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2010年5月

花と心に囲まれて

作家の高橋治のエッセイ集に「花と心に囲まれて」という書物がある

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この千葉で菜の花やキンセンカに出会うとき 十数年前のある場面がうかび、あったかいものが心を囲む。花と心に囲まれたきもちになる。阪神震災時にいただいた被災地からのたよりであった。花を送ったのは南房総のはな栽培の方々だった。私たちは取り次いだだけだったが。便りにいわく。

「地震で家屋が全壊になったショックから立ち直れるかと思っていましたが、月日がたつうちにがんばらねばと思うようになって来ました。菜の花とキンセンカがとてもきれいで、春が来たことを知らせてくれました。」

「暗い毎日を送っておりましたが、春の花で心を取り戻しました。今日からは元気、元気。すてきな花ありがとうございました。真心、嬉しかったです。」

「どん底に突き落とされたときほど人の関心と温かいお心づかいをいただけるほど嬉しいことはございません。特に遠方の方々からお寄せくださいました慰めとやさしい言葉と品々、そして無言のうちに心温まる花々。ありがとうございました

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今朝の写真  田んぼと  川と空と

 川に浮かぶ空  風が見える朝

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田んぼに映る空 S_2010_51_019

S_2010_51_020 風が見える土手

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核抑止   核恐怖下の未爆者としての私たち

核抑止という名の恐怖の応酬

核兵器は何故増え続いたのでしょうか。そのわけを日本で始めてノーベル物理学賞を受賞された故『湯川秀樹博

士』が半世紀前に看破し警鐘していました。「米ソの核軍備拡張が強まる方向に事態が進んできたのは、それは

核抑止という誤った考え方にある」と述べています。平たく言えばたえず「相手国に核報復を行うという威嚇を

うことにより相手方の攻撃を思いとどまらせる、」そのために米ソは相手より ヨリ優位に自分をおこうと

して核開発競争を続けてきました。(核なき世界への著者 岩垂弘 同時代刊 から)

その結果が26000発です。日本政府は 核抑止の名「核の傘」に入ることを選択し開発競争を容認しててきました。

最近国会で明確になりましたが原爆もち込みまで密約で許してきした。私たちは核抑止という名の恐

怖の中で生きてきたことになります。

冷厳な事実の前に

この間世界は幾度となく核戦争の瀬戸際に見舞われました。多くの歴史家が史実として論証してきたように朝鮮戦争時に、キューバ危機時に、台湾海峡紛争で、ヴェトナム戦争時に、湾岸戦争で核使用の一歩手前までいきました。ソ連消滅後もアメリカは“正義のため”に核兵器の先制攻撃の権利を留保し核兵器保持、開発をバックに国際政治を進めてきました。

希望へ

しかし核兵器は たった1発の使用でも敵味方関係抜きにすべてを殺戮し尽くし世界を破滅に落とし入れ

ることが少しづつ世界に知られるようになりました。核兵器の95%を持つアメリカとロシアにおいては核放射能被害が自国の兵士と市民を襲い始めました。アメリカはイラクから帰還した劣化ウラン弾に触れた兵士たちなどによって、ロシアはチェルノブイリ原発事故(ヒロシマをこえる惨劇ともいわれる)などによって。核兵器拡散や核テロの恐怖が核独占の為政者をも捕らえ始めました。

しかし核兵器を『俺は持つが、お前はだめだ』という脅かし論理で世界を納得させることは出来なくなりつつあります。。無関心は平和の敵ですが 人々をブラインドにしてきた為政者の責任こ問われなければならないでしょう。

「核の絶対的事実は人々への最大の説得力」です(母と子で見る原爆を撮った男たち。草の

根出版会)。最大の問題は米ソそして英中仏  さらにイスラエル  インド  パキスタン 北朝鮮の核保有、開発国の国民が核の恐ろしさを知らない(知らされてない)ことにあります。さて日本は?

