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2009年12月

子供 暮らし 遊び 時代とともに

子供  暮らし 遊び 時代とともに

   古希を迎えた人との対話

”ついに、というべきか”とうとうというべきか、昭和(30年代)の娘さんもやっと古希を迎え、僕と並ぶことになった。

この日を別に祝うこともなく過ごしてしまったが、こんな会話をしながらお茶を飲んだ。

「君は小学校のころもちっちゃかったろうね、学校までどのくらいかかった?」

相手「小一時間かな

「へー、僕はたったの二、三分、校門に入ってからのほうが長かった。」

相手「あっち、こっちよって仲間を誘い遊びながら通った。土手の上を歩いてね。」

「学校の行きかえり、どんな悪さをしたの?」

相手「冬は学校へ行く前に、友達の家の庭で焚き火に当たってあったまって行ったりしたよね。帰りは今度は芝草を結んで次に通る人がそれに引っかかって転ぶように細工をしたりね、それで翌日自分がその結びに引っかかって転んだりしたよ」

「へー。楽しそうだねそれから?」

相手「時には土手に生えている、ツバナのわかめを食べたり、スイバのすっぱい茎をしゃぶったり、高い桑の木にノボって桑の実を食べて口の中をまっかにしたりしたよね」

「その土手だが、義兄さんが通学途中米軍の機銃掃射に会って土手の上から転げ落ちて避けたそうだね」

相手「近くに飛行場があったから、みんな狙われたんだよ。親たちが総出で通学通路に防空壕を掘ったそうだよ。私は戦後の入学だったからそんな目にはあわなかったけどね。平和っていいよね。でも戦後は兼業農家だったけどひもじかったよ」

「なに食べてた僕はねー・・・・」

相手「ご飯にはサツマイモが入っていたし、麦はいっぱい入っていて上のほうは麦だらけだったしね。田んぼに水が入るころにはザリガニを取ってきて湯がいて油いためで食べたり、タニシを取ってきて味噌炒めで食べたり、夏には蜆をとってきて食べたり、稲刈りのころにはイナゴを取ってきて油いためなどをして食べたりしたよ。また蜆は学級費を作るためにみんなで川でとって町まで売りにいったこともあった」

「そう。家ではどんな手伝いをしたのかな?」

相手「小学校のころは庭はきをしたり、廊下の拭き掃除をしたり、少しは農作業の手伝いもしたかな。」

「たとへば?」

相手「歳が下のほうだったからあんまりしなかったんだけど、稲刈りも少しはしたし、田植えもしたし、草むしりとか、もしたよね。冬には遊びながら枯れ木を集めてきて風呂(五右衛門風呂)のまきにしていたよ」

「手伝いながら遊んでいたんだね」

「そうです。手伝いがそんな苦痛に思わなかった。11月ころにはむしろに干したもみをたたんで取り込んだり、その敷き藁を集めたりしたよ。その後歌を歌いながらもぐらたたきもしたよ」

「へー」

わらに火をつけて庭を一回り追い回されたこと

相手「夕方には飛んでいるこうもりをめがけてわらぞうりを投げるんだよ。そうするとこうもりがぞうりにつられて降りてくるんだ。だけど絶対捕まえることはできなかったね。」「男の子も女の子もなかったね。家の庭先には友達が集まってきて、べえごもをしたり、こま回しをしたり、羽根突きをしたりして遊んだね。」

相手「ある冬の寒い朝、学校へ行く途中池があって、氷が張ってだんだ。その氷の上に載って遊んでいたら落ちてしまってね。びっしょりになったのであわてて家に帰ったらおばあちゃんがいて、わらに火をつけて庭を一回り追い回されたよ。何かのおまじないとは聞いていたけど、何のおまじないかは忘れたけどね。」

