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2009年10月

秋の空   秋の花

おおーい  蜘蛛さん  雲さん  私を見て  みえるかーい

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歌の玉手箱  の威力  心のうた  の威力

デーケアにて 

たまたま立ち寄ったデーケアのソファーに二人の

かなり歳を召された利用者さんがくつろいでおられた。

テーブル机の上にはどこかで見たことがある「歌の玉手箱」という宮本昌子

さん編の500曲以上収録されたと思われる歌集がおかれていた。

お二人と親しくなりたくて私は歌集をぺらっとめくって

「母さんが夜なべをして~~♪」

と歌い始めると 彼女は歌詞を見ないで最後までうたうではないか。

今度はランダムに彼女にページをめくってもらって私が歌詞を見ながら

『白い花がさいたよ~~♪』と口ずさむと

最後の一節『あの白いはなだよ』と歌集を見ないで歌ってしまう。

今度は意地悪く少し覚えるのが難しそうな

「ああ玉杯に花受けて~~♪」

と学生歌をきりだすとややおぼろげながらも「~~~♪意気高し」ときた。

これでは収録された500曲もほとんど覚えているかもしれない。すごい。

わたしはどうだろうか。メロディーにはついていけても歌詞は出てこない。

ある老人施設で 頭をたれて一言も発しない90歳をこえたと思われる方が童謡の歌が出ると

頭を上げどんどん歌い始めてそばにいた私はびっくりしたことがあった。以来歌は健康に

養生にもいいと思ってきたが、目の前でつぎ次見せ付けられるとある感慨が浮かんでくる。

彼女たちの人生行路 ――子育てや子守や友達――は唄と共にあったのではないか。

何百回、何千回もうたったに違いない。子供のとき覚え 子育てのとき歌って聞かせ、

時を経て年取ってから口をついて出てくる。時を経ても体と心に刻みついている。

子供の彼女と老人の彼女は丸い環で結びついている。

そういえば明治の女学生だった私の母親も『7里が浜の磯伝いー♪ー』のメロデーを

私が幼いころ歌っていた。今浮かんできた。彼女の人生の円循環はたしかに私の円循環と交わっている。

こんなとき歳をとるのもそう悪いものではなさそうだと思えてくるから不思議。

「歌の玉手箱」という宮本昌子さん編の本を買ってみようと思う。本には宮本さんは音楽療法士とかいてあった。

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被爆アオギリ2世  の植樹

たくましいアオギリ

昨年の11月27日 市庁舎敷地に「アオギリ」が小学校の子供たちと市長の手で植樹されました。Photo

当時30センチに満たなかったか細いアオギリの苗木は この春には大きな葉っぱをつけて育ち始め、ハラハラしていた私たちを喜ばせ市の広報誌をかざることになりました。

いわれはこうです

昨12月21日は四街道市が核兵器廃絶平和都市宣言を発して25周年目でした。これを記念する集いが 市内83団体が後援団体になり四街道市と市民の共催で文化センターに1281人が参集して行われました。これには市内の市民文化関係者や小、中学校の協力を得、又四街道に疎開されていた女優市原悦子さんらの出演も頂き参加者の大きな感動を呼びました。

さてなぜアオギリなのか?

実はこの集いにメッセージを寄せた広島の市長がアオギリに託して「ヒロシマの心」を全国と世界に伝えていました。集い実行委員会と市は『被爆者の心』を受け継ぐ証として被爆アオギリ2を植樹しました。

メッセージ         広島市長  秋葉 忠利

 1945年8月6日、爆心地から北東へ約1,3km、広島市中区東白鳥町の旧広島逓信局の中庭で被爆したアオギリは、爆心地側の約半分が熱戦と爆風により焼けえぐられましたが、樹皮が傷跡を包むようにして成長を続け、焦土の中で青々と芽を吹きました。

