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2010年10月

花で心でつながって  秋  団地の手づくりの花道   

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「冬の兵士」反戦イラク帰還兵証言集会   その2

その2

この資料は、証言の内容や背景をより深くわかっていただくために、事前にお二人に質問し原稿を書いてもらったものを和訳したものです。

 ※IVAWとは、Iraq Veterans Against the War=反戦イラク帰還兵の会のことです

(翻訳 安原桂子   10月5~13日東日本9都市リレー証言にさいして 事前に得たものたもの 2回に分けて企画者の了解を得てのせています。  )

私の立場は  当日感想を書いてくれた20歳の青年と同じです。

072

善悪は別にして、まずは真実を知るということが重要なのだと思いました。武力抑止力といったかたよりの思想が日本国内で今増加されつつありますが、真実を知らないまま、結論を出すことほどおろかなことはないと思います。日本のためを思うからこそ、まず真実を知る。そうして、世界の人たち、国内の人たちと連携して平和を求めていきたいと思います。(20代男性)

詳しくは 岩波書店刊  冬の兵士

◆ホゼ・バスケス(IVAW事務局長)

 陸軍予備兵として14年間服務する。IVAW事務局長として、証言集をまとめた一人であり、アメリカにおける証言集会の組織化に奔走している。

 

質問(1)そもそも「交戦規則」(岩波書店・冬の兵士の第1章に記述しているところ)とは?また、アメリカ軍における「交戦規則」とイラク占領後のその変化について。

ホゼ:交戦規定 ROE)とは、どこで、どのように武力を使うかを決めるルールです。我々のメンバーが「冬の兵士」の本の中で説明したように、イラクでの問題は多くの司令官と兵士たちが交戦ルールを正しく実行しなかったことです。 非武装の多くの民間人がチェックポイントや住宅地、また車を運転中に負傷し、死亡しました。中には、米兵が無差別射撃を行って、女性、子供、及び危害を加えそうにもない老人を負傷させ、死亡させたケースもありました。  

質問(2)アメリカはなぜ徴兵制をやめ、志願制にしたのか、「経済的徴兵制」と言われている実態。反戦ベトナム帰還兵の会とIVAWとの国民的影響力の違い、厳しい状況下でのアメリカ国内でのIVAWの闘いとその広がりは?

ホゼ(a) ベトナム戦争中、兵士たちの間で広範な戦争抵抗運動があり、徴兵された多くの人々が様々な形で抵抗運動を行い、作戦を妨害し、上官を殺害した。米国防総省と文民指導者たちは不人気な戦争に民間人を招集することには政治的困難があると悟り、同じような状況を回避するために、全員ボランティアで構成する軍への移行を決定した。   

(b)現在、米軍はボランティアを募集することの困難さに直面している。毎年、軍はテレビコマーシャル、ポスター広告、特注の勧誘宣伝カー、高価な軍隊経験のビデオゲームを含む募集キャンペーンに数百万ドルをかける。 多くの場合、経済的に貧しい都市区域と農村部に注目します。 そのため、これを「経済的徴兵」という人もいます。これについての 私の個人的な経験は、質疑応答の時に具体的に説明したいと思います。 

(c) 反戦ベトナム帰還兵の会 が設立された時の状況と現在、反戦イラク帰還兵の会 (以後IVAWとする)が活動している状況とは多くの点で違っています。 反戦ベトナム帰還兵の会は米国内で広がっていた大規模な反戦運動の一部であり、同じころ市民権運動、女性解放、同性愛者解放などの運動が盛んになった時でもありました。一般的には、米国の市民社会はより政治的に意識が高く、行動に結びついたと思います。最高潮の時には、反戦ベトナム帰還兵の会は2万人以上の会員がいました。IVAWは米国が非常に保守的な政治状況にあるときに始まりました。いわゆる「対テロ世界戦争」は9.11事件後、米国内でも国際社会でも広範に支持されていました。 ただし、米軍がイラクに侵攻すると、世論が変わり始めました。私達は地上戦の実態について国民に知らせることでそれを支援しました。 現在、会員は 2, 000人近くいます。 私たちにとって、インターネットで国際的な支援者たちに情報を広めることができることはメリットです。