「君の子供時代は豊だったんだね。」

相手「とんでもない。みんな貧乏だったよ。三世代の大家族だったからね。」

「違う違う。食い物の話じゃない。家族に囲まれ、友達に囲まれ自然度が高いところで子供が素直に育って、心豊に育っている感じだなぁー。都会育ちの僕にはうらやましいよ」

 そのとき団地内の拡声器から市の放送で「良い子の皆さん、もうすぐ4時15分です。おうちに帰りましょう」との大音響が聞こえてきた。

「僕の子ども時代は5時ころはまだ遊びほろけていたよ。親がご飯だよとよびに来るまで遊んでいたものだ。子供はもう外にはいないよ。防犯パトロールで毎月1~2回団地内を回っているがほとんど子供が遊んでいるところに出会わない。道路は危ないから遊ぶなといわれ、一二の幼稚公園からは小中学生はしめだされ。下校時は一直線に家までかえる。

「私たちの時代60年前)は自然の中で仲間と遊んだ最後の世代?。」

「息子が子供の時と今の孫はどうだろうね」

相手「子供たちが小学校のころはまだ塾もなく、よく遊んでいたよ。学校から帰ると友達が”遊ぼう”といってきてたしね。夏は早く起きてクワガタとりに行ったしね。孫たちはどうだろう。宿題がないときは学校で遊びの約束をしたりして帰ってくるけど、結構毎日宿題があるみたいだしね。この間まごのうちに行ったときは冬は日が短いからあまり遊べないみたいだった。4時くらいまで学校でクラブ活動もあるみたいだしね。日曜日は地域のサッカークラブ。でも息子がいるところは田舎だからあまり塾にいっている子もいないみたいだし、まだいいほうね」

「子供たちにはゆとりがないんだね、」

相手「どうしてそうなったのかしらね?」

「ともに遊び、ともに学ぶような学校ではなく選別 仕分けのためのテスト付け教育が原因だろうね。背後に勝ち組負け組み競争を進めるに競争社会がある。一人一人の個性を生かす教育でなく画一教育の成果を偏差値で輪切りにする。結果学校の格差が生まれ小学時代子供同士もその親同士も仲良しだったのに絵にいえぬ反目が始まる。この地域でやりきれない親同士の関係もきこえるね。」

相手「そうとばかりいえないけど、わかる。わかる。それに家の中での電子ゲーム。ひとりぽっちの遊び方。嫁は一日30分以内と子供に守らせている。孫たちも守っているそうよ」

「子供までが 消費者になってしまった。そういう環境におかれてしまった。それも原因だろうね。インターネットから孫引きできても自分の言葉でレポートできない。発言もできない。 大学に六年間お世話になった時の実感だなー。少年の時からの習慣になってしまった」

「でもね。悲観ばかりじゃない。子供も青年も体験のよい機会に恵まれさえすれば 堰を切ったように成長する特徴があるからね。だから子供も青年も希望だし未来といえる。この間ね、小学校二年の時から高校まで不登校で今大学で福祉を学んでいる青年の話を聞く機会があった。我が意を得た。だから古希を迎えた私たちも 「 今の子供は」ーーなんていうのだめだね、次の世代は私たちの世代の生き方をみている。なーんちゃってかっこいいことをいって。でも本心だよね」

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今日15日は  私にとって5×3(ご×み=15)つまりゴミ拾いの日だった。

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今日15日は  私にとって5×3(ご×み=15)つまりゴミ拾いの日だった。

毎月欠かさず15日には集まる。四街道をきれいにする会と呼ぶ。今回で74回目。

6年以上よくつづいたものだ。参加者のべ1800人を越え 駅前 住宅地  畑地 里山 林の中 高速道路沿い 学校周り 下志津病院など各地でひたすらゴミを拾ってきた。

なぜ続くの?。楽しいから?

