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2010年6月

子供と自然と体験と  (5年前のもの)

子供と自然と体験と

   四街道共に築く事業の展開、協働の成果とその様子               

 “子供”をテーマとして2年つづいた、四街道「ともにに築く地域社会」事業の展開は2月26日のわくわくフォーラムをもって終えました。 県が助成し、市の委託事業として、7つのNPOが主体的にすすめた協働の事業として注目されます。当日のパネリストを務めた、四街道こどもネットの津軽さんは「次世代への連鎖が見えるうれしい予兆を感じさせるもの」「若い世代が関わってくれたことで四街道市に息ずくそこじからが伝わってきた」とのべています。

 いくつかの場面から見えてきたことを紹介します。

 その一 参加NPO団体の1つ「楽しもう会」の取り組みです。県下唯一の盲学校を持つ四街道にあって、盲重複障害(視覚、肢体、認知の重複障害)の児童たちが保護者と共に、四街道市民と関わる機会を持ちました。落花生の掘り起こし、脱穀などの作業体験を経て、子供たちに市民と関われるんだという認識あたえ、楽しい機会を持ち得たということです。フォーラムでの子供たちの一生懸命演ずる寸劇は私たちに元気を与えました。

その二、森の役割ってなあに?五百人に近い会員を持つ四街道自然同好会の代表の問いかけに43人の森の探検の子供たちからたくさんの声が上がりました。 この会が子供たちから集めたアンケートによると、家の中で遊ぶ子が多かったのですが(学校から帰って居るところは、中学年85%が家だという)、この体験をする中で、自然遊びや秘密基地づくりを仲間と共にやることが大好きな子供たちに変身していました。全体の実行委員長をかねた四街道プレイパークどんぐりの森の代表は森に場を移すと子供も親も参加が多くなっていった、と述べています。

 その三、同様に四街道こどもネットワークは八つの企画(事業)もって参加しました。多くは、農業や大工や自然体験でした。例えばNPO木楽会(木工)の素人大工の匠たちが本立て作りを、県の文化財センターの匠(職員)の土器づくりを子供におしえることで、子供たちとおとな双方の目が輝きました。大人たちは、今を生きる子供の姿にふれ、元気をもらいました。地域に潜む物作りなどの達人と子供の交歓はたのしいまちづくりになることを示しました。 

その四 「メダカの会」は、年間のべ400人の手作業によって休耕田をメダカやザリガニなどが生息する自然公園によみがえらせ、多くの子供たちに自然の中での遊びや体験をさせています。自然なつながりの居場所になっています(写真)。水辺の大切さの認識から印旛沼再生行動にも関わり始めました。

 その五 地元農産物を大切にする市民の会も、毎週(日)朝市をしながらその活動の一つに子供を据えました。先に述べた楽しもう会、こどもネット、どんぐりの森、自然同好会と連携した取り組みでした。参加者満杯のシンポジュウムで衰退の農業の再生が自然と次世代を守り四街道を活性化させる道だと示しました。

 その六 「子供たちも市民」を実現したい。昨年来のこの提起は千葉県のNPOのさきがけとして17年間、福祉助け合いをすすめてきた「ふきのとう」にとっては自然な提起でしたが市民にとっては新鮮でした。「子供たちも市民」を実現するために居場所の実感をもてなくなった子供たちに注目し、子供たちの本音を聞き取りました。「夜でも○○出来るところ」「怒られないところ」「一人いられるところ」「秘密基地のようなところ」を求めていることを引き出し、また、大人たちから、子供の居場所づくりに参加したい人が81%もいることを知ることが出来ました。ここから浮かび上がったことは、「子供でまちづくり」「福祉でまちづくり」「自然でまちづくり」の三つの輪の重なりでの四街道まちづくりへ方向をしめすものとなりました。

 第七に しかしながら、ここ四街道は里山が荒廃し、産業廃棄物の捨て場になり、農業が衰退し、高齢者や障害者など弱いものに優しくない姿があることも、見えてきました。 四街道をきれいにする会では、市内を十七カ所に手分けして、約2千枚の写真を撮り、ゴミマップを作り、シンポジュームを開きました。毎月十五日はゴミの日としてすでに15回、この中には少数とはいえ高校生も参加するようになりました。

