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 続き    私が出会った心に残る発言  ビキニデーにて

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私が出会った心に残る発言  ビキニデーにて

28日 と1日のビキニデーには全国から多くの方が集まり全体会や分散会が行われました。私は3分

ですが全体会で発言しました。 以下私が出会った心に残る発言をメモから幾つか拾います。 

         

紙芝居を作った身延山高校 佐治さん。

北は礼文島から沖縄の波照間まで250回 幼稚園児から98歳のおばあちゃんまで

 私は小学校6年のとき「禎子」の話を聞きました。私は身延山高校で青少年赤十字ボランティア活動をしている

中で、たくさんの子供に禎子さんの平和の祈りを伝えたいと思い、紙芝居を作り、保育園園児から98歳のおばあ

ちゃんまで、北は礼文島から沖縄の波照間まで250回、紙芝居をしてきました。広島の平和公園では聞こうが聞か

れまいが11年間やってきました。中国やテニアン・サイバー島にも行こうと思います。

アメリカはイラクから撤退しない。アフガンからもしない。私はオバマ大頭領に正義の心をよみがえらせたい。

だからニューヨークに行きます

 私たちは戦争を知らないからこそ、今を生きるものとして、被爆者の心を受け止めて伝える責任があると思い

ます。折鶴の心を持って殺人兵器に立ち向かいます

一人の命を尊重することほど、すばらしいことはありません。お互いに思いやりを認め合うことを「折鶴」にこ

めて訴えていこうと思います。(会場全体を包む拍手が続いた。私は必死にメモを取ったが途中欠けています。

多くのひとたちに聞かせたいと思いました。。)

大石又七さん

(昨12月四街道で講演されたときと同じ感じでした。)の全体会でのうったえ

 (広島県の1000倍の威力を持つ)水爆実験による放射線を頭の上に、毛の中に降り注いだ。放射能は骨に蓄積

していった。・・・保障はなく、保険もおりず、ただ差別だけ残った。多くの被爆諸氏は沈黙することが唯一の

選択になった。私も焼津を離れ、わが子の死産のショック、がん手術もしたが、しかし、沈黙を強いられ苦悶の

中で一人欠け、二人欠け、三人欠けていく中で無駄死にさせてはならないという内側からの声に押されて明らか

にした。調べるうちに私をはじめ被爆者に言われていることがうそであることがわかった。本は4冊になった。も

うまっぴら、再びあってはならない。戦争さえなかったら原爆投下はなかった。戦争につながるものはなくそ

う。世界への災害救助隊に変える。全世界に貢献し日本が尊敬される道はこれだと思う。

(来日しているNPT ニューヨーク行動の全体責任者のジョセフ、ガーソンさんは大石又七の功績をたたえて

いました。四街道で40冊売れた大石さんの本は英訳されていました20103_001

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2平和と環境のこと」カテゴリの記事

コメント

すばらしいです。
行ったことがないけど
報告してくださって
ありがとうございます。
大石さんの本、読んでみます

投稿: obaba | 2010年3月 7日 (日) 10時20分

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