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2010年1月

核のない世界へ 人類史上最悪のむごく残虐な兵器の存在に「ノー」を主張

   署名  多くの市民が 人類最悪のむごく残虐な兵器の存在に「ノー」

最近いい経験している。

 いま核兵器廃絶の全戸署名に仲間とともに取り組んでいるが、話すとみんな快く署名してくれるのだ。これまで平和の署名などはイデオロギーで偏っている人たちがやっていると偏見で見られがちだったか 時代は大きく変化している。牧師さんも神主さんも 目の見えないひとも 子供にかかわっている人も 音楽や書道の人も、食べ物やさんも ヘルパーさんも 農家も 主婦も シニヤ会の人も  議員も 学生さんも こどもたちも あらゆる階層の人たちが垣根を越えて快く署名し 或は署名を呼びかけている。世話人会に重複障害の方が指通信で署名の意志を伝えてきたという。このような署名を含んで万をこえて署名が集まってきたという。

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多くの市民が人類最悪のむごく残酷な兵器の存在に「ノー」を主張している。

考えてみると牧師さんも 音楽家も 医者も 福祉関係の人も 教育者も 食べ物関係者も主婦もそれぞれに「命を語り」「命を守り「命を癒し」、「命を育てはぐくみ」「命を楽しみ」といった{命}にかかわっている。

だから

みんな「いのちを大切に」という意思でつながることが出来るのである。しかし複雑な文明社会では追いそれとはいかないという声が聞こえてくる。私のような意見に対して老人にありがちな主張というこえもありそうだ。

でも、このようなもっとも人間的なプリムティブな関係、最もわかりやすいことば、みんなのよって立つ根っこ、誰もが持つ命、命の輝きを根底的なものとして、組織や社会や国家の価値にすることによってのみしか  戦争と環境破壊 、格差と排除 をもたらした20世紀的な古く悪しき知性を克服出来ないのではないか。(正義の戦争、命より経済優先。格差序列社会、資源収奪,搾取経済、兵器原爆の開発などに使われる文明)

いつでもどこでも  生きている間はつながりを持って

それには自分が住む「地域」(どこも地球のてっ辺なのだが)と空気や水や人間や生き物や大地や海原でつながる「地球」の二つを結ぶ生きかたが必要になってくる。惜しいことにはこれを若いころから十分意識していたかどうかということである。

私は両親と家族 学校、広くは社会などによって(生かされてきた)。受けた恩はゆずり葉のように次の世代に継承され、また今を生きている人に恩送りされる。これがまちづくりの要諦であろう。振り返り見てこれがおもうようにできていなかった反省がある。

もし自分に地域も地球も関係ないとして{今さえよければ  自分さえよければ}という生きかたに陥れば社会は崩れ人類の継続は出来なくなることにつながることになる。既に其の気配に警鐘が出て久しい。

しかし地域も地球も次の世代からの預かり物だとおもうと責任観も生まれる。

この言葉はいま環境理念となっているがこれを実感したのは実のところ孫4人に出会ってから多くの子供に接してからといってよい。わがまちの多くのお年よりはみなそんな気持ちに違いない。

前述したように40年前下町地域には理屈抜きの自然さがあった。私が育った50年前の実家の回りもそうだった。1954年ビキニ被災後  急速に盛り上がった核兵器実験反対の世論の中でヒバクシャに出会ったことがある。学生時代だった。2つの大学の20人の学生と語らって市内くまなく1ヶ月掛けて署名とカンパに戸別訪問をしたことがあった。訪ねる家のほとんどがごく自然に署名し奥に引き返し100円を持ってきてがんばってねといってくれる。100円といえば今の価値で1500円に相当する。100円のお札で25万円集めた記憶がある。。

 命にかかわることは本来自然な営みだとすれば人々の命の継承にかかわる{戦争と核兵器の廃絶}の運動も自然な人間の営みであろう。これを抑制制限しようとする動きがあるとすれば、いずれ自然な営みにのなかで溶解されていくことになるのではないか。人は一人だけでは生きていけないこと、平和の中でしか生きられないという真理によって。わがまちの全戸署名の取り組みは今たけなわである。

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下町のぬくもり

その頃、私の家族は東京は下町の路地の一角に住んでいました。40年以上前のことです。

「あの頃が懐かしいね。隣のおかみさんどうしているかな。そうそう留守していたとき雨が降ってきた時なんか、なんとハシゴかけて洗濯物を取り込んでくれたね。」

妻「そうそう、子供が石ぶっつけてガラスを割ったときには首根っこを捕まえて叱ってくれたおじさんもいたしね・・」

「お向かいの奥さんはね、お仕事をしていては作れないでしょうといってクリスマスケーキを作って持ってきてくれたこともあった。そのまた隣の犬を飼っていたおうちのおじちゃんは、子供を銭湯に連れて行ってくれたこともあったよね」S07032527_094