 その後、被爆アオギリは1973年に平和記念公園に移植されましたが、“平和を愛する心”、”命あるものを大切にする心“を後世に継承するためこのアオギリが実らせた種を発芽させて育て、生長した苗木を『被爆アオギリ二世』として配布しております。

 皆さんの手で大きく育て、平和の尊さを伝えていってください。

その後のヒロシマの心(いのちの大切さ)を後世につたえる取り組み

 2つの小学校に被爆2世アオギリが植樹されました

 移植アオギリの由来記を示す看板作成中です。

 アオギリの由来を示す看板がNPO法人Kの好意でほぼ出来上がりつつあります。そんじょそこらの看板とはわけがちがいます。まるで宮大工さんが作ったようです。―――切り抜いたヒノキ、工法は「~~」、釘なし 銅版の屋根つき云々―――理事長のKさんらの説明は熱がこもっていました。加えてここには市長揮毫の標識がTさんの木の彫刻で作成中です。

 きっとわがまちの名所のひとつになるのではないか

ところでアオギリの木ってどんな木なんだろうか

 私は公園の並木、街路樹、庭木などなど いろんなところで見ているのでさして気にも留めませんでした。

調べると樹皮は緑色、葉は大きく3~5裂・雌雄異花(雄しべか雌しべの一方だけをもつ花) ・落葉高木であり15mほどになる・という。なるほど冒頭写真を見ると1葉の葉には4つの切れ目があり桐の葉のようにハート型ではありません。庭木や街路樹などに古来使われたことを見ると昔から『強い木』であり由緒ぶかい樹木のようです。

私はヒロシマで爆心地側の幹半分が熱戦と爆風で焼けえぐられ街が廃墟になっていた翌年の春に芽吹き たくましく育っていく青桐に 当時絶望の中にあった被爆者に生きる希望を与えたのをしってアオギリのすごさに驚きました。中国ではアオギリは鳳凰のすむところであり幸運の樹だといいます。本には木言葉は「力ずよさ」と『一致協力』と出ていました

私たちのまちでは 市長 市議会議員 多くの市民賛同者とともに 国連事務総長の『四街道市民への返書』にこたえて来年5月の核兵器軍縮国連会議に向け『署名運動』をしています。

その呼びかけ文にはこう記されています。「~私たちが生きてゆくうえで――きれいな空気、きれいな水、安全な食料、ともに生きる仲間、未来への希望―は欠かせません。~、核兵器はこれら全てを破壊する、反人間的なものです。人類の未来を奪い去る「核兵器」を無くす為の署名活動を、立場、思想、信条を超えて市民のひとり、また市内の企業、団体の皆さん、是非ご一緒に展開してまいりましょう」と。

私も命を大切にするため環境、福祉、子供などにかかわる仲間と共に、アオギリ市民の一人でありたいと願っています。       

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枯れ葉ジジーの想定おしゃべり 孫との対話 

枯れ葉ジジーの想定おしゃべり 

 孫とジーの対話 時8年後の2018年の秋

         場所我が家  焼き芋を食べながら

「 孫」 うまそうにたべるねー、年とるほどにイキイキしてみえるよ

「ジジー」うれしいね、そうみえるかい。何を食べてもうまいんだ。こいつは特にうまい。ところで80-20って知ってるかい?

「 孫」  僕が二十歳で ジーチャンんが八十才。

「ジジー」 あっそうか それも言える、でも違う違う。歯の事だ。

「ジジー」 10年前になるかな、近くの歯医者から80歳時にしっかり歯20本を目指せといわれたんだ。

「 孫」  僕は歯をちゃんと磨いてるから達成確実だ。

「ジジー」 馬鹿いえ磨くだけで80までいきれるか。君は野菜を食べてるか、ちゃんと食ってねーだろうが。かむ力は野菜とするめなんだ。するめは値が高いからだめか。でもかめばかむほど味が出る。これが実に歯にいい。顎と脳も刺激してくれる。本読むのと同じだ。これには目が大事だがね。