()恐らく、私たちが直面する最大の闘いは、オバマ大統領の選出以後の政治情勢下で活動を続けることです。 多くの進歩的な組織は、オバマ政権が「戦争を終らせるだろう」を信じて、活動の焦点を移し始めたからです。しかし、私たちが見るところでは、オバマ政権は、5万人の軍隊とおそらく 10万人の私兵を地上で維持しています。 彼はまたアフガニスタンでの軍を拡大しています。 「冬の戦士」イベントで行ったように、IVAWとしては、私たちの物語を通じて真実を語ることと、軍人と最近の退役軍人に、戦争と占領への同意を撤回させることで大きな影響を与えることができると信じています。   

質問(3)そもそもブッシュのイラク侵略戦争に対する、ホゼ氏やIVAWの仲間の評価とブッシュを支持し協力した小泉内閣への評価、9条がありながら自衛隊を派兵した日本国民への批判。

ホゼ:個人的には、私は小泉内閣がブッシュ政権のイラク戦争を支援すると決めたとき非常に失望した。 ブッシュ政権は自分達の犯罪的な侵略を決定したことを言い訳するために多くの国の指導者たちを強制したり、賄賂を使ったりして有志連合に参加させたと私は考えています。第二次世界大戦後に学んだように、国際法では正当な戦争とは何か、どんな行動が許されているかについて明確に規定されている。その上日本は侵略戦争を放棄し、憲法第 9 条で平和への取り組みを成文化した。 IVAW はイラク戦争を侵略戦争と見ているので、この戦争に参加することで日本は自国の憲法に違反し、国際法にも違反したと考えます。 明らかに、米国も同罪です。日本の役割は、人道主義的な目的だけのためだと主張する人もいますが、援助物資と復興支援は軍や自衛軍を使わなくともできるのではないでしょうか。 

質問(4)オバマ大統領のイラク戦闘部隊の撤退への評価とアフガン戦争 への増派・継続への評価、その本質的特徴は何か。

ホゼ2009 年、IVAWはアフガニスタン戦争について次の事を要求し決議しました。 1) すべての占領軍の即時撤退、2)賠償、および 3) 現役兵士と退役軍人に対する完全な社会福祉の給付。 

オバマ政権が「イラクでの戦闘は終った」と発表したとき、彼らは商標変更というマーケティング戦術を使ったのです。 実際には、その発表の 2 週間も経たないうちにテキサス州フォート・フードの私たちの仲間と、インディアナ州の州兵たちはイラクとアフガニスタンに配備せよとの命令を受けました。 私たちはイラクに残っている 5万人の兵士はトレーナーやアドバイザーとしているのだと聞かされました。 しかし、実際には、彼らはパトロールを続けているし、民間人居住区域にいる爆弾武装勢力に対しては空爆を要請します。 これには、イラクで活動している軍事請負業者の抱える私兵は含まれていません。 イラク人の目から見れば、銃で武装し、自分の国を占領するアメリカ人の数は変わらないでしょう。 

質問(5)IVAWの今後の闘い、その展望と日本国民や世界の反戦平和を求める人びととの連帯について。

ホゼ:前向きに考えて、私はIVAW がイラクへの賠償と再建への努力にもっと関与すべきだと思っています。日本や他の国の人々、そして NGO の人々と共に、私たちは人道的努力が軍事兵器を必要としないことを世界に示す必要があります。 私たちは、RAWA(アフガニスタン女性革命協会)、WAW(アフガン女性のための女性)イラク労働組合などの組織と連絡をとり、協力関係を形成して賠償をスポンサーしています。来年1月には、Iraqi Health Now (今こそイラク人に健康を)と一緒に私たちの代表が医療品をバスラの人々に届けます。 米国は税金の 50 以上を軍事費に使っています。 私たちは国際社会の人々と共に、軍国主義の問題と取り組み、米国が国内そして世界中で人を傷つけよりは、援助する支出へと私たち国民の優先順位を修正するよう働きかけます。

質問(6)日本の憲法九条へ期待、沖縄の普天間基地問題、日米安保条約50年に対する日本の反戦平和勢力への期待と連帯に関して。

ホゼ:私たちはあなたがたが第 9 条の平和的な精神を維持するために闘いを続けてくださることを願っています。 決して日本政府に、米国が作り上げたモンスターと同じものをつくらせてはなりません。それは「軍事産業複合体」という巨大な怪物で私たち国民の資源の大半を食いつぶしています。

私たちはその国の人たちが欲しないとき、米国が軍事基地を海外に維持することに反対します。沖縄の人たちは軍事基地があることでもう十分に苦しんできました。飛び交う軍用機や強姦などの犯罪増加のために治安悪化の状況に耐えてきました。 