ふーん?どうしてだろうなー。まずは今日の写真を見てください。

寒い朝9時からはじまった。

S20091215_025_2

S20091215_024 

  ポイ捨て者にお願い  捨て下さるなら拾い安いように捨ててくださいよ。坂下は捨てると拾うとき腰にわるいから。

さて今日はこの近くの企業から4人。市内の私立高校から6人のボランテアグループの女子生徒が

顧問の先生と参加。初々しい感想に爺さんボランチアたちが芽を細めていた。

S20091215_034 企業からはブラジルから働きに来ている青年がいた

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集まったゴミは大人が仕分け。

缶、プラスチック  ガラス

危険ゴミ などと分ける。

S20091215_027

その後に一コトかんそうをのべあった。

高校生の感想はこうだった。

『初めて参加しました。普段気にも留めなかったところにゴミが捨てられていた。

私も友達もポイ捨てしちゃっていた。 これからは自分もしないし友達がすれば注意するようにしたい」

「初めて参加。ゴミがいっぱいあって残念です。これからも参加します」

「四街道のために少し役立ってよかった」

この近くの住民参加者

『ここは貴方が暮らす町です。四街道のためでなく  私たちの町だからこそみんなでやってきれいなすみよい町にしたいんだよ」  先生『今日はたまたまテスト休みだったのでこれた。

駅からここに来る道すがらにも、住宅団地の中にもいっぱいおちていた。普段に拾うことも大事」

さてなぜゴミ拾いが6年つづいたのか.「継続は力」ジワジハ市民の中にひろがるからかなー。

          続く

S20091215_031         

私たち市民の力で四街道から放置ゴミと不法な産廃を一掃しましょう

出来る人から,出来る事をやっていきます。

一私はゴミを捨てません。

一家の周り、仕事場の回りのゴミもきづいたら拾います。

一ゴミゼロマーチ(当面毎月15日)に出ます。(年1回でも)

一不法な産廃に反対し撤去をもとめます

周りの方にも知らせます 

右のどれか一つに賛同し関わります。

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鮭の遡上

栗山川 九十九里浜にそそぐ小さな川

川口堰で捕獲され 人工的に孵化して生まれそだって放流された

どこまで行ったのか4年間もかけて太平洋を回遊してやっとたどり着いた鮭たちがいる。

二〇〇五年秋川口堰に魚道が出来たことで長らく途絶えていた遡上が始まった。

ここは栗山川 

鮭の祖先たちが有史以前からたどった川 

山田町の谷津田湧水のわき出る砂地浅瀬につながる川

原郷にたどり着く前に 堰で阻まれて コンクリートのうえで産卵させる川でもある

彼らにとって一生で許されるたった1回だけの結婚だというのに

おびただしい卵がコンクリートの上を漂い  黄色にうずまいて底に固まり

 そばには無念を秘めて死んだ鮭たち なんたる無惨 

永続するはずの死の生への転換はこのようにして断ち切られた

人はいったいいつから自然の回帰転換の機会を奪ったのだろうか

生きとし生きるもの皆循環のリズムの中にあるというのに

自然の回帰のリズム 自然と人間の関係プロセスを見失って久しい効率一辺倒の工業国

そのツケの大きさにきずかずに ,なすべき事をしないまま生きて71年

この先にはあるのはただ  茫洋と広がる世界 

ここは栗山川  冬

清冽からほど遠いくすんだ水の中を  源郷をめざし必死に遡上する鮭たち

なんというすばらしい  命の営み  無欲な姿  エネルギーだろうか

古来 死の生への転換は このように行われてきたのだろうか

昔は自然な循環のリズムの中で

今は満身創痍の中で

断ち切られんとする死の生への転換 満身創痍からの転換は?

蘇生の方法は?

