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2010年2月

花ものがたり 南房総は面白い

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花ものがたり

         ―― 南房総は面白い 

                           

真冬というのに路地に自然に花が咲き乱れているところがある。房総半島の最南端の地域である。こんな所は日本国中めったにない。もちろん千葉県民なら誰でも知ってはいるが、実際行くとなるとよほどの理由がなければ足を運ばない。花より団子の口はなおさらである。今回は看護や介護の疲れを癒す目的をつけて、連れ添って出かけることにした。その日は(2月20日)快晴に恵まれた。

以下、私が改めて感嘆した花景観のいくつかを披瀝し、未だ行っていない方に千葉県民の特権行使をお勧めすることにしたいと思う。

― 景観いくつか ―

 房総半島最南端、東京湾の入り口に当たる外海に面した州崎燈台から白浜方面に車を走らせるところからはじめたい。この地域の特徴は、山が丸まっちいことだ。なだらかな丘陵を包む照葉樹林の森が、照り返す海のキラキラ光とあいまって車窓に飛び込んでくる。ついで、フラワーラインと称する海岸通りを帯状に連なる、まっ黄色な花を左右の道端に見ながら走ることになる。千葉県花、菜の花はここが一番と鮮やかである。どうしてこんなにおだやかな金色をかもし出すのか。「景色も事故のうちだよ」といって運転の甥を脅かしてゆっくり走らせていると、しばらくして、お目当ての野島崎燈台に着いた。2010220

― 野島崎 ―

女性的な景観は、ここで一転して男性的に海に突き出した岩礁の景観に変わった。奇岩の上に飛び散る波のしぶきの向こうに見る水平線上の舟影、足元には宮崎の日南海岸と同じような“洗濯板”の岩層があり何千年、何万年の記憶を景観の中にとどめている。そういえば、ここの年間の平均気温は15℃とか。宮崎の日南地方と同じ。亜熱帯に近い。車に引き返す道すがら「アロエ」の群生が目に止まった。我が家では一晩外に出しっぱなしにして「アロエ」の鉢植えごと枯らしてしまった直後だっただけに、無造作に群生していることに驚く。そういえば、この近くの館山の沖の島でサンゴを見たことがある。北からはアザラシの玉ちゃんが迷い込んだ。南と北の海流がまじわった面白い植生が景観の特徴なのだろう。野島崎の海に飛び出た突端は周囲は1kmという。その中にある厳島神社に立ち寄った。広島の厳島神社と姉妹という。面白いのはここにある七福神だ。これを彫った石工は奇人だったらしく、「100年経てば理解してもらえる」と、周囲の無理解者たちに豪語していたという。もうとっくに百年以上たっている。七福神(写真)との出会いは、各地の五百羅漢が好きな私にとって、もっけの幸いであった。後世の人まで人間好きに誘うなんて石工冥利に尽きることだろう。又この辺は、古来海女さんの仕事場でもあった。往時は1000人を越える海女さんがあわび取りをしていたという。今は碑がたっているのみだ。まだどこかでやっているとしたら是非白い丸首にパンツの海女さんにお目にかかりたいものである。興味が尽きない地域であった。

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― 花ものがたり ―

道の駅で腹ごしらえをした後、目的地である白浜に向かった。何度か来た事があったところだが、改めて息をのむ。白浜の海辺からの傾斜地の畑(田)に8月に撒かれた、ポピー、ストック、キンギョソウ、キンセンカなどの種は1~3月に開花し、まるでモザイク模様のじゅうたんのように、太陽の陽に照りかえされて視界いっぱいでも補えきれない。冬の潮風にも耐えて成長した花たちであった。無霜地域を巧みに利用し、貧困にあえいだ農漁村の先人たちが苦労に苦労を重ねて作り上げてきたものだという。

阪神大震災時、神戸に支援に行った仲間から「今,震災地の人々に必要なのは花かもしれない」という知らせが届いた。これを当地の知人に言ってみた。震災一ヶ月がたち、被災者の疲労は極に達していた。梱包された花をトラックいっぱいに積んで現地の生協に届いた。花は建物崩壊の中でも開いていた店にもまわされた。店で受け取った被災者からお礼状が沢山きはじめた。必死に寒空の中で耐えてきた人たちは、「あっ、もう春なんだ。生きてきたんだ。と我に返った」。花にほほを寄せて涙ぐんだ様子など、手元にある文面(コピー)から読み取ることが出来る。そんなことに思いを馳せる私を尻目に同行者たちはうでに抱えきれないほどの花を切り取っていた。

