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2008年11月

介護の仕事 楽しい?

しばらく、1年ぶりだね。介護の仕事楽しい?」

A「利用者さんが一番。元気がもらえるから」

「例えば!

「笑わなかった利用者さんが始めて笑ったときなんかうれしいですよ」 、

何気なく僕が「ふるさと」を口ずさんだら近くの利用者さんが聞いていてうたい始め、だんだん広がって30人の利用者さん全部がうたったときなんか感動でした

 

 すぐスプーンを投げつける利用者さんがいてね、野球の好きなことを知ってボールをやったら今度は熱中し始めた、標的を作ってあげたら一層やってくれる

 魚を釣り上げるゲームのとき、やりたがらないので好きなお菓子に変えてみたら、お菓子をつって初めて笑ってくれた。いらい心を開いて笑う

 鳥の好きな方に鳥箱を作った。いまアイディアいっぱい施設内細工の大工しています。

「1日の仕事は?

「8時半から始まります。午前も午後もお風呂に入れてあげる仕事をしています、これが楽しいんです。笑って話せる。夕方は5:30までです。終えて自転車で25分のところの居酒屋で6:30から11:00まで働きます。2時ごろに寝ます。」

「そんなに毎日働いて大丈夫?   食ってる?」

「ずっと居酒屋でバイトしてきたので料理できます」

「休みは取れるの?

「月1回ぐらい・・・休んでいるときより働いているほうがすきなんです。人に会えて笑えるから・・」

「内定2社あったのに何故ヘルパーになったの?

「先生の授業を受けたとき就職に向けて本当にやりたいのは何かを考えたんです。それでヘルパーの資格を取りに通ったとき同じ様に資格を取りに来ていた人から誘われたんです。今の事務長です」

   彼は育つ過程で近所の方にせわになった。お返しのための仕事をしたいと

    大学の時の小レポートに記していた

あれからずっとヘルパーですか」

「認知症担当を経て今ショートスティーです」

「そんなに働いていくらもらっているの?20万ぐらい?」

「そんなにはならないですよ。でも先生がいったようにお金じゃないんです」

「でも足りないでしょう

A「居酒屋に行って6:30から11時まで毎日働いています。」

「毎日、それで何時に寝るの?」

「そう、2時ごろから7時まで」

「体壊すなよ?」 

「ところでお母さんは?・・・(彼が小学校2年の時同じく難民の父がA君を長男に4人の子どもを残して他界)・・・

「いま働いていません。。」

「親孝行をしなくちゃね。」 (と余計なことを言ってしまった

「兄弟4人でお金出し合って初めてに旅行に行ってもらった。ついたところから電話が来るの。アーだコーダ言って。お寺がすきなんです」

「いいことをしたなー。」

「幼いころぼくが寝てしまってから母がよく啜り泣きをしていたことをよくおぼえていますから」

そばで聞いていた連れ合いは感極まったように先に私に命じて買いおいたもので、もてなしに努めていました。目の加療中の連れ合いにと近隣の人が「なべをもってこい」ということで、芋煮をどっさりもらってきた。それを彼に食べさせたらおいしいとどんぶりいっぱい食べてくれた。

 確かに世の中は善意でつながっている。それを感じた一日だった。

クン 23才  両親は難民、4人の妹弟の長男として日本で生まれた。日本国籍はない。小学2年の時 父他界。貧しさ、いじめなど並でない辛酸をなめるが一切暗さがないのが不思議。1日10時間連日働き大学に入り私の授業に出ていた。自分のすきなことで就職を考えたとして2社の内定をけってヘルパーになった。

以上はわがやでの1時間半の会話。働くって何か。生きるって何かを考えさせるものがあった。  どんな厳しい中でも誇りもち 人とのふれあいがある限り ーーー それにしても介護労働への報酬は少ない。なんとかならないものかー国と社会の無策。

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