最近、日本から大規模な代表団がニューヨークを訪問し、国連のNPT (不拡散条約) アクションに参加しました。私たちはこのような草の根反戦・平和組織間の国際協力を心から歓迎します。 IVAW は日本の平和を愛するグループと連帯し、イラク戦争とアフガニスタン戦争に終止符を打つだけでなく、将来の戦争を防ぐためにがんばります。

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「冬の兵士」反戦イラク帰還兵証言集会

 この資料は、証言の内容や背景をより深くわかっていただくために、事前にお二人に質問し原稿を書いてもらったものを和訳したものです。

 ※IVAWとは、Iraq Veterans Against the War=反戦イラク帰還兵の会のことです

(翻訳 安原桂子   10月5~13日東日本9都市リレー証言にさいして 事前に得たものたもの 企画者の了解を得て2回に分けて乗せます。  

評価はそれぞれになさってください。

071   

◆ジェフリー・ミラード(IVAW会長)

 陸軍3等軍曹・イラク戦争に13ヶ月、9年間米軍に服務。ワシントンDCにおけるホームレス帰還兵の会の主導的役割も担っている。

質問(1)ご自分の出自やイラクへ行くまでのこの戦争への関心・評価。なぜ志願して出征したのですか。

ジェフ:私はニューヨーク州バッファロー市で生れました。私は貧しい労働者が多い地区で生まれ育ちました。しかし、両親が麻薬常用者だったので、温かい家庭とは言えず、不幸で不安定な家庭はもういやだと思って、13歳の時に家を出ました。おかしなようですが、高校時代の私は多くの大学から熱心に勧誘にくるほど優秀なスポーツ選手でした。沢山の大学が私を勧誘しましたが、学業で十分に良い成績をあげていなかったため、本当に入りたかった大学には成績が理由で断られてしまいました。私がその大学の採用担当者に電話したら、彼は「心配するなよ。入れてやるよ、くだらん読み書き(勉強)のためにあんたを入学させるわけじゃないんだから。」とは言ったのですが。

質問(2) イラクでの部隊経験、部隊の規模・同僚などとの交友関係、どんな訓練をしていたの?

ジェフ:イラク戦争では、私はある将官のスタッフとして仕えました。私の部隊には9人の兵士がいました。配置される前に、私たちは今後二度とやることがないだろうと思われる事を沢山訓練しました。何故かと言えば、イラクでの仕事はテレビで見るようなものではなかったからです。私たちの仕事というのは、将官が戦争で確実に成果をあげられるように補助することでした。そこで私たちはとにかく調査活動に専念しました。また私は将官のためにラジオをモニターしました。(RTO、つまりRadio and Telephone Operationと呼ばれる)。

質問(3)イラク国民を殺害した自分や部隊の生々しい体験談、そのころのイラク国民の「抵抗部隊や反撃の状況」、戦争に対する認識や絶望・諦観・自己嫌悪など、個人的な体験の数々。

ジェフ:ある日、私がラジオをモニターしているとき、ある部隊が300人の反乱軍に出会ったと報告しているのを傍受しました。航空支援隊がそれに応答した様子がなかったので、私は航空支援部隊に電話を入れ、現況報告をしました。航空支援隊は直ちに対応し、150人が殺されました。そして死体の上には、たった3丁のAK47(安くて構造が簡単なソ連製自動小銃)があっただけでした。

その日、私はイラクでは2つの選択しかないのだと痛感しました; つまり、悪い選択か、もっと悪い選択です。私が何もしなかったら、友軍の部隊は本当に危険にさらされ、私の手は彼らの血にまみれていたでしょう。そうでなく、私が実際やったように行動すれば、私の手はイラクの民間人の血にまみれることになったのです。どちらにしても、イラクでは決断に伴う責任を逃れる道はないのです。

質問(4) 同じ部隊の同僚の心身の変化や部隊での上下関係の状況。アメリカ占領軍の実態は?

ジェフ:私たち9人のうち、4人が負傷したか、病気で苦しんでいます。1人が脳腫瘍、1人がリンパ腫、1人が慢性肺感染症、そして私です。私は、複数の負傷を負っていますが、最悪なのは膝の負傷と、背中の変性的骨疾患、外傷性脳損傷(TBI)と心的外傷後ストレス障害です。

質問(5)帰国してのイラク体験への苦悩や入隊前の政府の約束の履行状況、なぜIVAWへ参加するようになったのか。また、今後のご自分の将来の夢や希望は?

ジェフ:私は、もう4年間も退役軍人省から軍務公傷評定を取得しようと努めています。ただ、負傷については治療を受け、ある程度は良くなっています。将来、法科大学に行き、法律を勉強するのが私の計画です。

質問(6)IVAWでの活動、これからの個人的役割、帰国後のIVAW仲間との交流、仲間の状況。帰還兵のPTSDや医療の現状、就職や学業への復帰、 自殺者の増加などの状況。

ジェフ:私は、反戦イラク帰還兵の会のワシントンDC支部の部長であり、全米理事会の理事長でもあります。私は、IVAWの賠償委員会での仕事を続け、我々がイラクで行った不法行為を正したいと考えています。私は2011年の初めにイラクへ戻りたいと考えています。

米国民と異なり、日本の国民は戦争を自分たち自身で経験しました。しかし、米国と同じく、日本でも、現在、復員軍人を除いて戦争を知らない世代の人たちが多数派です。私は、われわれのような帰還兵を知ることの少ない世代の方々に、帰還兵であることの現実の重さを分かってもらえるような話をしたいと願っています。さらに、日本は、世界で唯一の原子爆弾による攻撃を経験した国でもあります。そして、その後に和解をなしとげました。イラクから最後の米軍が撤退する時、私たちはイラク人との和解へと動かなければなりませんが、これからの和解のため日本から教訓を学びたいのです。

                            ※PTSD:心的外傷後ストレス障害

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枯葉ジーさん と子供たち とのおしゃべり   ごみ談義

枯葉ジーさん  KN、 KM  70歳代前半と後半

子供たち  A君、B君 Cさん D君  中学生たち。

枯葉ジーさん KM、ーーー「私はね 60年以上前だがね  生ゴミは裏の畑に。大きなゴミは風呂に。紙は

              火 おこしに使ったよ 」  子供たちーーー???

枯葉ジーさんKNーーー「新聞紙はトイレでも使ったよ」    子供たちーーー???

             「  ところであなたたちの部屋のゴミはどんなもの?」

A君、ーーー「受験勉強中なので消しゴムのけしクズ、ビニールゴミ 」

 Cさんーーー「私も同じ 自室のゴムのけしクズもの」

D君ーーー「僕は自室はない。ビニール」       

B君ーーー「僕は趣味の材料のクズ  木屑」

枯葉ジーさん KNーーー「あなたたちのお父さんと同じ年のころ僕はタバコをうんと吸っていたんだ。僕

       は子供に何回も注意されてやっとやめたんだよ。あなたたちのお父さんは吸う?」

A君、ーーー「外ですっているよ。お母さんが煙が嫌いなので」

B君ーーー「台所の換気扇のところで吸っている。弟がやめてって言うから」

D君ーーー「これ吸うと落ち着くんだといって、携帯灰皿持っている。家では換気扇のところで」

Cさんーーー「値上がりを気にしているみたい。リビングですっている」

枯葉ジーさん KNーーー「僕があなたたちのお父さんと同じころに比べると あなたたちの健康を気にして

    いるような気がする。そのうちきっとやめるよ」

枯葉ジーさん KMーーー「ところであなたたちは、家の朝出しゴミをやっているっだてね。えらいなー。」

ーーーーーーーーーーそのご子供たちのゴミステーションでの大人のゴミの捨て方への批判が鋭くつずく。ついで町の中のゴミ、特に通学時のごみについてもきいてみた。子供の目線で見る駅前のどゴミ事情もひどいものだ。彼らの観察眼に驚く。あさだししている日々の体験から培われた子供の感受性によるのだろうか。親、先生の接し方愛情もあるにちがいない。しかし体験からくる自信を持った指摘に枯葉ジーさん2人はおもわづ顔を見合わせた。この中学生は大人以上の立派な市民といえる  いつかこのことを考えたいーーーーーーーーーーーーーーーー

枯葉ジーさん KMーーーー「あなたのクラスはどうなの?」  KNーーー「仲間たち生徒は?」

子供たちーーー「クラスの中はきたないです。」「チッシュは捨てる」 「かみつぶて?は散らかる」  「学校からの配布物もおちている」

「拾う人も居ない」「落としても知ったこっちゃないー]

枯葉ジーさん KNーーー「そのまま大人になると  今のような町の汚れが続くことになる==(ココで持ってきた不法産廃ポイ捨ての写真を見せた)ーーー つまり ココがあなたたちのふるさと何だよ」