「 孫」  ジーチャンえらそうなこといっても僕知ってるよ。野菜をちゃんと食べ始めたのは70歳近くなってからだとおばあちゃんから聞いたよ.それにいつも暗いところで本は読むしーーー

「ジジー」 あまりバーさんから聞くな。俺に対する尊敬の気持ちが薄くなる。それこそ君の損だぞヘヘ。とにかく何でもきづいた時が始まりだ。今からでもおそくはないし まだ間に合う。

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「 孫」  よく言うよ。周りの畑も田んぼも荒れ放題にしておいたのは誰なんだ。新鮮な野菜をいつも食べてるなんてよく言うよ。みんな外国産ばかりじゃないか。ガソリン使って運んでさガス出してさ、とどのつまり温暖化 天変地変の連続じゃないか。おまけに国内の産業つぶして 僕たちの仕事はどうなるのか不安だらけ。若者の失業はひどいよ。ジーチャンがいう原爆だってなくなっていないじゃないか。

「ジジー」うーん。まあーーまあーよい。そのとおりだ 。でも農家も被害者なのだ。

君は 俺の若いころによくにてきたなー。社会への舌鋒はすばらしい。でも自分がどんな信念を持って生きるかは自分の問題だよ。どんなに厳しくても仲間がいれば元気はもらえる。一人ぼっちになるなよ。仲間を一人ぼっちにするなよ。

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  15年前と今 私の家の周囲

     見てきたベトナムの子も カンボジヤの子も元気だったなー。なぜって彼らには仲間がいるからだ。日本でも敗戦後のひもじい時代は親兄弟近所の人ともよく助け合ったものだ。楽しかったね。阪神淡路地震のときも みんな励ましあっていたなー。

「孫」 うーん、少しはわかった。おじいちゃんのいうとおりかもね。でもどうしてこんなミーイズム社会になったのか。「私は私のために、みんなは私のために」。夢も希望ももてない連帯崩壊社会になったのか.おじいちゃんたちがそうなった原因や事実を僕らにしめしてほしいんだ。すべて鵜呑みにするわけにはいかないが、それを土壌に太陽にむかって考え考え歩きたい。なんちゃって。僕意外にいいこというでしょう。

「ジジー」年寄りのことを鵜呑みにすると間違うぞ。僕の父親の世代はお上{政府}の言うことに従順に従った結果戦争を阻止できなかったばかりか外国に出張っていってたくさん人を殺した。僕の世代は「おかね」の価値だけが一人歩きを始め、お金を持つことが、あたかも社会と人生の最大の価値であるかのような虚構の社会を作ってしまった。その結果3万人の自殺者が10年以上つづくなど人間自身が飲み込まれ、温もりのない社会になってしまった。いじめ、倒産、犯罪、失業、派遣きり、異常気象、農業衰退 競争社会はその結果といえる。

 実はね、お年よりも不安だらけなんだよ

「孫」  ヘーどんな風に。死が恐いから?

「ジジー」 その話は時間がないのであとにしよう。ともかくじいちゃんたちは不安を本当は若い人に見せたくないんだよ。でも事実なんだ。暮らしもぎりぎりだし。

「孫」  年とるのが不安なら後に続く若い僕らも安心して生きられないよ。まだ実感はないけど。一生懸命働いた後の老後が不安なら働く気も削がれるし安心してはたらくことだって出来なくなる。

「ジジー」よく気づいたな。誰でも老後はいずれいく道だものな。僕ら年寄りだって 次の世代が青息吐息で暮らさなくてならないと思って死ぬなんていやだね。だから 若い人も お年よりも 男の人も女の人も  障害のある人も、ない人も