僕「お休みの日に植物園に連れて行ってくれたおじさんもいたなぁー。そのころ僕は仕事で日曜も殆んど出掛けていたからなぁー」

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「下の子が生まれたばかりでわたしは連れて行けなかったしね。下の子が生まれたばかりには、おしめ洗ってやるから持ってきな、と声をかけてくれたおばちゃんもいたよね。うちの母が倒れていて実家に帰れなかったので一人で育てていたからね。実際は頼まなかったけど嬉しかった。仕事を持っていて大変だろうと何かにつけて手伝ってやろうという隣近所の気遣いが嬉しかった」

「久しぶりに訪ねたとき、近くの八百屋さんの女将さんに会った。35年前のわたしを覚えていてくれて、『あらしばらくだねー』と声をかけてくれた。『お茶でも飲んでいってもらうといいんだけど、今出掛ける途中なんで悪いね』と。毎日のように買い物をしていたとはいえ35年も前の話だよ。」

「よくもまー、やっぱり下町だなー」

妻「私たちは 困ったときがあったら言ってきなと声をかけてくれた路地奥のおばあちゃん、おばちゃんたちに囲まれていたわけよね。それがいざとなったらやってくれるだろうという、安心感と心地よさを与えてくれた。」

「朝の出がけに間借りしていた二階の窓から、長男が『お父さんまた来てねぇー』といったことが路地裏に響き渡ってしまった・・・。そのころわたしは毎日夜は遅く、責任者だったので 土、日でも出かける仕事だった。」

『その時代、世の中は仕事は男、家は女という役割分担意識が強まっていた。でも下町では男も女も家にいていっしょに働いていた。町工場もあった。サラリーマンはというと当時保育所がなくて共働きもできなかった。僕らはここに6年近くいたのは、無認可保育所が近くの長屋にあったこと、職場も近く、生活はかすかすだったから共働きしてたわけだ』

「周りの方たちがよかったからよ」

下町のぬくもり今いずこ

」あれから40年後の今はどうだろうか。あのような町はもうないのかもしれない、人と人との関係が希薄な社会になってしまった。私もかかわった協同組合をはじめ多くの人々はそれに逆らってきたのだが、この数十年 経済第1主義によって人間間のぬくもりの価値はたらいの水と一緒に流されてしまった。優勝劣敗の新自由主義で「ぬくもり」というと甘ちょろいとして下げずまれさえもした。とどのつまり弱者は自己責任と切り捨てられた。そんな時代になってきてしまった。

「妻」難しくいわないでよ「こんなことでしょう」例えば多くは家と家との間には塀があって、門を開けていかないと隣にいけなくなった。縁側コミニケションができなくなった。男どもはたまにゴミだしにいったときぐらいだよね、近所と挨拶するのは。仕事を辞めてからの近所付き合いもままならない。みんな高齢になってしまって地域はどうなるのかしら。おばあさんは少しはましよ」

「妻」それでも、ご近所とは何かとうまくいかないことよく聞くね。 ここの生協の班でね、頼み頼まれ仲良く行き来している。犬を見てあげたり。おたがいに留守のとき見回ったり。おすそ分けしたり。お買い物にお連れしたり。

「僕」なるほどそれは救いだね、食べ物のことで支えあい、助け合いの願いから生協が出来た。職場はどうだろうか。かって僕のいた職場では困ったさんが職場にいれば声をかけたり、支えあう職員がかならずいたね、仲間を思いやる職場で過ごせたことはよかった。今もそうだとおもうけど。

  

     ぬくもりある関係を求めることこそ

ぬくもりのない組織や企業に先がない

さて世の中は派遣切りや倒産した会社の労働者に手を差し伸べていない。優勝劣敗の効率業績評価の中で人と人の関係がきしんでいる。排除されていく。自殺者が連続14年毎年3万人の日本は異常という他はない。自殺者の10倍の未遂者いる。働くもの鬱つはどんどんふえている。

かって花王の元会長が言ったことを聞いたことがある。――生き延びるためといって合併し結局集中価値だけを追いかける企業や組織の未来はくらい――、と。それが検証される時代を迎えたといっていいのではないか。企業社会では大きいところで破産が始まっている。JALとJASは其の典型といえる。続く

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いま なすべきこと  私の好きな詩

S200_1000 死んだ女の子

           ナジム・ヒクメット

とびらをたたくのはあたし

あなたのむねにひびくでしょう

小さな声がきこえるでしょう

あたしの姿はみえないの

十年前の夏の朝

あたしはヒロシマで死んだ

そのまま六つの女の子

いつまでたっても六つなの

S_h

あたしの髪に火がついて

目と手がやけてしまったの

あたしは冷たい灰になり

風でとおくへとびちった

あたしは何にもいらないの

誰にもだいてもらえないの

紙切れのようにもえた子は

おいしいお菓子も食べられぬ

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イランカラプテ

イランカラプテ

これは「アイヌの人たちの出会いの時の挨拶言葉」である。

――イ は「あなたの」 ラムは「心に」 カラプテは『そっと触れさせてください』

こんなにもやさしい言葉があったのだ。出会いが人を元気にし 言葉が 人を生きさせる――

50年来の同窓の友人が農業の仕事を終えてからアイヌの世界の言葉にむかった。昨年の賀状にそう書かれていた。今年の年賀では彼の詩のなかにイランカラプテの言葉そのものを含ませて送ってきた。彼の詩は続く。