田宮虎彦 の小説にここを舞台にした「花」という作品がある、戦争中、政府から花栽培禁止令が出され、県は時々抜き打ち検査して花栽培を禁じていた時代のことである。この中でどうしても捨て切れなかった花の種をひっそりと隠し持っていた農家があった。見つかれば国賊にされるところであった。戦争が終わってしばらくしてこの種の花栽培が始まった。たまたま、房総を中心とするNPOかかわっている関係で、話は前もって伺っていた。だから同行者が切り取った花たちに良くぞお出まし願ったと声をかけたいきもちになっていたPhoto

花は弱い。特に戦争に弱い。平和にこそふさわしい。戦争を経験しなくなって久しい日本に住む私たちは幸せだ。しかし花を守った人たちのこと、花を奪った震災、そして広島や戦争を忘れるとき何が待っているか。ちょっぴりでも想像をめぐらすことがあっていいと自戒しながら離れた。そして加齢もあってかやはり日常の暮らしの中に理屈ぬきに花があるのが一番いい。さらに適うことなら 年に1度ぐらいは文化や歴史の宝庫でもある南房総の景観を楽しみたい。同行の姉はむかしのまんまの笑顔で楽しそうだった。やはり花は強い。この後車は千葉県1の巨木と眺望を誇る清澄寺にむかった。(参考 房総のふるさと 多田屋)

  

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不登校2年間の経験を持つ25歳のAさんの話   私のメモから

社会で生きる力を見つけために ―― 

不登校2年間の経験を持つせ青年の話・・私のメモから・・・

1  不登校のきっかけ、原因(中1の秋)

 担任の先生とあわなかった・・・・・・

(先生)から納得できないことで叱られた。みんなの前で自尊心が傷つく 、繰り返して

  

  ・率直な疑問に答えてくれない、(色々な場面を紹介)

  ・落ち着いて話が出来ない、大切な人に話が出来ない

                子供に向き合い、聞いてくれない状態―

○ 引きこもりの2年間の状態

 2年間家の部屋の中で過ごした。風邪を2年間引いている状態を想像してください

    何も出来ないから何もしない・・・でも遅々でも心は2年間ですこしずつ・・

○ 変わったきっかけ

・ 親が親の会に入ってから  親が変わっていった

   親の安定が子供に伝わってくる(たとえば)

・ 子どもの育つ力を信じようとする親たちによってこそ

    ヨットスクールのような親から離してしまう

    子供は何で親が自分を捨てるんだろうと思ってしまう。

  ○全てを受けとめてくれた時・・・

       ありのままでいいんだよ。今のままで

       コインの裏表、(良いも悪いも) 君は君のままでいい

       どうするの貴方は 学校に何時行くの、などと 追い込まないでください

       長い時間軸で見守ってくれたことが。   

  ○その後 定時制へ

       制服はない 並ばない 職員室も開放的  会話が出来た

       色々な事が楽しい 色々な事がやれる

       許しあえる いじめがない

○卒業してから

       NPOに未来を感じた

自分たちで「社会」をつくれると

       フリースクールをつくる

       子供に対する見方が変われば子供は変わっていく・・子供の味方になる、これがいっ

そうの確信になってきた

       氏が言いたいこと  先生  親  周りに

       自分の物差しを疑え

   成績の物差し、比較の物差し、見えるものだけの物差し  などなど

   子供の立場で見たときにこちらにどんな問題があるのか 

       子供はやってほしいと言っているのでは決してない

   受け止めてほしい 聞いてほしいのだ    よりそう    見守る

       時間軸を長く取ってみてほしい

   3年後  5年後  。愛情こそ “すきだよ”これ、これだよ。

   心  情緒の安定から  能動的に

彼の表情は話し中ずっと明るかった。子供への見方が変わると、親も変わっていく。このような社会の深部の人間変革に自ら関わっているという矜持が彼の表情に明るさをもたらしているのだと思った。 とにかくナイスガイだった

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