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年賀状について

まずは明けましておめでとうございます。

メールでの年賀状ですみません。がこれからは世の中に折角パソコンがあるので これを使わない手はない。そう思い、来年からのはがき賀状は  パソコンのない方、1年以上合わない方にだんだんシフトして行こうと思っています。

またパソコンでのメールは

賀状の制約を越え  賀状メールを機にいつでも、どこでも、どこからでも思いついたときに、思いついた友人に気軽に自然体でメールできるような関係ができるといいと思います。少なくとも年に一回。もちろんそれ以上であってもいいのですが。題材は 気張らず楽にいきたい。近況でも、たのみごと、提案、意見開陳など何でもよりどりみどり。お互い返事の義務もないということにしていく。

其のわけは以下の通りです

今日、私は6回目の寅年を迎えた。

       男の平均年齢まであと6年ちょい。時間展望はそう長くはない。にもかかわらず、明日からもずっと生きることを前程に今日も生きている。これは危ないぞ。

       妻は古希を年末に迎えた。私は自分が生きている間、妻はずっと生きていることを半ば自明に今を生きている。これもやばいぞ。

       年末にあわただしく賀状を書いて気がついた。

誰でも小、中、高等学校、大学と友人や先生がいる。そんな友人を私もっている。

誰でも引っ越すたびに近隣に友人ができる。私もできた。

誰でも職場や仕事が変わるごとに仲間ができる。私もできた。

誰でも趣味や興味や病気などで知人ができる。私も・・。

誰でも結婚し、子供や孫ができたことで親戚も増える。私も増えた。

かくて年賀状が増えていくのですが それは宝にもなる。

③     の方々のおびただしい手数の中で私は生かされてきた。今自分があるのはそのおかげといえる。そんな方々に年末のあわただしい時間にそそくさと宛名書きをしている。そして投函、やれやれ。

これでは相手に失礼ではないか。ということに気づいた。虚礼でいいと割り切ればいいのかもしれないが、久しぶりの賀状に心が響くこともある。

情(こころ)に報(むく)いる。

いきるうえで情報が大事だという。でもテレビにせよ、新聞にせよ、マスコミはみんな一方通行。メールだって、考えてみれば一方通行だ。年賀状も知人宛の人と人との関係とはいえ一方通行だ。70歳で始めた手習いブログだって、1年半で5500回のアクセスがあったが、私は一切返事はしていない。

童話で有名な宮沢賢治は宇宙から隣人までみんな「貴方的関係」にして童話を書いたという。わたしはその万分の一しか理解できていないが”豊で”とは”心豊かさ”というものではないだろうか。情(こころ)に報(むく)いあう関係にあるのが人の人たるゆえん。後世にこれを伝えたかったのだろうか。身近に関係を心豊かにしようと。そんな社会しようと宮沢賢治の一生はそれにささげられた。

おぎゃぁーと生まれて、死ぬまで(いつ死ぬのか不明だが)の間、人々の心や声(意志)に囲まれたおかげで今がある。私の心を受け止め軽視しないで付き合ってくれた人々のおかげで今があるといっていい。生かされて生きてきた。社会とはそういうものといっていい。一人ポッチはありえない。ところが今日の日本、組織の多くの職場では人の心や声を大切にしないまま流されていくように思える。家庭も学校も人の声や心を粗末にしてきていろいろな問題を起こしている。僕ら定年者も一方通行の情報社会に囲まれ、一層心を失ってしまいかねない中にいる。この解決は全社会の問題なのでここではパスする。

ここでは年賀状のことだけの提案にしたい。

近代の情報システムを使わない手はない。

そこで提案   略

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