     ともに認め合って 世代や垣根をこえ連携して分かち合いの社会を作る以外にないと思うんだ。これが働く意味が奪われた日本社会の唯一の処方箋、活路だ。

「孫」  おじいちゃんが言っていた、「今さえければ 内さえよければ」の風潮を日本はこえていけるだろうか。

「ジジー」 君さえその気ならできるよ。気の遠くなるような長い時間はかかるだろうね・

      でもそこに基軸を置けば地道な人たちの共創が根気よく始まると思うよ。そのほうが楽しいから。君たちに期待できるかな

「孫」  ハイ。僕たちもおじいちゃんに期待できるかなって言いたい。だってさ、さっき「気づいたときがスタート」といったばかりじゃないか。まだ間に合うと。年取ったからといって逃げてはいけないよ

「ジジー」  まいった。まいった。ぎゃふんS_041

      ―――この対話は80まで生きての話―――

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オバマ大統領のノーベル賞受賞にちなんで

死んだ女の子

           ナジム・ヒクメット

とびらをたたくのはあたし

あなたのむねにひびくでしょう

小さな声がきこえるでしょう

あたしの姿はみえないの

十年前の夏の朝

あたしはヒロシマで死んだ

そのまま六つの女の子

いつまでたっても六つなの

あたしの髪に火がついて

目と手がやけてしまったの

あたしは冷たい灰になり

風でとおくへとびちった

あたしは何にもいらないの

誰にもだいてもらえないの

紙切れのようにもえた子は

おいしいお菓子も食べられぬ

とびらをたたくのはあたし

みんなが笑って暮らせるように

おいしいお菓子を食べられるように

署名をどうぞしてください

私は学生時ノーベル文学賞受賞者ナジムヒクメットのこの詩に接しました。爾来生きる意味

いのちの大切さを体のどこかに。折に触れてかすめていく。

狂人のように

わが子の首のないのも知らず

狂人のようになって逃げる

母親

死んだ子供を

どこで焼こうかしら

眼球の飛び出した重症の将校が

突然起き上がって

軍刀を抜き

『突撃』と叫んで走った

そのまま崖下に落ちて

命を絶った

    被爆者団体競技化井のパンフから。

    原爆はいのちだけでなく人間性のすべてを奪う。

水爆はもう使わないで

先生

お父ちゃんを助けてください

あのじっけんさえなかったら

こんなことにならなかったのに

こんなおそろしいすいばくは

もう使わないことにきめてください

    小学三年 久保山みや子

原水爆の被害者は

私を最後にしてほしい

久保山愛吉

千九百五十四年三月一日、南太平洋で行われた

アメリカの水爆実験で、多くの日本漁船が死の

灰をかぶりました。

第五福竜丸の漁船長、久保山さんは放射線によ

る病気で亡くなりました。

これがきっかけで、原水爆禁止運動が大きく燃

え上がりました。

核兵器にはもはや勝者も敗者もない。武力では何も解決しない。

オバマ大統領の受賞の真の意味は 待ったなしの 核兵器廃絶、

地球温暖化対策、さらにアフガン  イラク、中東での軍事行動中止など緊要な

行動によって  世界に平和の曙光を作ることにある。世界の子供たちが飢えと

戦争におびえなくていいように私たち市民も行動する道義的責任があるのではないか。

生まれて初めて核兵器廃絶のためにないかをしたいという老婆の話を聞いた。

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核兵器のない世界へ  私も署名を集めはじめました

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核兵器廃絶へ絶好のチャンス

今年4月オバマ大統領は、「核兵器廃絶の共同行動」を全世界に呼びかけました。「核兵器を使った唯一の核保有国として行動すべき道義的責任がある」と。「ヒロシマ」「ナガサキ」を体験した日本の私たちは核兵器廃絶を訴える道義的責任があります。私はこの間少しばかり被爆者支援にかかわってみて「廃絶への道を歩むか、さもなければヒロシマ・ナガサキの惨禍が繰り返されるのを待つのか」の岐路に立っていると改めて思いました。70歳をこえたこともあり、子供たちの未来と平和のため明日では遅すぎると思いました。未来世代が平和に生きる喜びを持つことの出来るように四街道の仲間と語らって市民の過半数の署名を国連へ集中する取り組みを始めました。私たちは

