?

ジェフ:私は、もう4年間も退役軍人省から軍務公傷評定を取得しようと努めています。ただ、負傷については治療を受け、ある程度は良くなっています。将来、法科大学に行き、法律を勉強するのが私の計画です。

質問(6)IVAWでの活動、これからの個人的役割、帰国後のIVAW仲間との交流、仲間の状況。帰還兵のPTSDや医療の現状、就職や学業への復帰、 自殺者の増加などの状況。

ジェフ:私は、反戦イラク帰還兵の会のワシントンDC支部の部長であり、全米理事会の理事長でもあります。私は、IVAWの賠償委員会での仕事を続け、我々がイラクで行った不法行為を正したいと考えています。私は2011年の初めにイラクへ戻りたいと考えています。

米国民と異なり、日本の国民は戦争を自分たち自身で経験しました。しかし、米国と同じく、日本でも、現在、復員軍人を除いて戦争を知らない世代の人たちが多数派です。私は、われわれのような帰還兵を知ることの少ない世代の方々に、帰還兵であることの現実の重さを分かってもらえるような話をしたいと願っています。さらに、日本は、世界で唯一の原子爆弾による攻撃を経験した国でもあります。そして、その後に和解をなしとげました。イラクから最後の米軍が撤退する時、私たちはイラク人との和解へと動かなければなりませんが、これからの和解のため日本から教訓を学びたいのです。

                            ※PTSD:心的外傷後ストレス障害

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