希望は知ることから始まるといいます。解決は政治ですが、それを動かしかえ支えるのは 人間的視点に基づく運動です。被爆者の運動が鏡ではないでしょうか。

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新緑の中の藤 藤が見下ろす お蛇が池  ほか

S2010_4_081 野放し   野生化した鶏が一羽 のんびり

S2010_4_086  S2010_4_090 藤  藤

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モチ 餅―――それは季節のたより  私流儀で餅をくいねー くいねー。

モチ 餅―――それは季節のたより  私流儀で餅をくいねー くいねー。 

♪♪ 一月は正月で酒がのめるぞ

         酒が飲める 酒が飲める 酒がのめるぞ  ♪♪

(下戸の私は酒をモチに置き換えてみた。モチ菓子は年中食べても良いほど私は好きだ。甘味党を軽んじる方々にどうかモチのよさを認めてほしい気持ちもある。でも餅はもち。私なりのもちの文化?がある。)

♪♪一月は正月で餅が食えるぞ モチが食える モチが食える モチが食えるぞ♪♪

 (正月には上品な“花びらモチ”がある。しかしぷーと膨れる焼きモチにのりを巻いたり、あんこをつけて食べるのがいい、お雑煮も汁子雑煮はもうたまらない)

♪♪二月は旧正月で餅が食えるぞ モチが食える モチが食える モチが食えるぞ♪♪

 (寒モチ、豆モチ、ゴマも餅 胡桃餅。なまこ状のモチを切って干して、囲炉裏で焼いて程よく膨れたところでアチチといってたべる。周りに兄弟がいたものだ)

♪♪三月はひな祭りで餅が食えるぞ モチが食える モチが食える モチが食えるぞ♪♪

 (形のいい菱餅はともかく、桜餅はいつもいいものだ。ヨモギの香りの草もち、イヤ、一番は道明寺か、姉がうらやましかった)

♪♪四月は花見で餅が食えるぞ、モチが食える モチが食える モチが食えるぞ♪♪

 (ウグイスモチ、形がいいのをパクリ。花見団子、新粉醤油団子、境内で食べる焦げ目がついた川越団子が私には最高)

♪♪五月は節句で餅が食えるぞ モチが食える モチが食える モチが食えるぞ♪♪

 (何といっても柏餅が最高。チマキもある、京都の粽は最高だがもう無理か、私には高級すぎるし何せ遠い)

♪♪六月は梅雨時でモチが食えるぞ、モチが食える モチが食える モチが食えるぞ♪♪

 (別にわたしにとって季節の行事はないが  餅もどきとして故郷にはガンヅキ、ゆべしがあった。)

♪♪七月は七夕で餅が食えるぞ モチが食える モチが食える モチが食えるぞ♪♪

冷やしゼンザイ中に小さなモチが入っていてがいい格別。わらびモチ。黒蜜の葛もち。 )

♪♪八月はお盆で餅が食えるぞ モチが食える モチが食える モチが食えるぞ♪♪

 (おはぎは半殺しのモチだ、手づくりのおはぎは郷愁を誘う。うるち米の団子もいい、団子では川越団子にかなうものはないと思っているがあなたは違っていい。)

♪♪九月は彼岸で餅が食えるぞ モチが食える モチが食える もちがくえるぞ♪♪

 (月見団子、牡丹餅。その他各種のモチ・・・だだちゃ豆餡をまぶした豆打モチ、ゴマをまぶしたゴマ

餅、胡桃餅名乗っただけでよだれが出てくる、はしたないが仕方がない。幼い頃胡桃から実を穿り出してニコニコしながら手伝った)

♪♪十月は何もなくてもモチが食えるぞ モチが食える モチが食える

                             モチが食えるぞ♪♪

 (幸せを呼ぶから大福がという。大福帳からきたのだろうか。漉し餡、粒アン、いずれもよし、イチゴ、チ

ョコレートは私のモチ美学には反する季節感がない。がうまいならそれでも善しとするか)

♪♪十一月は七五三で餅が食えるぞ モチが食える モチが食える モチが食えるぞ♪♪

 (孫も含め七五三の該当者はなくなった。ひ孫誕生まではとても持つまい、ならば三抜きの七五さいまでは

もちを食うぞ。 八十才20本の 歯を丈夫にしておけば80までも食えると歯医者が言う。でも80までと

ても持つまい。だから今の内に楽しみたい)

♪♪十二月は師走で餅が食えるぞ モチが食える モチが食える モチが食えるぞ♪♪

(みんなの師走を尻目に正月前倒しでモチを食うのも楽しみというもの  6回目の寅年を迎えた私の食い意地、ちょっとはしたない)

