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ふる里(故郷)は近くにありて思うもの

見舞いと墓参りをかねておぎゃーと生まれ育ったふる里にいってきた。約1週間かけて。

「小田原、 田―んぼまえにみぃて~毎日通うは私たちぃ~、よく学校へ元気よく~」と荒城の月の作詞者 土井晩翠(注)作詞の小学校校歌のメロディーが口をついて出た。しかし学校の近くまであった「田んぼ」(ふる里)はすでになく、ビルに囲まれるのも近い。

この辺の土地景観はがらりと変わり、22年間過ごした生家は建て替えられわずかに残る家財道具や神棚や 庭石に残り香をとどめていた。もちろんこれまでもたまに来ていたので、この都市の変貌ぶりは知らないわけではなかった。しかし多くは用事を済ませてそさくさと故郷を後にしていた。

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S200866_047S200866_049 S200866_133   父母が眠る墓に行く途中の様子がまた変だ。

いつも墓の側の寺道を通って高校に通ったあの道ではない。友達がいっぱいいた駅の裏側はビル街になり寺道もお寺も区画整理され直線のストリートと頑丈な塀と立派な庭園のあるお寺に変貌していた。

当時の様子を思い出せずに思案にくれているとタクシー運転手さんが「この辺は梨畑でした」と一言。この一言がものを言った。わずかに残る残かをかぎ取ってタイムスリップ。瞬く間に当時の様子全景が顕れてきた。しかもあそこではこうやってああしてと言う場面付きであり友達付きであった。

このような場面はこれより先の老後の私をイヤしてくれるはずである。

やはり故郷は近きにありて(近くに寄せて)思うもののようだ。

注―詩人  滝廉太郎作とくんだ荒城の月や詩集天地有情で有名

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