 以上は活動のほんの一端を示したにすぎませんがこの取り組みを担った 四街道市活性化委員長の国生さんは、ここ四街道に

①「たくさんの場が生まれたこと、それは単なる場所でなく、ふくらみのある場として人々を育ててるもの」として

②「参加した団体が着実に力をつけた。ジャンルを超えたつながりがそれぞれの団体の視野を広げ、地域を丸ごとしっていくことになった、これは大きな力です。」

③「団体間の連帯*ともに築くネットワークが(形)静からダイナミックな動になろうとしていること、これに無限な可能性を感じさせます。」とのべています。すでに「子供の市民としての人権がまもられ、つらく悲しい思いをする子がない地域社会を描いて」の取り組みとして子供の居場所づくりは「まじゃりんこ」の名で実際の活動になって取り組みを生み出しています。成果はこれからのとりくみにかかっています

 時代の大転換の中で協働が生み出すものは、計り知れないものがあります。お互いに人々の願いにより敏感になり、市民主体の活動がじわじわ発展すれば希望となりましょう。市行政との関係はまだ一部しか進まなかったのは残念でしたがその中でNPOが一番活動しやすい地域にしようとつとめた県NPO推進室と、市事業推進課の職員の方々の役割、縁の下の役割は大きいものでした。

継承、発展のために場や情報を、提供する、NPOサポートセンターの設置が望まれます。私も地域活性化推進委員の一員として少しかかわりましたが「子供の身近に自然」「ひとりぽっちを作らない地域へ」の行動を促されたよい機会となりました 

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春 がで出しの童謡がなんと多いことか。冬夏秋の数倍はあるぞ

    春を冠した曲名と 春が歌詞の出だし、閉めになっている曲を拾ってみた。

     まずはごらんあれ。長くなるので最初の1小節だけ拾ってみる

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春の唄 喜志邦三作 内田元曲  昭和12年 

 

           ラララ赤い花束 車に積んで 

          春が来た来た 丘からまちへ

早春賦  吉丸一昌作 中田章曲 大正2年

、        春は名のみの 風の寒さや

春よこい  相馬御風作 弘田龍太郎 大正11年

          春よ来い 早く来い 

           歩き始めた みいちゃんが

四季の歌  荒木とよひさ作詞作曲 昭和47年

        春を愛する人は 

        

         心清き人  

春の歌  野口雨情作 草川信曲

        桜の花の 咲くころは 

      

        うらら うららと 日はうらら 

○どじょっこふなっこ  岡本敏明作曲 (東北方言による) 昭和23年

          

       春になれば しがこもとけて 

    

       どじょっこだのふなっこだの 

○ 風はそよ風  東辰三作 明本京静曲 昭和21年

        「おはようさん」とも言わないで

         そっと我が家の軒先に

         朝の光と共に来て

         なぜかみんなをほほえます

         風はそよ風 春の風

○美しき天然  武島羽衣作 田中穂積曲 明治29      

             春は桜の あや衣

           秋は錦の 唐錦

           夏は涼しき 月の絹

           冬は真白き 雪の布

別れの曲  堀内敬三作 ショパン曲 

              春の日 そよ風

                花散る 緑の丘

                梢を 楽しくわたる

うるわし春よ  丹治汪作 ドイツ民謡 昭和60年

        うるわし春よ   緑に映えて

        歌声ひびく 野は 山に   

春の日の花と輝く  堀内敬三作 アイル団度民謡 

            春の日の 花と輝く           

             うるわしき すがたの 

○ 春のやよい  慈円僧正作 作曲者不明 明治14年

               春のやよいの あけぼのに

         

(

四方

)

の山辺を 見わたせば

         

春の小川  高野辰之作 岡野貞一 大正元年

         春の小川はさらさら流る

          岸のスミレや れんげの花に

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ハルはやはりいい。はーるよこい、はーるよこい、のメロディーが