生徒たち  A君、B君 Cさん D君「ひどい。ココは僕の家の近くだ」

「僕はコノまち生まれのこのまち育ちです。ふるさとです。ゴミをなくように努めます。」「私もこのまち生まれのこのまち育ち」「僕も」「ぼくも」

枯葉ジーさん 2人思わず感心して顔を合わせたーー。「大人が出したゴミはあなたたちの責任ではないよ。けどゴミは1生あなたたちに付きまとうから関心持っていてね。勉強してね。」

生徒たちーーーああ今日は楽しかった。

約2時間  話がはづんだ

     

  

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枯葉ジーさんの不安  出口の見えない日本のいくえ

出口の見えない不満 不安を抱えたままどこに向かうのか?  

旧弊を打破するとして選挙で大勝し登場した民主党の鳩山首相の支持率が普天間基地でうそをつき1年もたたないのに20%をきり菅内閣へたらいまわし、ついで消費税増税を掲げて参議院戦で支持を失い、混迷の政治政局になった。ついで小沢への強制起訴に発展。

民意を無視した政治はいったいどこに向かうのだろうか。

 鳩山内閣が登場するまで1年のうちに3人の首相が交代した。

憲法改正を私の内閣で断行すると呼号した阿部が挫折し、消えた年金で福田が辞め、選挙抜きに自民党内でたらいまわしにして麻生内閣の内閣となった。

郵政民営化一本で政権を取った首相が進めた新自由主義政策による格差拡大は先進国の米国と並び、社会的排除というべき派遣村に示される雇用不安が重なり、地域社会の連帯構造を破壊した。バブルが崩壊した後もしょうこりもなく成長政策をとりつづけ1000兆円ものつけを次世代に回し、小さい政府、小さい福祉、大きな軍事費への道を進めてきた。

消えた年金、後期高齢者福祉の削減、収入の不安定、雇用不安への不満、不安は自民党政権を吹っ飛ばした。期待は民主党へ。しかし、期待は裏切られた。勘違いした、裏切られた期待は一体どこに向かうのだろうか。ファシズムにつながる政治的ニヒリズムに陥いらないとも限らない。

この国は 閉塞から抜け出る曙光をなんとしてもみい出さなくてはならない歴史的時点にたっている・。天の声?が聞こえてくる  お前はどうする。

日本にたりないのはリーダーの利他感受性なのだと思う

ところで何年か前 季節感をうしなった消費社会の中で、人々の絆を身近に引き寄せかんがえるきっかけに20~21才の学生に授業のはじめに 秋のよさを聞きて見た。学生の発言を板書して見た

* おいしい食材がある。秋刀魚、マツタケ、 * 紅葉した景色が最高 *

 虫も少なく気温や湿度もちょうど良い  柿が好き、食欲の秋 *

 暑くも寒くもない * 風情がある * 過ごしやすい * お月見が出来る

 * 学校が休みだから * 涼しい * 雨があまり降らない  気温があ

まり変わらない 花粉がない 秋特有の雰囲気がある 風が気持ちいい

 夕焼けがきれい   哀愁がある   夜が長く好きなことをする時間がある

      ココから非営利組織、  利他のための経済社会の授業に入った

希望は若い人たちの中にある感受性をたがやすことだと思う。  人には 「お金に変えられない大切なものがある」  文化、これが救いだとおもった。

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「命の作法」  3せい運動  

続き   命の作法

映画「命の作法」にお寺の住職さんが登場します。太田元村長です。面白い人で  境内にマタギの伝統的な生活用具を保存する一方 村長時代は サンセイ運動を村政の基本においてきた。

“サンセイ”運動とは産制(産児制限)運動ではないよ、とかいって本堂で講話を受けていた私たちのほうを向いてニヤリとした後「3せい」運動を説明し始めた。

私たちがが知っている沢内村のこし方は貧困 豪雪 その結果としての乳幼児死亡率日本一のまちでした。しかし 「3せい」(注1)を合言葉に死亡率ゼロ 医療費の全面的公的負担をやり遂げていったのでした。一人でせい、二人でせい  みんなでせい という  という風に。 いま流行の言葉で言えば自助 共助 公助ということですが3せいのほうがはるかに言葉が生きてはたらいています。

この町の歴史の一端を少ししっていたので、いまもその助け合う文化がまちの中に遺伝子のように生きているのがうれしく頼もしく思いました。

ところでこの間日本の為政者は 「一人でせい」の自律の意味を“自己責任”にすり替え、「二人でせい」の助け合い協同を競争で分断し、「みんなでせい」の公助を 公費削減(小さな政府 社会保障削減)で事実上否定してきました

