« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月

ヒバクシャ   ヒバクシャ   ヒバクシャ

26日厚労省前の座りこみの被爆者の声  耳を傾けた。 聞き間違いもあるかもしれません。私の責任です。

時5月26日   場所  厚労省前

     7歳と時広島で被曝された方  女性

原爆のつらさを体験してきて昨日の北朝鮮の核実験に怒りを持ちます。苦しみが体の中に閉じこもっていてにげないのです。この苦しみを持って最後まで戦います。即死した兄、一緒に爆風にとばされた友達 なくなった父母のことを考えると(原爆症を)認めてもらうまではどんなにからだがきつくてもがんばらなくてはなりません

       熊本からの上京した被爆者  女性

    地裁で良い判決がでたのに、厚労省は甲状腺疾患は認めなかった。私は7歳の時キノコ雲の下にいたのです。地獄でしたがこうして生きているのは、皆さんがいて2度と私のような被爆者を作らせないとがんばっているからです。(厚労省に向かって)  認めてください。救済してください。

      「原爆と人間展」を開いてくださった千葉友愛会のかた。男性

このように座り込みまでしなければならないこの国の不幸を憂います。

63年前  大好きだった先生や友達を失い、母を 次いで大学の時父を失いました。私にエネルギーを与えているのは再びあのような事態を作ってはならないということです。

遺伝子の破損は終わりがありません。私の心臓は15%壊死状態でこの心臓にスラット2本が入っています。私はクリスチャンですが召されて母に会ったとき原爆はもうなくなったよといえるように息のつずく限りたたいます

○岡山  2歳の時被曝   広島爆心地から4キロ 女性

  裁判で国側は 私にばかげな質問をします。「2歳の時の状態はどうでしたか」 などと赤ん坊の時の状態を尋問するのです。13回目の裁判でした 。もういい加減に被爆者いじめはやめてください。不安な状態で生きています。私の願いは核兵器が使われないこと、これが1番です。

各地の弁護士の挨拶で心に残っていること

       近畿の弁護士さん

被爆者にとって裁判をすることがどんなに大変なことか(国側は)殆ど理解していない。被爆者の怒りは2つ。一つは人生を奪って行ったことに対するり。もう一つは厚労省に対する怒りです。権力を持って被爆者救済を遮断することに対しての怒りです。健康を守るべき厚労省が救済しない。そんな厚労省はいらない。

○近畿弁護団のかた

  無数のガラス破片が体に突き刺さった被爆者。(投下後の)入市被爆者で心筋梗塞にかかった被爆者。肝機能障害の被爆者の原爆症認定を拒んできた国の認定を誤りとした明白な地裁判決 高裁判決があるにもかかわらず厚労省は認定確認を1年も2年ものばしている。被爆者は何度も裏切られてきた。被爆者にはもう時間がないのだ。早く出せというさいばんをおこしている。いかなる判決があろうとも  被爆者は正しいということを腹に据えて臨んでいる

○近畿 の 弁護士さん

被爆者は世界から残虐な核兵器をなくすために自分の体を顧みず立ち上がっている。

2つの立場がある。核兵器を使わせない立場に立つのか。それとも核を脅しを使おうとするのか。アメリカの核の傘のもと原爆症を軽くみてきた政府は後者の立場に立っている。北朝鮮の核の脅しとおなじことになる。他人事でなく人類の声として叫ばなければならない

○東京弁護団  弁護士さん

  63年間世界は 核兵器を作り続けてきた。しかし何度かの核兵器使用の危機があったがつかわせなかった。それは被爆者の犠牲と戦いによっている。その被爆者も少なくなった。つらい日々を送り、語りたくない体験を語り、差別されてきた。世界にこの事実を知る人は少ない。日本すらそうなりつつある。また先制攻撃論も政府内に登場している

被爆者は 核兵器は1発もあってはならないと言える生き証人。被爆者が生きている間に確実に核兵器をなくすのか 少なくても 見通せるようにするのか、約束出来るよにするのか、それとも、被爆者を見捨てる国にするのか。オバマは確かに被爆者を励ました。新しい世界の流れを作る戦いでもあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »