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2008年8月

捨てるアホーに 拾う阿呆

15日にゴミを拾った後こんな感想を述べた人がいました

捨てるアホーに 拾う阿呆

    同じアホなら拾わにゃ損ソン

             実に言い得て妙な感想です。

毎月15の日(5×3=ゴ×ミ=15日)がゴミを拾う日となってから

4年と10ヶ月たちました。今回は58回目ですS20080815_008_2

815JR駅南口に9時に集まり約1時間半22人がこんないでたち(写真、カット)でいい汗をかきました。終わってからいつも参加の方からの感想は「参加するたびに吸殻が少なくなっていく。やりがも感じるし気もちがいい」。 初めて参加の人からは「ひどい こんなにゴミや吸殻があるとはショックでした。でも 気分さわやかです  また来ます」

どちらの感想も事実を語っています。駅周りのゴミ拾い(吸殻中心)は回を重ねるごとに減ってきました。今回は数えなかったが 7千本から5千本に  前回は3千本と目に見えて減っています。でも駅にちかづくにつれて吸殻はまだ目立つし 犬の目よろしく車道側や植え込みに鼻(イヤ手)を突っ込むと缶ビン 吸殻が隠れています。車道側には車からのポイ捨ても目立ちます。中にはアルコール缶もあってさては飲酒運転ではないかと疑いたくなります。

さて捨てるアホー(ほんまのアホー)のことですが 私なりの解釈ですが、

Untitled

              

普段イイお父さんでも ポイ捨て常習犯だと自分の子どもが知ったらどうでしょうか。

 学校行事の中髙生のゴミ拾いを「きれいにする会」で手伝ったとき一緒した中学生がいいました。「大人が棄てたゴミを何で僕らがひろわなくてはいけないの?」ゴミ拾いの終わり頃ソノ生徒がまた言いました。

「僕はこれからは絶対ぽい棄てしません」 菓子袋やかん つつみ銀紙 雑誌や弁当箱などが落ちているのを知って自分も菓子袋など無造作に棄てていたことにきずいたからでしょうか。子どものすなおな反省に大人が恥じ入る番ですね。実をいうと私もたばこをやめる40才までの22年間時に歩きたばこもしていました。ポイ捨てアホーからの完全な転換は65才から拾いはじめることで可能になったと思っています。世話人の一人が第1号チラシにのせた言葉ですが 「 何故棄てるゴミと一緒に人間のプライドを」  だから棄てるのは「ほんまのアホー」ということになります。

拾う阿呆もアホ?

34度の太陽の下 S20080815_010_2 もく拾いまがいの格好でゴミ拾いしている様を想像ください。(タダシ女性が拾うとみんな美人に見えるから不思議です)。中には「ええカッコシイ」ではないのといった視線もうける方もいるらしいが、それは世の常だからイイとして、折角拾った場所が次の時にまたゴミまみれになっている時はつらい。もとの黙阿弥、賽の河原の石拾いに似た気持ちになります。それにもめげずにつづけているのはやはりアホーだからではないか。暮らしや 地域のために税金を永年払ってきたのに何故か不法産廃に有効な手を打たない政治を許すお人良し。これもアホですね。捨てるアホーに 拾うアホ。ほんとです。でも

同じアホなら拾わにゃ損ソンStudukituduki_062 Studukituduki_064_3

 里地や小川、駅前や住宅地に出没しゴミを拾うのですが「 継続は力」を感じる時がうれしい。4年前  軽トラック7台分のゴミを拾った同じ場所を先月やったところ軽トラック2台分に激減していました。5年続くと 少しは知られてくる 。企業や中学校や高校や病院患者会から声がかかる。道行く人の目も温かい気がする。一番の得はいい汗かいたこと。私の場合は若干の運動不足解消。

この四街道にこつこつ一人でゴミ拾いしている方がいる。散歩がてらにやっているひともいる。もし市民の10人に一人が月1回でもゴミ拾いをやれば自然に恵まれた四街道は「子どもたちにとって 素晴らしいふるさと」になるのではないか。それこそ拾わにゃ損ソン。20080815_021

ゴミ大量発生のなりふり構わぬ経済競争からゴミ減量の社会経済への転換を目指すためにも。

  

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