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2009年6月

写真の順番間違え  訂正

ハマユウは     ハマユウ   ハマユウ    ハマユウ     ハマユウ 

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クジャクサボテン

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ハマユウ咲き始める  アオギリたくましく葉をつけた

まずご覧あれ。17日のやはんの玄関脇

   今か今かとまっていた由緒ある   ハマユウが   庭先の闇の中に咲  いていた。  S_033_2    玄関先に戻るとクジャクサボテンも    咲き出していた   。 おーい咲いたぞー  とドアー  を開けて  叫ぶと「ウソー  」と飛び出してきた  。   手術後 かすんでいた目が見えだし 弾んだこえ。   

ハマユウは 2年前  ルポ作家の Nさんから株分けしてもらったものだ。どんないわれだって?

「比治山に原爆後あった株を兵士が郷里に持ち帰って育て見事に育った。生命のたくましさに打たれて生きる希望をくれたんだね」

さて今度はどこの誰にかぶわけしようか。市役所の原爆アオギリのところかな。それともヒバクシャ友愛会員のところかな。

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右はやっと咲いたクジャクサボテン。あまりにも見事なので

おすそわけ。我が家のクジャクサボテンが枯れてだめになり  我が家から持って行った知人のところで咲き誇りそのかたわれが我が家にまいもどり。知人の家でもさきみだれているのだろうか。

以下はアオギリ2世苗木  さくねん11月27日ちょくじゅ

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平家琵琶 とベートーベン

平家琵琶とベートーベン

高校時の音楽の先生は館山というニコニコ顔の年配者だった。

ふだん僕らは「たぬき」の愛称で呼んでいた。もちろん腹黒い「狸」でなく体つきや雰囲気がどうも童謡「証じょ寺」の善良な狸の風情からついたものかもしれないが確か由来は知らない。

狸公は時に楽器のバイオリンや琵琶を膝の上に置いて「女の子のように可愛いね」とかいって奏でたり、時にピアノをひいて日本各地の民謡を北から南まで一緒に歌ったり、校内図書館に連れて行って「ベートーベンのシンフォニー全曲のレコード」(当時の僕にはこれは退屈だった)を聞かせたり、中学校までの律儀な音楽の授業とはまるでちがったものだった。

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さてそれから55年を経た。たまたま四街道図書館に落語のカセットをかりにいったとき「平家琵琶」のカセットが目にとまった。確か狸公は平家琵琶の引き語りの無形文化財だった筈だ。手に取ってみた。まさしく館山甲午先生だ。聞いてみた。当時なじめない引き語りだったが懐かしい声色。金田一春彦の解説には昭和10年代から戦後日本でただ一人200曲全部を詠じることが出来た人だと記している。800年つづく歴史文芸継承者として偉い人だったのだ。

それとはしらずに過ごした高校時代教わったことを考えてみた。音楽って音を楽しむことだ。先生が感受性ゆたか時の高校生に古今東西、縦横無尽に音楽への接し方を示してくれた。いまクラシックシンフォニーが好きなのもこのためだったのか。いまも存命で先生だったらロックも授業に引き込んだに違いない。

さてそも「平家琵琶とベートーベン」はどこでつながるのか。聞いてみたい気がする。

「祇園精舎の鐘の音がーーーー」の響き 、小泉八雲の「耳なしほう一」の語り等なじみのところからひもといていけば何か感じるところが浮かぶかもしれない。解説によれば

日本語の美しさ、平家の人々の優しさ、家族を大事にする気持ち、人の痛みを我が事のように感じ涙する、たとえ敵でも敬意を払い称賛すること。」が魅力で平曲を好きになったという。館山先生も「この魅力」に惹かれて二百曲全部語れる第一人者になったのではなかろうか。並々ならぬ「魂の希求」なくして全曲の次の世代への継承の大事業は果たせなかったに違いない。べートーベンの惹かれたのここれだったのだろうか。それにしても何故仙台で?我が母校で?

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