聞こえればどこでも飛んでいくぞ。ハルをうたう人はみんな友達だから

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作家井上ひさし氏の  原爆についての記述から 2005年

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原爆について  語ったものからいくつか

        ~~ あの2個の原子爆弾は、日本人の上に落とされただけでなく、人間の存在全体におとされたものである

         あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることの出来ない20世紀後半の世

界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。だから被害者意識からではなく、54億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら「知らないふり」をすることは、何よりまして罪深いことだと考えるから書くのである。私の1生は~~父と暮らせば

    ~~被爆者たちはこういった絶望の中を生き抜きました。それも人間の、尊いまでのつよさを私たちにはっきり示しながら。その命がけの姿から、「人間はどんな絶望のなかにおいても生き抜かねばならない。それが人間の条件である」ということを教わり、これをかかなければ「父と暮らせば」完成したことにはならないと思いました。~~~

    手記は聖書  ~~若いおかあさんの遺体の下に赤ちゃんがいたという話がたくさん残っている。憎悪の塊のさく裂点の下に、人間のすばらしさが小さな宝石箱のようにキラキラしている。だから聖書なのです。

    記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ。

  「老幼者および病弱者はみな殺す必要あり。これらと日本とが心中することは出来ぬ」本土決戦を計画する大本営の作戦の中で陸軍省高官の言  1945-6-11内務省警察局長が聞く)

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thinkローカル  actグローバル でいこう   

1  actローカル thinkグローバルと一般にいわれているが

    

 think ローカル  act  グローバル で行くべき時代だと思い

 ますがいかがでしょうか

  

    地域で考え 対話し グローバルの視点で行動する(命をつぐむ)

 

2私の限られた体験から

見えないものでもあるんだよ  みんな違ってみんないい

福祉体験から    恩送りの まちづくりーー弱いもののなかにある知恵   

学校体験から  学校の中に地域が。 ふるさとでゴミ拾い

自然体験から  身近な自然の中に子供たちが メダカ 卵塊  蛍

民際的な交流企画から   人々をつなぐ 平和 と 文化

  

3フォワキャスト(現在から将来を見る)でなくバックキャストへ

持続可能な社会から現在を見る)のへ転換

 フォワャストでは 政治、経済  福祉  環境 文化を縦割りで推進。バックキャストではスエーデンの場

合 持続可能な未来「 緑の福祉」から現在(経済も環境の一部)を見て政策実践するという。小沢徳太郎

  ブータンでは  

 

当事者主体の政策作り 

 一人一人 受動的能動

 次の世代が平和なうちにくらすことが出来るように。何のために生きるか

が問われる問題として

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 友人が多いと長生きする   GDH  幸福の行方 

この国にすむ人々の幸福  生きがいのいくえ

自然科学を最高学府で学びながら 同時に オーム真理教でおぞましい殺傷にかかわることをしているーーー

これが成立してしまう時代である。

「゚最高学府」で教鞭をとってきた同窓の先輩が語りかけてきた。何のために  誰のために  何をめざし学び研究するのか

を欠落した研究 、 教育が成立している。  なんか変だ

いまや働く人々の世界でも同じことがいえる。  学ぶこと、働くことがヨリよく生きることから離れてしまっている

私が非常勤勤務で週2コマ学生に5年間付き合い 非営利企業で働いてきた経験から「働く意味 意義 面白さ」を「非営利

組織の理論」の講義名で話してきた。当初働く意味ーーしたがって大学で学ぶ意義ーーを殆ど考えてない多くの受講生に

直面し、面食らったものだった。多くは単位取りに来ていた。そこで聞きたいものだけが主体的に受講するようにテストと出

席点をとるのをやめて働く意味を実感できる講義に切り替えたものだった。

ところで今朝のNHKテレビで 

 新卒の50%は就労後3年未満で退職していると報じた。「働く意味や動機」が見出せない。20台の就業者の非正規 で

 下働きが殆どだという。5年前授業では30%といってきたが50%とは一層深刻になっていると見ていい・。

今週の初め50年前、安保世代として同じキャンバスにあった同窓生約30人があつまった。

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2つのキャンバスの散歩が始まった。広い芝生や木々の緑に恵まれたキャンバスは林立するビルで埋められていた。し

