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2008年9月

子どもが遊ぶ  子どもが遊ぶ 子どもが遊ぶ  目を細める

S_043 子どもが遊ぶ   子どもが遊ぶ  子どもが遊ぶ       

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子どもが笑う  子どもが笑う   私も笑う

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子どもが元気   子どもが元気   大人も元気

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子どもが必要なようなおじさん,おばさん  大人が必要なこども

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子どもは私たちを豊かにする 未来  そして希望 ともいえる。でもねー未来は大丈夫だ、安心しろといえない時代。子ども優先でない社会をつくってきた。子ども優先こそ社会の継承。若者と話す。S_061_2 S_059

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いのち  と平和  私の平和観

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「平和」や「原爆」についてふれると、善良な近しいかたもあるいはお世話にっているかたも、親戚の人も「政治的ではないか」「偏っていないか」とといい平和にふれるのを避ける風潮があります。 

 私が幼い頃体験した仙台空襲の惨劇も、広島、長崎の63年前の原爆の残虐も今この時間に展開されるイラクやアフガニスタン、グルジヤの戦争も老若男女を区別して殺しているでしょうか、。思想 信条 イデオロギーの違いを区別したでしょうか。いったいこの子にどんな戦争責任があるでしょうか「社会や国家に対する思想、人生への信条、イデオロギーの違いを超えて人間を死滅に追いやる戦争、核兵器に一致して反対しなければなりません。なぜなら人間が死滅してしまっては、思想 信条 イデオロギーの違いをきそうことだってできなくなります。」(福武直)

私はこう考えます。

福祉に関わるかたも子どもに関わるかたも自然や環境、そして農業に関わるかたもみんな「命を守り育てること」で結びあっています。もし「自然」や福祉に関わる人たちが「平和は目的外」として目前の平和のことをあえて避けルならもったいないことです。「平和と戦争」のことをやるのは政治家ないし政治団体に任せればそれこそ偏よってしまうのではないか、.平和を謳いながら軍備が大切な日本にならないか.私にとって平和とは孫のことです。

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この写真は、昭和20年8月29日に長崎の原爆被災地において、アメリカ海兵隊従軍のカメラマン、ジョー・オダネル氏によって撮影されたものである。

亡骸を背負う少年 この少年は死んだ弟を背負って仮の火葬場へやってきた。直立不動の姿勢で歯を食いしばり、涙も出さないで。やがて少年は帯を解いて弟の亡骸を燃えさかる火の上に置くと、直立不動の姿勢のまま回れ右をして立ち去った。                           

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それは特殊だ当方には「関係ネー」

それは特殊だ当方には「関係ネー」

「関係ネー」という言葉がいつから出始めたのか。

「他人のことはどうでもよい」といった風潮にのってのことか。

   

皆さんならこんな例どう考えますか。

さる団地でのこと。

T氏が住む住宅の真向かいに森を裂いて工場が出来た。日中ひなか 時には日曜日も鉄骨をクレーンで運び鉄をきる。キ-ンという音は神経をさかなでる。

「  それでどうしました」と私

「「昼はみんな仕事に出ていて 運動にしにくい。自治会に相談してみた。返った答えは  住宅の一角の問題で自治会全体のもんだいではない。とすげない」

「     「そこでどうしました」とまた聞くと

窓ガラスを2重にしてとりあえず自衛遮音した。市や県にも申し入れた。かえってきた返事は ―― 業者にも生活権があるーー とまるで業者の肩を持ち市民には受忍せよといわんばかりであった。」  

こそんな中では

一いつそう当人がまず調査し 周りに働きかけ 行政に 行動を継続的に起こすべきだと思うが その問題はひとまずおいて「、特殊だ」「公共の立場に反する」「当会の目的以外のことだ」といったいいかたでシャットアウトすべきではないと思う。自治体の自治、自主的団体の自主の名を汚すことにならないか。すべては排除でなく提起されたことははなしあうことが「始めにも終わりにも」あってしかるべきなのだ。人と人  組織と組織間の垣根を溶かしていくことが社会の再生ではないのか(この問題つずく)

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