メダカの会やむくろじ  自然同好会の活動の中に

身近な自然を大切にということ

その中で心に刻印されたこと  その中に解がある

素朴な学生のセンスオブワンダーの中に

解がある、

 

感動を取り戻すこと 

感性を呼び戻すこと

つながりあうこと 怒ること

命の中にビルドインされた人間の価値を信じること

「鮭 =自然」を追いつめた近代社会、市場原理の中で

自然と人間を切り刻ざむグローバリズムからの脱却にギヤチェンジすること

鮭が安心して遡上出来るように現地に

手をさしのべ 時に問題提起してきたメダカの会

産廃から水源地を守るために現地を訪ねたメダカの会

水辺に心を配ってきたメンバー

その思いは水脈のように地下でつながり始めている

鮭を育てる水源地のそばに産廃敷設を許してはならない

という強い思いでつながり始めている

この戦いが成功しないわけはない

許せば千葉県は文字どうり恥葉県の道を歩むことになる

鮭の身になって心を合わせたい

    注恥葉県  全メダカの会  会長命名

高橋晴雄

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鮭の遡上

栗山川 九十九里浜にそそぐ小さな川

川口堰で捕獲され 人工的に孵化して生まれそだって放流された

どこまで行ったのか4年間もかけて太平洋を回遊してやっとたどり着いた鮭たちがいる。

二〇〇五年秋川口堰に魚道が出来たことで長らく途絶えていた遡上が始まった。

ここは栗山川 

鮭の祖先たちが有史以前からたどった川 

山田町の谷津田湧水のわき出る砂地浅瀬につながる川

原郷にたどり着く前に 堰で阻まれて コンクリートのうえで産卵させる川でもある

彼らにとって一生で許されるたった1回だけの結婚だというのに

おびただしい卵がコンクリートの上を漂い  黄色にうずまいて底に固まり

 そばには無念を秘めて死んだ鮭たち なんたる無惨 

永続するはずの死の生への転換はこのようにして断ち切られた

人はいったいいつから自然の回帰転換の機会を奪ったのだろうか

生きとし生きるもの皆循環のリズムの中にあるというのに

自然の回帰のリズム 自然と人間の関係プロセスを見失って久しい効率一辺倒の工業国

そのツケの大きさにきずかずに ,なすべき事をしないまま生きて71年

この先にはあるのはただ  茫洋と広がる世界 

ここは栗山川  冬

清冽からほど遠いくすんだ水の中を  源郷をめざし必死に遡上する鮭たち

なんというすばらしい  命の営み  無欲な姿  エネルギーだろうか

古来 死の生への転換は このように行われてきたのだろうか

昔は自然な循環のリズムの中で

今は満身創痍の中で

断ち切られんとする死の生への転換 満身創痍からの転換は?

蘇生の方法は?

メダカの会やむくろじ  自然同好会の活動の中に

身近な自然を大切にということ

その中で心に刻印されたこと  その中に解がある

素朴な学生のセンスオブワンダーの中に

解がある、

 

感動を取り戻すこと 

感性を呼び戻すこと

つながりあうこと 怒ること

命の中にビルドインされた人間の価値を信じること

「鮭 =自然」を追いつめた近代社会、市場原理の中で

自然と人間を切り刻ざむグローバリズムからの脱却にギヤチェンジすること

鮭が安心して遡上出来るように現地に

手をさしのべ 時に問題提起してきたメダカの会

産廃から水源地を守るために現地を訪ねたメダカの会

水辺に心を配ってきたメンバー

その思いは水脈のように地下でつながり始めている

鮭を育てる水源地のそばに産廃敷設を許してはならない

という強い思いでつながり始めている

この戦いが成功しないわけはない

許せば千葉県は文字どうり恥葉県の道を歩むことになる

鮭の身になって心を合わせたい

    注恥葉県  全メダカの会  会長命名

高橋晴雄

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千葉の春の田園光景に劣らず  師走の千葉もいいよ。

20091127_056_2 20091127_063_2 20091127_066 20091127_059_2 ゆっくり時間が流れる日々は  年寄りにふさわしいのだが

はたらく人にこそ

子育ての人にこそ

せめて忙中閑を

走ってきた人々の日々

貴方も僕も

20091127_078_2

20091127_075_2  20091127_077_220091127_076_2 20091127_121

11月に咲いた我が家の水仙

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古代菊  佐倉の古代植物苑

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和菓子にもこんなのあったなー。鎌倉、江戸からの贈り物 古代菊

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