―北の人たちは言葉をイタクと名づけた

 イは『それを』 タクは『呼ぶ』という意味だ

「それ」とは何だろう

決して呼び捨てに出来ないものだ

神々や森や大切な人に呼び掛け会話する

そのために言葉は作られた

朝初めて出会う風景のように

ういういしくやさしい言葉が

私たちの言葉はいつのまに

心をなくしてしまったのだろう

今洪水のように押し寄せる言葉のなかで

居場所をながされ

人はますます孤独になっていく

新しい年

ひとつの生きられる言葉を見つけたい。――

作者は有数の豪雪地帯で疾病や貧困からの解放を求め、全国を揺るがした日本で最初に医療費の公費負担を実現したみちのくの村を郷里としている。その後この地の農協の専務を務めた。この村も日本の農(ノー)政によって居場所はながされてしまうのだろうか。過酷な時代変遷のなかでの彼の心情がこめられている。だが希望を失っていない

閉塞状況にある日本。ここからの活路は?

イランカラプテに心がひきつけられる人がいる限り。生きられる言葉を見つけようとする人人がいる限り。感動の日々がある限り。それが動力にになって、転換を作り出す。そんな感触を友人の詩がかたっている。

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年賀状について

まずは明けましておめでとうございます。

メールでの年賀状ですみません。がこれからは世の中に折角パソコンがあるので これを使わない手はない。そう思い、来年からのはがき賀状は  パソコンのない方、1年以上合わない方にだんだんシフトして行こうと思っています。

またパソコンでのメールは

賀状の制約を越え  賀状メールを機にいつでも、どこでも、どこからでも思いついたときに、思いついた友人に気軽に自然体でメールできるような関係ができるといいと思います。少なくとも年に一回。もちろんそれ以上であってもいいのですが。題材は 気張らず楽にいきたい。近況でも、たのみごと、提案、意見開陳など何でもよりどりみどり。お互い返事の義務もないということにしていく。

其のわけは以下の通りです

今日、私は6回目の寅年を迎えた。

       男の平均年齢まであと6年ちょい。時間展望はそう長くはない。にもかかわらず、明日からもずっと生きることを前程に今日も生きている。これは危ないぞ。

       妻は古希を年末に迎えた。私は自分が生きている間、妻はずっと生きていることを半ば自明に今を生きている。これもやばいぞ。

       年末にあわただしく賀状を書いて気がついた。

誰でも小、中、高等学校、大学と友人や先生がいる。そんな友人を私もっている。

誰でも引っ越すたびに近隣に友人ができる。私もできた。

誰でも職場や仕事が変わるごとに仲間ができる。私もできた。

誰でも趣味や興味や病気などで知人ができる。私も・・。

誰でも結婚し、子供や孫ができたことで親戚も増える。私も増えた。

かくて年賀状が増えていくのですが それは宝にもなる。

③     の方々のおびただしい手数の中で私は生かされてきた。今自分があるのはそのおかげといえる。そんな方々に年末のあわただしい時間にそそくさと宛名書きをしている。そして投函、やれやれ。

これでは相手に失礼ではないか。ということに気づいた。虚礼でいいと割り切ればいいのかもしれないが、久しぶりの賀状に心が響くこともある。

情(こころ)に報(むく)いる。

いきるうえで情報が大事だという。でもテレビにせよ、新聞にせよ、マスコミはみんな一方通行。メールだって、考えてみれば一方通行だ。年賀状も知人宛の人と人との関係とはいえ一方通行だ。70歳で始めた手習いブログだって、1年半で5500回のアクセスがあったが、私は一切返事はしていない。

童話で有名な宮沢賢治は宇宙から隣人までみんな「貴方的関係」にして童話を書いたという。わたしはその万分の一しか理解できていないが”豊で”とは”心豊かさ”というものではないだろうか。情(こころ)に報(むく)いあう関係にあるのが人の人たるゆえん。後世にこれを伝えたかったのだろうか。身近に関係を心豊かにしようと。そんな社会しようと宮沢賢治の一生はそれにささげられた。

おぎゃぁーと生まれて、死ぬまで(いつ死ぬのか不明だが)の間、人々の心や声(意志)に囲まれたおかげで今がある。私の心を受け止め軽視しないで付き合ってくれた人々のおかげで今があるといっていい。生かされて生きてきた。社会とはそういうものといっていい。一人ポッチはありえない。ところが今日の日本、組織の多くの職場では人の心や声を大切にしないまま流されていくように思える。家庭も学校も人の声や心を粗末にしてきていろいろな問題を起こしている。僕ら定年者も一方通行の情報社会に囲まれ、一層心を失ってしまいかねない中にいる。この解決は全社会の問題なのでここではパスする。

ここでは年賀状のことだけの提案にしたい。

近代の情報システムを使わない手はない。

そこで提案   略

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