一方日本は世界に類例を見ない米軍への思いやり予算を増やしつづけ 自衛隊は軍事費としては世界3位といわれる5兆円をこえ、企業の法人税の累進課税率を大幅に引き下げ数兆円を貢ぎました。結果、貧困化率(ジニ係数、格差率)はいわゆる先進国中最低でアメリカと並びました自殺は10年続けて3万人(未遂はその10倍)をこえ、虐待は子供と高齢者層に拡大し、20歳代の6割が非正規労働者になり 労働3権から隔離され人権はないがしろにされています。少子化の歯止めも利きません。

またこのような社会のために費やしてきた財政は 1000兆円の国債でまかない、国民一人あたり800万円のツケを次世代に回しました。我が家の孫家族4×2=8 都合8×800万円=6400万円もの付を国家からいただいて2010年を終えようとしていることになる。

このような誰も否定しょうがない事実が進行しています。ジワジワの衰退していくのか、それとも「ドボン」という陥没的な事態になるのか。日本の場合、国際社会を恐怖に陥れた債務国家ギリシャの例どころではない規模の大きさ深さになるでしょう。

さてそんな時にどうしたらよいか。「救う技法は“文化”」(人間の質の営み TH)ではないかと作家大江健三郎が言っています。

さて先に感想を寄せた方は「人生の苦しみの格闘の中で、つかみとった祝福こそが、“ごめんなさい”と“ありがとう”という言葉」と記していました。 今を生きる希望を含んでいると思いました。

なるほど人は分かち合い  たすけけあい  一人ポッチにしないし ならない、文化を持つ生き

だということを日常関係の中でかんじとることができる。「有り難う」と「三セイ運動」 を価値観にすれば何も怖いものはないだけでなく  希望を持つことができる。  映画からのメッセージでした

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「命の作法」 “ごめんなさい”と“ありがとう”という言葉

「命の作法」という記録映画が9条の会主催で上映された 。

100人をこえる参加があったという。私は所用でみることが出来なかった。しかし記録映画がとられた地域には興味がありーー日本で最初に医療費を無料化した村だったのでーーー過去4回当地に足を運んでいた。だから関心があり多くの人に,この記録映画を見てもらいたいと思っていた。

参加者のお一人の感想メッセージをみせてもらった。そのまなざしと内容の深さに畏敬を感じた。こrれじゃー 私が薦めるよりも何十倍の共感がえられるとおもった。

以下その1部を そのまま紹介したい。

“ごめんなさい”と“ありがとう”という言葉

「ぼくが一番印象に残ったのは、町全体で、児童擁護施設の子供たちを受け入れ、45日のキャンプをしたり、ホームステイをする取り組みでした。さまざまな事情で家庭で暮らすことのできない子供たち、その7割が虐待を受けて保護された子供たち、施設で暮らす子供たちが、集まって自然の中でゆったりと川遊びをしたり、花の収穫を手伝ったり、カヌーで川くだりをして過ごすのです。大人たちはそれを見守っています。

一番印象に残ったのは、そのキャンプの最後、こどもたちをそれぞれの生活へと送り出す前の、最後の時間に、キャンプのリーダーが子供たちに託した言葉でした。

それは“ごめんなさい”と“ありがとう”を言えるよう

になってください。そうすれば、かならず誰かが助けてくれます。一人ぼっちになることはありません。生きていくことができますという言葉だったのです

「この言葉を選んだキャンプのリーダーが、小さい頃からの格闘の末に与えられた祝福であった、ということが映画の中に示唆されています。

“ぼくが子供たちにしていることは、いってみれば小さいときの自分を慰めてるんです”というこのリーダー。寂しさを抱え、まわりとうまくいかず、引きこもり、何かを求めて世界中を旅する、という人生の格闘の中で、沢内村で、悲しみや苦しみを抱えるこどもたちとかかわって生きる、という道へと導かれたこのリーダーが、世界の人々との出会いの中で、人生の苦しみの格闘の中で、つかみとった祝福こそが、

“ごめんなさい”と“ありがとう”という言葉だったのだと思います。この言葉があれば、人は共に生きていくことができる、それがこのリーダーに与えられた祝福だったのです」

私はこの記述のここにひきつけられました。―――また町ぐるみで、児童擁護施設の子供たちを受け入れ地になろう、―――という紹介に目がとまりました

私のコメントは次回に。

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