さて  ごまめの歯軋りとして一言

古来餅には日本の各地で「神が宿る」と言われてきた。鏡餅はその証拠といえる。

お米と餅は古からとても貴重な日本の風土に合った大切な食べ物だった。だが作った農民すらも口に入ること

もままならなかった。農民収奪の歴史がつづいたからだ。だから多くの人々は季節の行事、ハレの日にやっと

口に出来た。♪♪モーいくつ寝るとお正月――――お正月にはーー♪♪とうたったのはもう半世紀以上前。今

では大半の子どもたちは昔憧れだった餅や御節よりケーキ、チョコレートを選ぶ。それは当然そうなっていく

運命にあった。私がまだまだ餅、餅菓子にこだわるのは幼少時 ひもじい経験からの甘味と餅への羨望からだ

ったとおもう。だからケーキ、チョコレートへの流行変化も非難するには当たらない。僕もたまにはケーキ

、チョコレートに預かりたい口である。

しかしここに大事な落とし穴が待っていたように思う

    いつでも、どこでも どんな季節でも誰でも 同じ物を享受できる「チョコレート」に仮に(文明)

代表させてみよう。一方「餅菓子」に季節や地域 {たとえば沖縄と仙台の餅との違い 或は季節や家庭}ごと

に違う餅を「文化」となづけて見よう。

戦後63年の日本はまさに文明1点張りで経済の高度成長を国挙げての価値として追い求めてきた。結果暮

らしの中の「季節、季節観」は失われ「米魚文化」が、希薄になり「暮らしの文化が規格化ないし画

一化」されていった。それを牽引するものが世のエリートになった。この中で育った多数の団塊世代は総じ

て周りと同じことをしたり同じ物を食べるようになっていった。社会的には会社など組織に縛られ 、或は

組織に依存し自分の意志を表せなくなり、組織を離れてなにも出来なくなっていった。私はそうならないよ

うに協働の世界づくりに長年掛けてきたつもりだったが今にして思えば格差排除の埒外にいたとはいえな

い。ふと気づくと現実の故郷はなくなっていた。心の故郷が希薄になれば浮遊感が漂いはじめる。心のより

どころを失った幸福感をともなわない世界に身をおいて生きているのだろうか。世は喜びのないGDP(G

NP)になっていった。幸福を奪われ何のためのGDPだったのか。食料の自給率もエレルギー換算40%

をはるかに切ってしまっている。外国に食料を依存しながら生きなくてはならない。こうした中では日本近

海と世界の平和が生きる保障だが、それを本気で作ろうとしない。武力で食料の生命線を守ると言う意見す

ら堂々と出てきた。国を挙げて当面のことでしのぎを削っているうちに先が見えなくなり1000兆円もの

借金を次の世代に回して逃げようとして国で。

ここからの脱却は「文化」(生活の質喜び)を作っていくことに力を寄せ合う以外にないのではないか

生活の質  喜びは一人一人みんな違う。その追求は自立した個人を前提にする。自立

を目指す個 と自立を目指す個の交錯によって成長した個が社会を創る。成長とはGDPではなく

人に役立つ力。

「平和、人権、共生」(命の尊厳)が21世紀を拓く唯一の道。

これまで「平和、人権、共生」を基本的価値にした世紀はなかった。

いかに厳しかろうと人間性の破壊に抗して行かなければならない。

生活の喜びを分かち合うこと意外に活路はないと思う。

活路への答えは意外に簡単だと思う。生活の喜び(ぬくもり)を分かち合う達人たちが社会の主軸になればよ

いだけの話だ。変化は身近なところから始まるような予感がする。世はぬくもりのある社会を求めている。

その道は茨の道かも知れないが喜びも大きい。敗戦直後の明るさ  阪神大震災下での人々の助け合い、福

祉活動の中での人々の優しさ、被爆者の戦いの一端を垣間見て  これまでの歴史は「平和、人権、共生」

へ 紆余曲折はあっても  ベクトルが向いてきたように思うがいかがだろうか。

沖縄のこと  核廃絶のことが 沖縄の人たち  被爆者のおかげで 国民的な関心に再びなり始めている

のはその兆しかも知れない。沖縄と被爆者といかに連帯できるかにかかわっている。

 ところで あなた流儀で餅をくいねー   餅をくいねー。

戦争と戦後の経験からあんな時代はもう真っ平ごめんだ。孫子にはあわせたくない。

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希少な花  貴重な心は未来にむかう

知り合いの好意で希少な植物の花を見せてもらった。乱開発の只中で守り抜く意志や 珠玉。花も珠玉。

まずはごらんあれ  えびね  クマガイソウ   自然の中で手入れした見事な藤

釣竿たれる うらしまそうなどなど。

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