オバマアメリカ大統領、潘基文国連事務総長に「呼びかけを心から歓迎し四街道市民は草の根レベルで行動し全面的にこたえる」旨の手紙を出しました。これに対し国連から78四街道市民へうれしい励ましの返書が届きました。

「~国連が核軍縮をすすめるにあたって四街道のみなさんのような草の根のメンバーは必要不可欠なパートナーです~」来る5月の核軍縮の国連会議に向けて一人一人とすべての団体が出来ることは 「署名」です。願いを署名に託しませんか。あなたのつながり力を生かして。締め切りは2月末です。既におやりの方もおられると思います。その際はご容赦ください

                 

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“ようこそ”と待っていてくれた「四街道」

“ようこそ”と待っていてくれた「四街道」 

       (6年前同好会の冊子に載せてもらった文章の1部 )

四街道の散策Pb060031

仕事をやめてからというもの、私はよく散歩をするようになりました。今朝も小雨降る中傘さして。見事なバラ、芍薬をはじめ道に沿った庭先の花々のなんと美しいことか。道端にそっと咲く野の花々も私を迎えてくれます。気持ちの余裕からかいろいろ連想して歩きます。ここを終の棲家にするからには、この身近な四街道で一番の小鳥の囀りや、いい香り、心地よい風、きれいな夕暮れ、星空、そして親しみのもてる景観はどこだろうと探索してみたい気持ちになります。人々のぬくもりの輪もいいし、困ったときは・・・も考えます。

自然観察会

 先日寺崎の観察会に加わりました。身にしみるものがありました。道々駄洒落を飛ばしながら、身振り手振りしてとっておきの景観を見せたり、語ってくれる方々、移ろいゆく草花や樹々の様子を話してくれる方々、私には読めない碑文を解説してくれる方、由緒ある地名や川について語る方々等々、楽しく9キロを歩きました。こうした方々と出会い、とても初めてとは思えない仲間のように思えてきました。私から見れば「すでに始めておられた先輩たち」が新米の私を「どうぞどうぞ」と心地よく迎え入れてくれたことになります。事務局のOさんがその日のためにあらかじめ下見を丁寧にしていたことも知りました。さかのぼればIさんら十五年も前から、苦労の積み重ねがあったからこそ今回のような寺崎自然観察会があり、おかげで途中乗車の私も楽しませてもらったわけです。同様なことが社会福祉や自治会などにかかわってこられた方々にもいえるのではないか。ありがたいとおもいます。

谷津田がすばらしい しかしSdscf0127

  こんなこともありました。私は成山(谷津田がすばらしい)を散歩中に、Tさんをはじめ里山を守る会の人たちに出会いました。この方々はこの地域には縄文の時代からの遺跡や自然があり、文化があり、谷津田や貴重な植物があり、見事な景観が埋め込まれていることを教えてくれました。この方々が利を争って乱暴に開発しようとしていることに待ったをかけたのです。

このすばらしい四街道はいつまで続くのか心配にも成ります。産廃の山が人目をはばかることもなく堂々と出現するようになりました。このまま続けば「人の心」もすさんでいくのではないか。長いものに巻かれて流されていく先に四街道の先はないように思えてなりません。

もってこい

 でも、この四街道には身近な自然を愛し、子供たちの先々を案じ、そして「今生きてあることをいとおしむ」かのように大人たちが小学生ともつながり、あるいは郷土の森や大塚の森で、そして生協やメダカの会、大地の会などでつながりをつくっているのを知りました。そうした方々のおかげで、わが身をおく四街道がとても大切なところだと思えるようになりました。四街道はもってこいの場です。

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