かし、50年前の生協の建物を目にし その中でかっての雰囲気を嗅ぎ取ったあたりから  会話が弾みだし  あそこで

こうしてああして といった記が呼び覚まされ  その日の宿で夜を徹した話し合いになっていった。当時は大学の殆どと

もいえる6000人の学生と教員300人がデモに繰り出す時代だった。

集まった30人のなかには半年間土方をして学費をかせいで半年間学業につとめたもの。連日働いて家に仕送りしてい

たもの。 生協でさら洗いしそのまま生涯掛けてを生協ですごしたもの、雪が舞い込んでくるあばら家で共同生活するも

のなどの多彩な苦学生たちだった。

みんな鼎が沸くような安保を体験したからなのか自分たちで社会を何変えられると思っていた。食えなくても元気だっ

た。みんな心に希望を抱いていた。この社会で自分たちが役割を発揮できるという夢があった。

翻って半世紀を経た今 

当時と違って学生たちは携帯電話を持ち、パソコンを駆使し、通学にバイクや時には自動車を使い、立派な学び舎があ

り、食べ物も豊富で僕らの時とは比べようもない豊かさである。

この豊かさは私たちの世代が経済資本の高度成長に加担し身を任せた結果であり、もとに戻す発想はアナクロニズム

時代錯誤におちいるといってよい。

しかし喜びのない豊かさ、  夢と希望を持ち得ないいわゆる豊かさ、孤立。世の中は鬱病は8人に一人になり10年を超える3万を超える自殺大国になってしまった。

行く末に希望が持てないとすれば いったい戦後のGDP成長はなんのためであったのかを問われることにな

る。しかも一見豊かにみえ「成長」はこの10年~20かけて喪失し 格差  弱者排除  貧困が時代の特徴になってし

まった。格差はアメリカ並みの先進国のトップクラスになってしまった。

しかしいかに厳しくても希望の中に身をおきさえすれば 創造が生まれ  生きがいややりがいが生まれる。集まった同窓生の中に当地では名のある医師がいた。彼は社会医学専門でもある。

非正規雇用や失業者と病気の関連を研究してきた彼は

 収入と病気の関連を調べ

貧困は万病の元  特に悪いのが格差といっていた。当日参加の年寄りの同窓生を見渡していう。

友人が多いと長生きする と 。 これも根拠があるという。 時代の転換期に含蓄のある話だった。

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里山   里際  春の賑わい   

里山   里際  春の賑わい

  ホタル生息地の清掃   (草刈   水路確保)の際に 沢蟹に出くわしました。S9_054_2 S62_ob_029_2

ホタルも沢蟹も  水がきれいな証拠。  まだかすかに残る谷津田の片鱗には  湧水があります。

斜面林があり  木々や落ち葉が雨水を蓄え  365日 潤して 卵  幼虫の食べ物を提供しています。

休耕田  放置田になったおかげ?で田んぼのときは農薬で絶滅の危機にあったのに  皮肉にもホタル

が生きることになった。草むらには  雉がいた。卵を抱いていた。少なくなった田んぼにはおたまじゃくしから

孵ったばかりの赤ちゃんかえるがうじゃうじゃ。空にはそれを狙ってか  サシバなどが飛翔し  周りは鶯の合唱

おおよしきりやしじゅうがらが春を謳歌している。斜面林の上の台地にはねぎや玉蜀黍  レタスに独活が植えられ

ていた。しかし台地のほとんど52ヘクタールはブルトザーでえぐられ  みどりは既になくと開発休止し見るも無残な

荒地になってしまている。後世の人たちがみどりがコンクリートになり  汚れた水と空気のもとで青息 吐息だとしたら

いったい何のためのGDPなのか、何のための開発か  何のために生きてきたのかいわれることになる。

まだ少し残る里山を残すために何が出来るのか。ホタルと沢蟹に聞いてみたい。

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