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被爆者との会話から

 被爆者の話から (9歳時被爆 長崎 ) 

           4月19日   スターバックにて

私   「被爆の瞬間 1945年8月9日11時2分。その前後にどんな変化?」

KIさん 「セミが鳴いていた。けたたましく鳴いていました。犬があるいていました」

私    「 それが・・・

KIさん 「ピカッとした瞬間机の下にもぐりこんで母と抱き合っていました」

 私   「 そのときの恐怖は?私には想像を超えますが」

KIさん  「一生付きまとう恐怖になりました。一切の音がない世界、生き物

      の気配をまったく感じない世界に私を投げ出しました。動くものがない世界。

      生き物がいない世界。静寂。しじま。」

 私    「 気絶からさめたときいつものセミの声が無い、周りに動くものがな

       い。その恐怖。私は原爆のとてつもない惨劇をともすると建物など見

        えるものから見がちでした。しかしあなたの体験を自分に置き換え

       ると――――たとえようのない恐怖が襲ってきます」

KIさん  「自分の体を通り、自分の肌に張り付いた恐怖の感覚は63年後の

      今も消えない。被爆者のすべてがそうです。被爆者はいまもって

      救われていないのです。あの時いっしょに死んだほうがよかった

     と思って生きてきた被爆者が多いのです。」

私    「しかし、あなたは生き抜いて被爆体験を千葉県で、四街道でも、核兵器

      の廃絶を語り続けてきました。心臓疾患などを抱えながら今回、国連と

      アメリカ市民にうったえるためにニューヨークにもいかれる。3万50

      00の私たちの署名(思いを)預かっていただいた。感謝です」

      

KIさん 「いやとんでもない。私は皆さんに生かされて生きています。理不尽

に殺された先達によって私は生かされてきました。長崎のあの人たちの「思

い」を預かっている。あの人たちの「言葉」をわたしは預かっている。預かる

ことで生かされてきました。だから私は語らなければならないのです。」

KIさんとは、4月19日  35000の核廃絶署名達成の報告会に出席いただき、5月4日の国連提出日に国連に国際署名を届けていただく日本被団協 の方です

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